学校課題と就活・転職は簡単

義務教育+高等教育での教育方針なんてのは、基本的に教科書というマニュアルに従ったものだ。マニュアルに従って暗記をし、マニュアルに従って正しい思考を身に着ける。これを要領よく出来る人間が「学力がある」とされる。

大学での教育は、学部にもよるが研究が主になる。確立されたマニュアルを踏襲したり暗記するよりも、新しい説を見出し、そこに論拠を据えることでむしろマニュアルを見直したり上書きをすることがメインとなってくる。

もちろん、暗記を必要とするテストも多いし、学部によっては資格取得をメインとするので、その場合はより詳細なテンプレートに嵌る必要がある。

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一方で、研究をメインとした文章に行き詰っている人をたまに見かける。

なので、自分がどういう感じでこなしてきたかを書こうかと思う。私は暗記が苦手で、論文評価の単位で無双した人間だ。

読書感想文とレポートと論文は違う。これは、調べてたり勉強したりして説明しているわけではなく、私の肌感覚としての話になる。ただ、それぞれで評価を受けていたので的外れではないはずなので参考にしてほしい。

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読書感想文というのは、道徳的な情操教育の一環に近い。対人環境に置いて価値観や感情が絡んだ時、善悪という危ういものについて、自分自身で考えることが出来るかということを試されている。

法律だったり、ルールという、明文化された善悪が存在している以上「それを妄信すれば間違えることがない」という、失敗への恐怖心によって二極思考は生まれやすい。それに対するフォローみたいなのが道徳とか情操教育だと思う。

実際は、自殺幇助や安楽死問題等、情状酌量等で法廷で覆る例も多いが、無知であるほど「殺人は罪だっピ!」っていう考えが横行している。その方が疲れないので飛びつかれやすい。短絡的な方が脳を使う必要がないので、簡単なガイドラインに流れやすいのだ。

なので、おすすめなのがノワール(犯罪者目線)小説。東野圭吾とかの人情系も基本的にわかりやすい。

けれど、基本的に読者は主人公側に肩入れしやすい。なので、犯罪者目線で読むことによって「犯罪以外に選択肢がなかった状況」というのを疑似体験することが出来る。

外側からの無責任な「犯罪=悪」の方程式が崩れる。そこから思考を放棄し、完結したものとして終了するかによって読書感想文の評価は変わってくる。

大抵の場合は「犯罪者を見てもバックボーンを理解した上で、自分で判断しよう」に落ち着くんじゃないかな。

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レポートというのは、成果物というイメージが近い。要は「授業の事に聞いていたか(理解していたか)」あるいは「作業を行った過程と結果」を求められていることが多い。

授業内容や研究内容についての所感は、真面目に取り組んでいるという証明になるので評価される。一方で、自己PRの場ではない。なので、読書感想文は自分のパーソナリティと照らし合わせた情動的感想でもいいけれど、基本的にはレポートは建設的感想のほうが良い気がする。

例えば、LGBTQ問題について取り扱った授業で、レポートの提出を求められたら「授業を要約するとこうですよね」という「ちゃんと授業を聞いて理解しているぞ」ということを述べるのが最低限。

短絡的発想によりこの要約が本質から破綻している人も見かけるので、そういう苦手タイプはシラバス等の説明や目次で「教授は何を訴えたがっているか」を再度分析したほうが良い。

その上で「性犯罪に悪用する可能性が懸念される」「金銭的に不可能とは想定されるが、トイレや更衣室等に性別の線引きをなくし全個室にするなどの対策が有効と考えられる」みたいな、自分の建設的発想を追加すると良いと思う。主観や感情にならず、多角的で反論も考慮している思慮深さが重要。

上記は高評価を得たい場合であり、レポート提出が単位の基準になってる場合は「俺の話を無視しないでくれ~」って、教授の寂しさだったりする。なので「ちゃんと聞いてますよ」って文字数埋めれば、授業の方針と的外れなこと書いてなければ大丈夫だと思う。

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論文というのは、自分が見つけた結論に対して、どうしてそこに至ったかを論拠を提示して証明するようなものである。

読書感想文は右脳で書けるし、レポートは要領を掴むのが上手ければ書ける。一方で、論文というのは左脳の力が試されると思う。

ただ、私の場合は「結論を直感で掴むのが鋭く、後から肉付けしていくのも上手い」とのことだったので、右脳→左脳タイプなのだと思う。

上記同様に例を挙げようと思ったのだけれど、私の戦法だと、発想力や洞察力みたいなものが一番必要である。なので、論文がどうしても苦手という人たちと私との違いはそこにあるのかもしれないし、参考になるかわからない。

