かさぶた
さて、どうしようか。はいるから今回のお題は「 #部活の思い出 」と言われ、真っ先に思った。noteのお題にそのテーマがあるのは知っていた。部活というものに自分のすべてをそそいでいた高校時代。いろいろな思いが入り混じりすぎて、書ける気がしなくて、選べなかったお題。今でも「部活」と言われると、古傷が痛む感覚。胸がざわざわする。「あの時、もっとうまくやれたな」と思うことが多すぎるから。はいるに「さちこの部活については、当時全然知らないので、更新楽しみ~!」と言われて驚いた。当時はたぶん痛すぎて、話せなかったのだろうと思う。はあ、書きながら泣くかもしれない。
「吹奏楽部」入部まで
中学では「ブラスバンド部」。うちの中学のブラバンは区の中でもうまいと有名で、だいぶ調子に乗っていた。「ブラスバンド」という響きのかっこよさなのか、(わたし含め)強め女子が多かった。3年生のときなんて好き放題、やりたい放題でただただ楽しい部活だった。しかも成績もついてくるんだから、今思うとすごい。わたしが所属していたクラリネットパートは、その中でも優秀で、合奏中は金管が攻撃されている中、暇で寝てたりもしていた。(やばい。寝るときに楽器を置くための椅子を置いていた。)
そんなことをしていても吹奏楽にはまっていたわたしは、ブラスバンド強豪の高校を第一志望に。その高校の演奏会にも足を運び、絶対にこのブラスバンド部に入ってクラリネットをやるのだと、おそらく人生で初めての自分で下した大きな決断。結果、不合格。仕方なく自転車で通える、近い、という理由で受けた高校に入学。
入学した高校の吹奏楽部はいわゆる弱小校。夏の吹奏楽コンクールは人数に応じてA組(50人まで)、B組(35人まで)、C組(20人まで)と組が分けられるが、うちの高校は万年B組での出場。A組は課題曲、自由曲の2曲演奏するが、B組以下は自由曲のみ。中学では当然のごとくA組に出場し、金賞を目指していた。B組ですら金賞がとれない高校で吹奏楽やって楽しいのか。わたしは全国大会を目指すつもりだったのに。
同じクラスの子に誘われて、なんとなく行ってみた体験入部。そこでやつに出会ってしまった。顧問で指揮者のG。尊敬もしているし、軽蔑もしているし、恐れてもいるし、大嫌いでもあるし、感謝もしている。いつだって核心をついたことを言ってくる。彼に対する気持ちは一言では表せない。今でもめちゃくちゃ夢に出てくる。当時30代男性、ガリガリ、坊主で猫背、社会担当教師。そんなGにわたしが経験者であること、出身中学もばれて、入部せざるを得ない状況に持っていかれた。
ゆるい部活じゃないんですね?
入部してみたら、どうやらGが指揮者に就任して2年目。大改革の真っ最中らしい。なにこれ、めちゃくちゃ厳しいじゃん。はいるが前回書いていたことと大体同じことを当たり前にやれと。合奏前に「よろしくお願いします!!!!!」と言ってから礼をしろ、指揮者から許可がでたら「失礼します!!!!!」と言って椅子に座る。こわ。軍隊かよ。
1年生のときは自分で言うのもあれなのですが、まじでエース。実力があったので先輩を差し置いて部内で4人しか選ばれないアンサンブルコンクールのメンバーに選ばれて、先輩からいじめられたりもしていた。でもへたくそな先輩たちにいじめられても痛くもかゆくもなかった。もっとダメージくらってほしかっただろうなと思う。
一番痛い記憶
2年生の4月から自分たちの代として動き出す。その年はわが部史上初めてA組でのコンクール出場を目指すことに。うちの部の3年生は受験準備のため夏のコンクールは出ずに引退する。
はい。ここからが地獄。上述したように実力があったわたし。コンマス、クラリネットパートリーダー、木管セクションリーダー、学生指揮者に就任。やらせすぎだろ!!?自分の練習時間が全くと言ってもいいほど取れなくなって、パート、木管、全体を常に見なきゃいけなくなった。うまくいくはずがない。当時8人もいて、人数が多かったクラリネットパートの同級生は2年生になってから3人退部した。そのうちの一人にはわたしがパートリーダーになってから楽しくなくなったと言われた。
Gに報告したとき、「お前たちの代は全く本気でぶつからないよね。」と言われた。別の件で部長と相談に行ったときには「脳みそあんの?」と言われた。報告事項が漏れたら「常識的に考えてありえないから。」と言われた。教育者らしく、寄り添って導くなんてことは一切しない。悩み事を聞いてもらったこともない。でも一番言われたくないことをぶっ刺してくる。今でも彼がただムカついたからそういう言い方をしていたのか、わたしたちを奮起させるためにヒール役に徹していたのかはわからない。でも確実に、今でもわたしの中に忘れない言葉を埋め込んでいる。今、少し脳みそも常識も増えて、振り返るとGが言いたかったことも、少しはわかるようになった気がしている。
余談ですが、合奏でも暴言吐きまくってたな……。わたしがソロ吹くときの伴奏隊がそろってなかったとき「さちこが失敗したらお前らのせいだからな」って言い放って背筋凍ったりもした。すみません、わたしが練習していないんです……。
=青春
痛いことも多かったけど、間違いなくわたしの「青春」は高校の部活だった。A組金賞を目指した夏はめちゃくちゃ熱かった。スコアや楽譜は今でも処分できない。ケンカして泣いたことも数知れず。全国大会を目指せなくても、それだけ熱くなれた、やっぱり高校生のパワーってすごい。あんなにやる気なかったのにな。
3年生は受験を終えて、卒業直前の定期演奏会に向けて、1か月ちょっと復帰する。演奏会では、指揮者が3年生一人一人を紹介して、花束を手渡すという曲を必ず演奏する。わたしに花を渡すとき、Gが涙ぐんで「お疲れ様」と言ってくれたことは、今でもはっきり覚えている。わたしの苦しみ、きっとわかってくれてたんだよね?と都合よく解釈して、きれいな思い出として胸にしまっている。
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