20230109_日記

 自分の話し方と、相手の話し方が明らかに違うんだろうなと思う事がある。僕は、いつも仮説を言っているのだとおもう。ぼくは、それを、やるという言葉を使って言い切ってしまう。けど、だいたいやらない場合がほとんどだ。抽象的な目標が常に頭の中にある。だけど、それが、いったい何なのかが良く分からないのだ。だから、手段を色々変えて、実験する必要がある。だから、色々な事に手を出す。だから、色々出来るようになっている。
 情報が与えられれば、やる事が変わる。だから、過去に行った自分がやるといったことも、自分の中では、抽象的な目標が達成されるのであれば、迷わずやり方をかえる。何年積み重ねた事でも、かえることが出来る。こだわりがなさすぎるのだろう。だから、常に変わっている。一日一日違う自分を扱っているような感覚に近い。たぶん刺激がほしいのだと思う。同じような暮らしというのが出来ない。落ち着くと、窮屈に感じる。けど、動き過ぎると、とても疲れる。なんて、扱いずらいのだろうと思う。
 僕は、自分を知らない。自分の事を調べて、24年間生きてきたけど、全然分からないのだ。福祉の業界に入って、障害をもっている方と接して、僕は、なんて分かりやすい特徴を持っているんだと思った。僕の中の一つを提案すれば、だいたいが丸く収まった。そこから僕は、色々な気質が自分にはあるのだなという事に気づいた。だから、一筋縄にはいかない。だけど、この扱い方さえわかれば、人より高く飛べるだろうと期待している。赤ちゃんの時、お母さんのお腹の中で、取扱説明書を貰っていた側の人間は、楽に生きられるだろうなと思う。逆に言えば、自分が何故それが出来るのかという視点が抜けている。僕は、何も出来ない人間だから、全部自分で実験して、あーでもないこーでもないと、方法論を自分で作り出さないといけない。自分の気質は嫌にはなるが、どうにかしてあげたいと思っている。他人事のように自分を見ているが。それくらい、扱いづらい子だなと思う。
 今年から、一人暮らしを始める。多分、そこが転機になると思われる。今まで、どうにかなると思っていたことかが、自分でどうにかしないと死ぬという視点が現れる。家族と離れる。こんなのはじめただ。けれど、家族が自分の中の制限であるとはずっと思っていた。たぶん、ここから離れることさえすれば、変わる事もあるだろうなと。もっとはやく、この決断をしていればよかったなと思うけど、まぁ、頑張っていこう。
 

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