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人見知りなのに、社交的と判断される人の特徴

最初にまとめ

・自分で人見知りだと判断している人が、周囲から社交的だと言われるのはなぜか?
・自分で人見知りだと判断している理由:他人に比べて「他人に解放できるスペースが少なく、立ち入って欲しくない領域が大きい」と考えているから
・社交的だと言われる理由:他人に開放できるスペースの範囲内では積極的に交流しているから

自分を「人見知りゾーン」「社交ゾーン」に分ける

社会科学における場の理論」の図を改変して自分なりの理解で書いてみる。

人見知りゾーンと社交的ゾーンのイメージ図

実際にはグラデーションになっているだろう。でも今回は単純化する。

実際にはグラデーションかも

人はそれぞれ「社交的ゾーン」と「人見知りゾーン」の大きさが違う

自分と他人の「社交的ゾーン」「人見知りゾーン」の大きさが同じだと勘違いすることで起きる不幸

自分と相手の人見知りゾーンの大きさが同じだと仮定することも多いはずだ。

すると、相手に入り込みすぎて、相手が不愉快になる。

逆のパターンもある。

人見知りゾーンで交流するパターン

上に出した本によると、人見知りゾーンは「私的領域」と説明されている。私的領域による交流はゼロではない。

プライベートの交流は想像しやすい。仕事ではどうだろう?

結婚した相手や家族とは、私的領域で交流している人もいるかもしれない。仕事以外のプライベートでは、このような交流があることは想像できる。では、仕事中にここまで踏み込む必要があるだろうか?

仕事中の適応課題は、私的領域に踏み込む必要性がある?

適応課題と技術的課題という分類がある。

技術的課題:専門家にアウトソーシングして解決できる課題
適応課題:解決に自分自身の変容が必要でアウトソーシングできない課題

「適応課題」とは、知識の有無や技術的な可否ではなく、自分自身のものの見方を変えたり、周囲との関係性が変わらなければ(=適応できなければ)解決できない問題のこと

適応課題とは

単なる個人的な経験則でしかないが、適応課題から仕事上の問題が発生している場合、仕事以外のプライベートでも似た構造の問題が起きていることも多い。だから、状況を把握するヒントにはなる。

とはいえ、私的なことに過度に立ち入るのはパワハラだ(参考:厚生労働省のサイト)。仕事においては私的領域の交流が減っていく方向だろうと思う。私的領域の交流を当然のこととして、仕事で成果を出す手段として使ってると「古い」と言われてしまうのかもしれない。

結論:他人からみると「人見知りゾーン」の大きさや壁の太さはわからないから、「社交ゾーン」での活動だけをみて、社交的と言われることもある

あと、各ゾーンが似たような大きさの人が仲良くなりやすいように思う。無意識に過ごしてても心地よいから。ここに解決策が見えてくると何か進化しそう。

今回は以上です!

参考になるツイートメモ

そうなんですよね・・・。ただ、確認する方法がないというか、さぐりさぐりでいくしかない!「自分と相手は違う」という前提で動くことは出来そうですが、ふと気がつくと忘れて「自分と同じ」だと思い込んでいる気がします!

この絶対に入ってはいけない領域に関してだけで、もう1本書けそうだ。確かにここに名前をつけて、共通理解にするのは良さそう。

記事を拝見して、採用活動で同じことを考えたときに候補者様ははじめから人見知りゾーンを多少?オープンにしながら企業の面接を受け、自身の考えを発信し面接という外部刺激によって内部に取り込む、という流れがあるのかなと思いました。
クロージングする側は、逆に接点回数の少ない中でいかに、人見知りゾーンにタッチできるか、この人になら見せてもいいと思わせるか、が腕の見せ所でもあるのかなと。もしかしたら候補者様は社交的ゾーンで面接を受けるのかもしれないですが、人見知りゾーンをより開示しながら面接を受ける方が、深く企業の情報を知ることができるような気もして、素敵なキャリア選択ができるのかなと考えたりもしました。
非常に興味深い内容でした。まさに私もこのように思われる人で、それこそ自分の人見知りゾーンをオープンにしていくのが怖く、Twitterなどで自身の意見をどんどん出せる人をとてもうらやましく思う方です・・・!(ゆえに個別にメッセージをお送りしてしまいました。苦笑)

面接の時にどこまで開示するか、という話としても考えられる。なるほど、この観点はなかったです。あと、twitterでどこまで開示するかの話ですが、これは人見知りゾーンを開示するというよりは、「人見知りゾーン」の扱いだったものを「社交ゾーン」にどのように移すか(移すべきか)、という話であるようにも思えました。

おまけ:社交的ゾーンの交流による刺激を得る時期、人見知りゾーンに刺激を取り込む時期

私的領域が大きな人でも、外部からの刺激が欲しいときがある。「社交的なモード」と「誰にも会わないモード」を行ったり来たりしているはずだ。

ブログは「社交ゾーン」と「人見知りゾーン」の橋渡しかも

去年noteを100本書いてみての変化もこれで説明できそうだ。

noteの記事は一番外側の誰が見てもよい自分だ。ただ、記事の着想は少し私的領域にも入るような「細かい、他の人にはどうでもいい違和感」からスタートして書くことが多い。それが他の人にとっても興味深いときはたくさんの人が読んでくれる。どちらにせよ、自分の中では私的領域から外部化されていくという良さがある。

外部化することで、また新しい刺激を得るというループになる。刺激を内部に取り込みたい時期は黙って過ごす。


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