まずは研究にする題材を決める。私は文学部だったので文学研究の前提になる。これは学部が違っても考え方としての話なので、例え話に固執しなければ応用できると思う。

私は愛着もなければ読んだこともない本を題材にした。近現代が禁止されていて、知っている本が無かったというだけだった。

その為に原書と現代語訳を買った。現代語訳を物語として読んで「この子こう思ってそうだな」とかそういう気づいたことを書き留める。これは私にとって漫画や映画やアニメも変わらない。最近だったらタコピーや進撃の考察みたいなもん。

その後で、論文ではどの点がよく争点になっているかを探す。争点に合わせるか、それとも全く関係のない新しい説を持ち出すか、既にある説を強調する形になるが、個人的には新しい説の方が論拠がダブりづらいし、過去の論文を漁る労力も減らせるのでやりやすい。

「この子こう思ってそうだな」や「この演出はこのメタファーじゃないか」というようなものの中で、よりインパクトの強いものに絞る。そこからは読み込むことで、どうしてそう思ったのか、或いはそう描いているという論拠を探す。

マジでやってることはタコピーの考察と一緒。「~は~であると考える、何故ならば~」で説得力が強い論拠を多く提示すればいい。別の論文の引用もアリだし、心理学とか別の知識本からの引用を持ち出しても良かった気がする。

私が言われていたのは「作家と作品は別物として考えなければいけない」ということだったのでそれは意識していた。これは教授が旧帝大で、私たちがF欄だったから作家研究なんて難易度の高いことしてコケるなってことだったと思うのだけれど、上記の意識でもかなりの評価を得た。

イメージとしては「この作家はいつもこのパターンだからきっとこうなるはず」みたいなやつ。タコピーの時も「この作家の読み切りはいつもハッピーエンドだからハッピーエンドに決まってる」ってのあったね。これは考察ではないから駄目ってことなんだと思う。

作品の中の世界をそのまま受け止め、登場人物を人としてみる。勿論その裏側に作者がいるけど、作者の事情は鑑みない。ただ「こういう描写があるということは、記載する必要のないことを記載しているわけで、意味があるのではないか」という論理構築をしていく。

タコピーで「直樹君が壊れたハッピーカメラを返しているという事は、それがキーアイテムになっているのではないか」みたいな感じかな。「直樹君の眼鏡が変わったことで、洗脳や視野狭窄のような世界の見え方が健全なものに変わった描写」とか。

これは私が自分で考えたり、論理を構築するのが好きなだけで、それが苦手で文字数を稼げない人は逆に今までやられてたことをまとめるくらいで良いと思う。

そもそも論文で新説で評価されること自体が難しいので、過去の論文の引用とか文字数稼いでまとめて「だから同意見です」ってやってれば「よく調べたね真面目だね」って評価してもらえるので安牌。

ただ、研究としておもろいかというとおもろいわけではないので、卒業はできるだろうけど、残念ながら研究の道に進むには適性がないと思う。

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ここからは発表等での立ち回りになる。ここでのポイントは、卒論発表等も就職面接も正直変わらないと思う。

まず第一に分析すべきことは、発言に対する聞き手の心境である。「どんな新しい説を聞けるのか」面接なら「この人はどんな人なのか」ということが中心になってくる。

この分析をすっ飛ばして「失敗しないようにマニュアル丸暗記」というのは多く見られる。けれど、論文にせよ、就活にせよ、型に嵌ったものというのは息苦しく画一的で退屈だ。

私は第一に「緊張しやすいので、震えが止まらなくて」というのを毎回少し自嘲気味に言う。大体はこれに柔らかい笑いが帰ってくるので、一呼吸おいて「お手柔らかにお願いします」というような形で進める。

緊張したり、それによってマニュアルが飛ぶという事を失敗と捉え、余計に慌てる人も多いと思う。

裏を返せば、緊張するというのは「それだけ真面目に向き合っている」ということであり、それだけ真剣で志望度が高いというアピールに繋げることができる。(緊張していないのに緊張しているふりをする必要なない)

私の場合は、論文の発表資料は学生と教授が聞いているので、わざと「怒られない程度の砕けた表現」に置き換えた。漢字を減らしてカタカナを増やして文字量を減らして☞を増やす。フォントはメイリオ。

通常「論文というのは堅苦しいもの」になっていて、現に論文自体は難い文体を使う。フォントも明朝とかを使う。

でも、それらが目を滑らすことはわかりきっているし、硬い言葉がキャッチーじゃないこともわかる。大抵の硬い言葉ってのは、横文字で現代風に解釈することで簡略化して感覚的に理解しやすくしたりできたりする。

