20231215_雨は目では数えられないけれど、耳では数えられる

  寝れない夜は、次の日のタスクを終わらせればいいかと思い、日記を書きはじめた。
 前の職場で付き合いのある子から、久しぶりに連絡がきた。色々悩みながらではあるけれど、元気にやっているらしい。自分は、彼に当時と同じように、前向きな声掛けをした。彼は、対応した中で一番印象に残っている。明るさと繊細さをもっていて。とても、好き嫌いがはっきりしていて。大雑把すぎるところはあるけれど。
 彼を見るたびに、自分の過去を考える。自分も、好き嫌いが激しい人間だった。けど、今はあまりないように思える。どこかのタイミングで、遠目でみるようになった。正直、過去の好き嫌いがあった頃の方が、ちゃんと世の中を見えていた気がする。
 全てを受け入れることが偉いような気がして。賢いような気がして。芸術というのをやりだしたらか、そんな思考が強くなっている。可能性を広げるという意味では、正しい方向性ではあると思う。だけど、受け入れすぎると、意見が作れないという状態に陥っている。
 今は、いつか受け入れる日が来るだろうという仮保存で事を処理している。だけど、第一に感じた感触・違和感みたいなものは、信じてもよさそうだ。前読んだ本の、潜在意識というものなのだろうか。
 自分の意見を作ると、誰かは傷つけてしまう。傷つけたくないから、いや、自分が傷つきたくないから、意見を作らない事を選んでいるのかな。
 これはこうあるべきだというのと、これはこうあってほしいという考えを二つ持つ必要がある。それを別に表にださなければいいだけか。意見は作ってもよくて。受け入れる=どうでもいいという事ではない。ちゃんとそれと向き合うこと。うん、少しまとまった感じがする。
 退職した後に、自分を肯定してくれるようなメッセージが来て、自分のやり方は良かったのだなと安堵している。また、最終的に戻ってくる場所だなと思う。
 高校を卒業した時に、恩師から「幸福の論理とは、好きな事をするのではなくて、やるべきことを好きになる事だ」という書を貰ってから、その言葉にずっと呪縛されている。貰った時は、少し夢を諦めろと言われたようで、不満に感じていたが、ちょっとずつその言葉の意味が分かってきたような気がする。自分のやるべきことが。
 

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