20231215_「赤が好き、実は。」


 「ダメな自分を救う方法」を読んだ後、自分の将来について考えていた。
大まかな方向性として、『福祉』で将来働くことになるだろうなと考えていた。ただ、経験則的に指導員という役割では無い形の方が良いと思っていた。
 以前、在籍していた時に感じていた違和感みたいなもの。それは、「利用者の自立」という壁だ。対応に自信はあった。なんとなく、人の感情を感じ取る事が得意で、自分の生まれ持った繊細な気質を生かすことが出来ていたと思う。ただ、自分と同じような対応を他の人に望むのは、難しいだろうと思った。なにより、自分の気質が無ければ上手くいかないやり方だからだ。
 最終的には、利用者は自立しなければいけない。隣にいつも、自分を助けてくれる人というのはいないから。
 考えを進めるうちに、起業する事を応援してくれた人の言葉を思い出した。東大寺を作った人の話で、たしか「自分は圧倒的なスキルを持っていうからいいけれど、弟子を食えるようにするのが一番難しい」みたいなことだったと思う。たしかに今から、大谷翔平になろうと思っても、色々な制限に阻まれて、なる事は出来ないだろう。自分以外の自分になろうと努力しても、結局は無理しているから続かない。結局、自分が持っているもので戦っていくしかない。
 じゃあ、何が出来るかなとまた考えてみる。
依存しない状況を作り出すこと。であれば、自分自身がモデルになってはいけない。芸術という分野は、自分が得意としている場所。ただ、自分が良い作品を作れたところで、まわりの人間が良くなるわけでは無い。見た目という現実的な、アドバンテージ。現実的な部分に目を背けてはならない。アニメや推し文化。個人的に、日本の文化としては、胸を張って自分はいいものだとは思えない。いつでも来れる居場所作り。そこに来れない人間はどうするんだ。結局、自分の足で進んでいけるようにしなければいけない。そこの最低限のラインってなんだ。「自分らしく」とか、「ありのまま」とかじゃ、現実は動かないぞ。Vtuber的な、新しい文化。自分は自分を見ている、結局自分からは逃れられない。
 たまたまテレビをつけると、身体障碍者(車いす)の特集をやっていた。
そーいえば、そーいう人たち向けのパリコレみたいなものがあったようなと。いや、そこまで過剰でなくていい。民藝的な方向で。作品に名を残さないような。
 あっ、これかもしれないなと思った。外へ出るきっかけづくり、自分が最低限までの支援、後は自分の足で動かすとい依存からの脱却、得意な芸術という分野、日本に生まれた意味を作る。
 なんか、良さそうな雰囲気だ。

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