そうすることにより、現代人の脳に響きやすくなるので、興味を持ってもらうことや、耳に入れることが出来、そこから面白がって話を聞いてもらえる確率が高くなる。

怒られない程度の砕けた言葉選びをすることで、教授から学生まで綺麗にウケを狙えるし、万が一滑ったとしてもあくまで説明の一環なのだから平然と進められる。

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就職活動も似ていると言ったけれど「緊張している」以降もほぼ同じだ。素直で真面目に取り組んでくれているという印象を与えることが出来る。

あとは、相手が「同じようなテンプレ真面目に飽きた状態」という想定で動くことが重要になる。研究発表では基本的に合否はないので得点をしなくても失点をしなければいい。

基本的に、失点になるようなマナーや受け答えはよくないけれど、マニュアルに従って都合よく答え続ける必要はない。

なんでかといえば、就活生は「すぐに辞めない会社に入りたい」、人事は「すぐに辞めない人材を確保したい」だからだ。

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以前、入社した会社の面接で「就職面接というのはお見合い」と言われた。この会社の人たちは、私が入室した瞬間に立ち上がって頭を下げてくれた。

私自身がそう思っていたし、私はスキルがあるせいで便利屋としてお得な買い物にされやすい。この対応が入社を決める一番の決め手になった。

これも新卒あるあるなのだけれど、学校教育の上で物差しで優劣を測られるのが当然になっている。ただ、会社というのは学校教育と違って国内で統一された規格があるものではない。

職種というのは星の数ほどある。だから、(真面目に取り組んだ前提として)評価をされれば「そのジャンルに適性がある」であり、評価をされなければ「そのジャンルに適性がない」というだけの話である。

ただ、学校教育の価値観で社会に出ている人が殆どなので、断罪する側もされる側も、井の中しか知らずに物差しが一つしかなく善や悪で測られることが多い。

人材というのは採用から育成まで物凄いお金が動く世界なので、価値を理解していれば危機管理として人格否定に繋がる怒り方はしない。なので、適性のある部署への配置換えを行うのが建設的であり、それが出来ている会社こそが冷静で未来のある会社だと思う。

収入が高い会社というのは育成にお金を割かない傾向にあり、即戦力としてのスキルを求め、適性を知らずに会社に都合が悪かったら人格否定して辞めさせるように仕向ける方向にある。(雇用側は辞めさせづらい法律)

上記について、労基とか倫理的に守ってくれる制度があると思っている人たちが多いけれど、改善されてきたとはいえ、役所というのは別に自分たちを守ってくれる存在ではない。

世論に合わせてシステムを制定しているだけで、抜け道もあれば無関心も沢山ある。バケツでウランとか、マイナスドライバーで臨界実験とか、必要性があって制定された組織でも、末端がその重要性を軽視しているという事は世の中で決して珍しい事ではない。

私がいた企業で、労基にかけこんだ離職者は何人も聞いたけれど、実際は「明日は監査が来るからサビ残しないように」などの通告等多かった。世の中のシステムなんて、いじめられっこが先生に言いつけるのと同じイメージでしかないので、運次第なので外部に期待はしないほうが良い。

「適性があっていなかった」というだけで「自分は出来損ないなんだ」と思い込み、鬱病になっていく人間を何度か見ている。新卒より転職の方が「中途採用で採用や育成に金をかけない分、高収入の釣り糸を垂らせる」分多く見かける。

「雇ってやる」という姿勢の会社に背伸びして入っても、入社してから病むことになる。なので、必要なのは本心の要求のすり合わせであり、面接で行うのはマニュアルじゃなくてただの話し合いだ。

スキルを貸す代わりにどういった待遇を用意してくれるのかの商談の場だとでも云おうか。

聞かれたことに素直に受け答えすればいい。余裕があれば企業理念なんかを履修して混ぜて答えるのも良いと思うけれど、とにかくそこに嘘や背伸びを混ぜないことが一番だと思う。あと必要なのは本当に最低限の敬語くらいじゃないかな。

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マニュアルというものが存在するせいで、人事も質問に対してストレートが帰ってこないめんどくささに辟易している。だからこそ、変化球の質問が飛んできたりするわけだ。

それは退屈した人間の行動なのだけれど、そこに有効なのはエンタメだ。

上記の卒論発表の時と同じように「怒られない程度の砕けた言葉選び(つい出ちゃった感)」だったり、わざと言い間違いをしたりする。

人事が説明に使用した単語を「すみません、〇〇?でしたっけ・・・?記憶力悪くて忘れてしまって」と言ったりしてメモを取り出す。「知らない単語だったのでメモ取らせてもらっていいですか?」ということで、笑いと同時に知識を漏らさないようにする真剣さのアピールにも繋がる。

