#9 関係は腐ることもあるのだと

 昨日読んだネット小説の、ヒロインの台詞がとても印象深かったので、それを紹介していこうと思います。
 その小説のタイトルは。
 
『駅弁大学のヰタ・セクスアリス[Rating C]』です。
 
 この物語の主人公は、真面目なだけが取り柄の大学生です。主人公には思いを寄せていた両片思いの後輩がいたのですが、ヤリチンに寝取られて(寝取られ?)、猥褻動画に晒されてしまう、という問題に直面します。
 
 この問題を周囲の人間と協力して、解決していく。というのが話の大筋になるのですが……。
 私が印象に残ったシーンはそれではなく、後に付き合うことになる彼女の存在でした。
 主人公はその彼女にある不義を働いてしまい、彼女はそれに激怒するのですが、惚れた弱目で許してしまいます。
 しかし、そんな彼女が後に主人公に語りかけた台詞が、とても強く私の記憶に刻み込まれています。
 
(引用開始)
 
「私たちは新しいフェーズに入ったの。ふわふわした優しくて気持ちがいいだけの関係ではない、もっと厳しくて剣呑で、でも今までよりずっと深く繋がれる関係(リレーション)」
 
(引用終了)

 
 私は思います。
 関係性は“腐る”こともあるのだと。
 腐れ縁なんて言葉もあるくらいです。停滞した関係は、腐ると言っても過言ではない筈です。
 
 私たちが想像する恋愛の形とは、ラブコメ漫画のようなものなのかもしれません。楽しくて、ドキドキして、幸せで、気持ちがいい。
 でも、そんなのは最初だけではないでしょうか。
 
 付き合い初めのカップルと、付き合って三年が経ったカップルとでは、デートから感じる刺激も違うでしょう。無論付き合いたての方が刺激は強い、という意味です。
 
 私たちは、たとえ、どんなに楽しくても、どんなに気持ち良くても、どんなに感情を燃え上がらせようとも、ずっと続けば慣れてしまいます。
 
 相手から得られた感情に慣れること。
 マンネリ、倦怠期、停滞、腐り。色々な名で呼ばれるその状態を超えられなかったカップルが、別れてしまうのでしょう。
 
 カップルが付き合う理由なんて、基本決まっています。その人と付き合うと楽しそうだからです。
 デートに楽しさを求めたことはありませんか?
 きっとあることだと思います。
 他者と付き合うことで得られる快楽を目的にして、私たちは恋人を作ります。
 
 私たちは、お互いに見つめ合うことはできませんが、同じ方向を見ることはできます。
 
 あなたも私も、恋人とは性格や価値観も全く異なることでしょう。
 何を見て何を感じ、一体何に価値を置くのか。共感できることもあれば、理解できないこともある筈です。
 それでも、曲がりなりにもカップルをやれるのは、『恋という感情から得られる快楽を求めよう』というゴールを互いに共有できるからだと、個人的に思います。
 
 恋人とは、視点を変えれば、同じゴールを求める最も近い戦友、同志、仲間になる訳です。
 
 しかし、恋というのはさっきも言ったように慣れるものです。賞味期限がある食べ物なんです。
 食べ物は腐ります。腐った食べ物を食べたら、腹を壊します。
 
 恋は永遠には持続しない。
 原則として、私たちはそんな世界に生きています。
 それを理解せず、ただ彼女と過ごす日々を安寧と生きていたら、どこかで行き詰まり、いつしか恋は腐り落ち、結果、愛しかった恋人と別れる羽目になります。
 
 この未来を回避する為に、私たちはどうすれば良いのでしょうか?
 先ほど、私は、お互いに見つめ合うことはできないが、同じ方向を見つめることができる、と書きました。
 この方向とは、辿り着きたいゴールであり、乗り越えるべき課題と、言い換えることもできます。
 
 初め、付き合いたての頃は、「恋を楽しもう」というゴールでも十分機能していました。しかし、月日が経つと、そのゴールはもはや機能を失ってしまうのです。
 ならば、どうするか?
 
 答えはシンプル。
 
 別のゴールを設定すれば良いのです。
 いわばゴールの更新です。
 そのゴールが十分に機能していれば、再びカップルは深く強い、同志のような関係を結ぶこととなります。
 私が引用したセリフは、このゴール更新を表してくれている訳です。
 
「私たちは新しいフェーズに入ったの。ふわふわした優しくて気持ちがいいだけの関係ではない、もっと厳しくて剣呑で、でも今までよりずっと深く繋がれる関係(リレーション)」
 
 もっと、ずっと、深く強い関係を築いていくのです。
 今までは許されていた甘えは、もはや許されないのです。
 あの頃の何も知らなかったが故に、幸せだった関係にはもう戻れないのです。
 駄目なところは容赦なく指摘され、それを改善できなかったら……着いていけなかったら、見捨てられるのです。他でもないパートナーから、見捨てられるのです。
 それは、まるで二人で一緒に過酷な荒野に挑むようなものです。
 
 私が引用した彼女は、他にこのようなセリフも残しています。
 
「それと、これも大事なことだけど、これだけのことをあなたに強いる私は、当然同じ縛りの上にいるってことも忘れないで。私があなたを選別し続けるのと同じように、あなたも私を選び続けて」
 
 もはや恋人ではないのです。
 同じ戦場で戦う戦友なのです、
 同じ志を抱く同志なのです。
 同じ場所を目指す仲間なのです。
 それだけの相手ですから、厳密に選ぶのです。選び続けるのです。この人は私と共に戦ってくれるのか、と。
 
 他の誰よりも、家族や親友よりも、強い関係を築き、互いに深く理解し、人生を支え合う。
 まさに“愛”です。
 
 私の好きなネット作家「ルシエド」は、愛について、このような記述を残しています。
 
 愛は相互理解という土台の上に立つ、この世で最も強く絢爛な城である。
 
 と。
 愛とは、一方によって成立するものではなく、両者が協力して築き上げるものなのだと私は理解しました。
 愛とは厳しく、剣呑で、でも他のどんな概念よりも深く、私たち人間を結びつけます。
 目指す場所とは何か、愛とはどのような形か、それはカップルそれぞれによって、違うことでしょう。
 
 時には、破局の危機を迎えることもあると思います。しかし、危機とは同時にチャンスでもあります。
 私が紹介した物語の主人公は、彼女にフラれそうになる、という危機をどうにか乗り越えたことで、より強く、深く繋がれるフェーズに移行することができました。
 
 絶対的な正解はありません。
 しかし、その時その時にダイナミックに変化する関係から、二人で正解を見出していくこと。
 それが、真に愛し合うカップルに求められることなのかもしれません。
 
 それでは、また。

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