自信のある分野で他人と比較するとき「自分は周回遅れ」と見なすと気づきが増える
アンラーニング的な話。他人と自分を比較してしまうときに使える「たとえ話」を思いついた。
自分と他人を比較すると、自分の有利な点が見えやすい
以前書いた記事「自分ばかりが頑張っていると嫌になってしまう理由」より。
この考え方は頭ではわかるけど、これだけだと足りない。比較をしたときに、自分にもっと気づきが増えるたとえ話を思いついた。
周回遅れとは?
運動場で2名が走っているとする。
相手と比較して、「自分が先をいってるなあ」と感じるときがある。
でも実際には相手より周回遅れになっていた。
「周回遅れのたとえ話」は、自分の盲点に気づかせてくれる
「周回遅れ」観点をつかうと、自分が他人と比較している基準に見落としがあるかどうかのチェックになる。
偏差値40台前半の高校で話した経験を「周回遅れ」で考える
上の趣旨とはちょっと違うんだけど、直近で自分の盲点について考えた話を書く。
先日、「社会人講話」という高校生向けに社会人が話すプログラムに参加した。調べてみると偏差値は40台前半の高校だ。私がみた教室の様子。
偏差値が高い高校生向けなら、大人と同じようなプレゼンテーションスタイルでなんとかなっていた。偏差値が低い高校向けは過去何度かやってみたけど、全部失敗している。
わかりやすい結論はこれだろう。「偏差値が低い高校生なんてやる気がないからダメだ」。こんな極論は考えもしなかったけど、まあ比較対象として図示しておく。
実際の私の感想は「偏差値低い高校で話すとき、根本的に私が何かズレている。見えてないものがあるはずだ。でも何がわかってないのかも、わからない」というものだ。
根本的に私が何かズレている。見えてないものは何か?とりあえず自分の高校の偏差値を調べてみた。60台後半だった。結構差がある。以下、いろいろ考えたことだ。
もうひとつ気になったことがある。高校からの依頼内容だ。「将来は明るくないと思ってる人も多いので、それを跳ね返すような話をしてほしい」という趣旨だった。ここの実感値が自分に薄い。自分の高校時代の記憶では、別に将来のことに対してそんなに悲観的じゃなかった気がする。この時点で自分の感覚をベースにした判断は全部間違えていることはわかった。
いろいろ考えて、現時点での結論はこれ。
盲点:自分は高校生向けに何か有意義なことを話せるという思い込みが間違えていた
なんか意味のあることは話せるだろうと判断し、引き受けていた。ここが傲慢だったわけだ。聞き手側の感覚とズレまくった話をしているわけで、害があるかもしれないのだ。
大人向けに話す延長線上で高校生にもできるだろ、という自分の判断が「周回遅れ」であり、根本的にズレているところだった可能性がある。依頼されてはじまるので、自分が話すべきかどうかも真剣に検討していなかった。「相手から依頼されたのなら、やっていいのだろう」ぐらいしか考えてない。
こんなことを考えていると、以下のpodcastが目にとまった。
今回の話とこのpodcastの内容は直接関係ないけど、関連する領域であることは間違いない。このあたりについて自分の見解がないまま、安易に手を出さない方がいいだろう、という結論になっている。
変化:人前で話すのがちょっと怖くなった
考えながらこのブログを書いたあとの変化を記す。「人前で話すのは怖いことだな」という感想をもった。そんなことは今まで考えたことがなかった。話すのは得意という自己認識に多少の修正が加えられた感じがする。相手から依頼されたら気軽に引き受ける、という今までの行動原理は変化するだろう。
まとめ:自信のある分野で他人と比較するとき「自分は周回遅れ」と見なすと気づきが増える
すべての物事は「自分が周回遅れ」という観点から見直すことができそうだ。あんまりやり過ぎると疲れるので、たまにやるぐらいがよさそう。
以上です。ありがとうございました!
参考:似た話
誰かが書いてたけど、サポートしてもらったらそのお金をだれか別の人のサポートに回すと書いていて、それいいなとおもったのでやります!