徹底的にウケ狙いに行く必要はないのだけれど、わざと自分に許される程度の落ち度を作ることで、張り詰めて疲労した空間に「かわいいやつめ」という笑いで弛緩を作る。作為的な末っ子行為とでも云おうか。

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趣味について聞かれたり、質問を聞かれたりする流れになると思う。趣味については「人生観」を聞かれていると思ったほうが良い。

どんなに凄い本を読んでいるというアピールより、「漫画が好きで、どうしてその漫画が好きか力説出来て、聖地巡礼に行った」とかの話の方が印象に残る。

前者は「凄い本を読めば凄くなれると思っている主体性のない人」、後者は「自分の人生を満遍なく謳歌している人(話題の拡げ方によっては知的好奇心旺盛そう)(フットワークが軽そう)(ストレス発散も上手そう)」という評価だろうか。

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質問の流れは、ひとつだけ暗記しているのがある。

受かる面接と落ちる面接というのは、面接官の目の色で大体自分への興味がわかるから、落ちるとわかりきっている場合は「ああ点取り必死だな」と思われるだけなので必要ないと思う。ただ、相手も取りたいと思っている場合は喜んでもらえるので投げてみると良い。

それは「もし内定を頂けた場合、それまでの間に準備や学習しておくことなどありますか」。

その上で「入社してからしっかり学習してもらいますし、社会人になると休暇も思うように取れなくなるので、それを謳歌しておいてください」という趣旨のコメントを返す会社は良い会社だと思って良いと思う。

普通に言語等が返ってくる会社もあるけど、よほど入りたい会社じゃない限りは内定辞退もアリだと思う。

勉強や準備の内容によるけれど、新しい言語の習得などは「学習は労働時間に入らない」という価値観から来てたりする。なので、入社してからもプライベートの給与が発生しない状況で自己学習なんかに充てる時間が当然とされ、していないことを責められることまである。

それ以外は、普通に話を聞いていた中で疑問に思ったことを聞けばいいし、パンフレットの一部を掘り下げるというのもアリだと思う。入るかどうかを検討しながら話を聞いてれば、興味は湧いて当然だと思う。

例えば、男女比とか、どんな性格の人が多いかとか聞いたことある。昼ご飯の場所とか入手場所とかも聞いたかな。

「うちは仲は良いけど、基本的には個人かな」とか「色んな人がいるよ」と言って面接官同士で「〇〇さんとか」「○○さんとか」って内輪ネタで盛り上がったりするので、面接後にリラックスできたという印象が残るので「あの子は話しやすくて良かったね」という印象に繋げやすい。

別に素直に「これまで必要な説明をして頂けたので現段階では特に質問はないです」と言ってしまって別に大丈夫。説明を褒めることと「現段階では」を入れれば、最終面接でも初回面接でも平気だと思う。

「今は緊張しているので、落ち着いて資料読み返したりして質問があればメールさせていただいても大丈夫ですか?」を入れれば余計に大丈夫。

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個人的には、上記の戦法で入りたい会社には入れているような気がする。あくまで頭一つ抜ける方法ってだけで、最低限の敬語やマナーが出来ていない場合や、堂々とし過ぎてたら意味がないと思う。

男でも女でも全てギャップになるので「純朴で真面目でかわいいやつめ、育てがいがある」と思わせたら勝ちだと思ってる。入社後の人間関係ガチャは別として・・・

まあ、普通に適性テスト等あるので、それで落ちることもあるんですけどね。私は恐らく処理速度の項目で引っかかって、社長から直々に「あなたの人柄やスキルは魅力的だったのですが・・・」という長文のお祈りメールが来たことがある。適性が合わないというのが先にわかってよかった。

落ちることだって沢山あるけれど、テンプレートに沿って演技をしないで、自分のままでお見合いしてれば「合わなかったのだ」で終わる話だと思うし、ダメージを受ける必要もないと思う。

質問の時に「それは勤務時間外での勉強ということですか?」「早く来て何時間も勉強してもらいます」「辞退します」という流れもあった。なので、マジで遠慮せずに聞いて、明らかに求人と違ったり、変な面接だったら辞退もして大丈夫です。

選んでいいし、別に自分の適性に合った業種を探すのなんて30歳までは異業種転職も楽勝だから。

30過ぎると、評価の目が厳しくなるだけで、その段階で実績だったり「自分がどう生きてきたか、この先どうしたいのか、だからこの会社を志望した」を話せれば大丈夫だと思う。落ちるかどうかは相性次第で。

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