20231223_俺より先に、本が自立するな

 中学生の時に「技術」の時間で作った本棚を今も使っている。
横長で、トップ部分がフリーなので、どんな形の本でも入れられるから、重宝している。基本、大型のハードブック。古本屋に行って、固くて、大きくて、邪魔になりそうな本を見ると、衝動的に購入してしまう。裏表紙に、「絶版」と書かれていれば、値段を見ずにレジへ体が動いている。毎回、財布しか持たずに行くので、店員さんに「どうやって持って帰るんですか?」というような顔で見られるが、手のひらを最大限に広げて、担いで帰る。そこに迷いはない。バスにその状態で乗ると、心優しい人が、たまに席を譲ってくれる。これからは、ICOCAより、大型本を持っている方が、バス内の快適度はあがるのではなかろうか。
 今日は、掃除をしていた。自分は掃除が嫌いだ。親のしつけは、厳しかった。箸の持ち方や、姿勢、徹底的に幼少期に体に叩き込まれた。逆らうのも怖いし、成長する過程で、この方が合理的だと自分で納得できるものに関しては、取り入れている。ただ、掃除だけはいつまでたっても反抗期が続いている。「アンチ整理術:森博嗣」を読んでから、自分の背中を押してくれる存在を知って、戦う勇気をもらった。これからも、都合の良い味方を増やしていこうと思う。
 で、なんだっけな。そう、掃除をしたんだ。自分の部屋は、楽器・画材・本が散らかっている。本は、さっき言ったように、厄介な本ばかりだ。なぜ、最初に本棚についての話をしたかというと、自分は本棚が嫌いだという事を伝えたかっただ。正確には、本が本棚に綺麗に整理整頓されている状況。本が、自立している状況が嫌いだ。「俺より、先に自立してんじゃねぇ」と思う。この誰かに立たされている感が、不自然に感じて気持ち悪いと思ってしまう。本が自分から、「今日、僕はここで寝るんで(指をさしながら)、この辺で。」と自分に別れ際に言って、本棚に入ってくれるのなら納得はいくのだが、絶対、本は「やめてよ、こんな狭い所にはいりたくないよ」っと言っているに違いない。なので、いつも面が大きい部分を下にして、あとは本が赴くままにというのを推奨している。きっと、本も喜んでいると思う。
 掃除は、いつも一日では終わらない。めちゃくちゃ散らかっているわけでは無いのだが、時間がかかる。なぜなら掃除している最中に、掃除に飽きてくるからだ。また、「なんで俺は掃除しているのか」という問いについて考えてしまう。この場所では、この難問に決着がつかないと思って、家から飛び出してしまう。そこから、当分帰ってこない。途中くらいから、自分が掃除していたことを忘れ始め、帰ってきたときに、「だれがこんなに汚したんや!」とキレそうになる。8時に初めて、いまさっき(21時)に終わった。初めて、一日で掃除を終えることが出来た。「掃除って、一日で出来るんだ」という気づきで、怒りは忘れ、喜びで胸がいっぱいだ。
 良い一日でした。今日は、この辺で。

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