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失われていく煌めきに

 愛おしかったことを、数える。同時に、許せなかったことも。

 ほんの些細なことでも、私にとってはずっと憶えている愛おしい思い出であったし、同じように、ほんの些細なことでも、私にとってはずっと憶えている許せない記憶であって、どちらも消せることはきっと、なくて。

 勝手に傷ついていることが沢山あって、多分相手にとっては本当に小さなことで、気にする私の方がどうかしている、と思うのに、忘れることも出来ない。

 それでも、時間が経って思い出すのは愛おしかった思い出ばかりで、これが過去の美化だとするなら、記憶をモチーフにした芸術とさえ言えそうだ。泣いたことは憶えているくせに、それらにはすっかり靄がかかってしまって、美しいところばかりが克明に描かれている。

 数ヶ月前の私と、彼と、今の私たち、何が違うのかな。好意を投げたら質こそ違っても同じだけの好意が返ってきたあの頃を、今も忘れられずにいる。笑える。もう無いものに縋るこの時間がどれほど無駄であるか、よく分かっているはずなのに。

 さらに時が経てば、きっと愛おしかったことさえ忘れていく。分かっている。美化された思い出にだっていずれ靄がかかる。それでも、君に焦がれた数ヶ月の僅かな煌めきが失われてしまったことを、これからもなんとなく憶えて生きていく。なにかのきっかけにふと思い出しては、その煌めきがもう無いことに、ふんわりと絶望するのだろう。

 ぽつり、ぽつりと痛みを語る度、過去の恋やその相手をダシに自分を語るように映るものなのだろうか。都合よく消費する思い出でも自分を脚色する道具でもなく、どれも私を作り上げた要素のひとつであったのに。かつて愛した人があって、思い出があって、痛みがあって、だからこそ君を好きになって、願わくば最後を君にしたいと、そんな風に思っていた。私には出来なかったけれど。

 叶わないことを誰かのせいになんてしない。私がこれまで選んだ道の何かが違っていて、それはもしかしたら、「彼を選んだこと」そのものかもしれない。今更何を間違えたかなんて考えても仕方がないのに、辿ってきた全てを思い返しては、愛おしかった思い出を反芻して泣いている。

 勝手に泣いたこともあるし、傷ついたこともある。傷つけたかは分からないけれど、悲しませてしまったこともある。嫌われることを過剰に不安に感じて、言わなくていいことまで言ってしまったこと、今でもずっと後悔している。信じることは出来なかった。だけど本当に信じたかった。

 今でも彼は私と仲良くしてくれている、その残された好意だけは素直に受け取っていたいと思う。真剣に言葉を交わせるくらいにちゃんと向き合えたこと、良くも悪くも上辺だけの関係ではなかったと思いたいし、彼にとってもそうであればいい。告白の返事とか、どう思ったとか、何も聞けていないけれど、何もないことが答えだったんだろう。ちゃんと聞ける私でありたかったな。それだけは後悔している。

 良い友達でいよう、と思う。幸福は恋情だけにあるものではない。どうせ初めから触れる気などなかったのだから、衝動で壊してしまったところにこれ以上触れなくたっていい。

 原点回帰。愛おしく優しいあなたが、少しでも幸福でありますように。

 

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