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【アート思考とジャズの逸脱】

デザインの限界
基本的にデザイン思考では顧客目線、つまり消費者(他者)のニーズを叶えることが求められます。ロジカル思考の利便性や合理性に消費者の個々が求める付加価値としてのデザインが施されていくことで商品やサービスが生まれます。
ただ、デザインされた社会は、どんどんコモデティー化(同質化)して行きます。消費者のニーズに答えれば答えるほどモノの飽和がはじまります。求めるものが氾濫して必要なものに満たされれば、そこに差別化要素も浮かんで来なくなります。デザインとアートの違いの一つが逸脱です。デザインから逸脱すればするほどアートの領域になります。アートは利便性や合理性、販売目標や事業計画から作品を発想することはありません。一方で売れるポップミュージックまたはエンターテインメントは基本的に制作から販売、流通、プロモーションに至るまで基本的には売れるためにデザインされています。販売しやすくするためのカテゴリー付けやMV、CMタイアップやキャンペーンなどのプロモーション戦略など、ユーザーのターゲットを定めて売れる為の施策を展開していきます。音楽で言えば、多くのチャートを賑わせている楽曲はデザインされた音楽と言えます。それに比べるとジャズという音楽の主体は表現者であるプレイヤーの「自分軸」を中心に制作され販売されています。

ジャズと逸脱
私はトランペットをはじめて30年になります。
基本的にはジャズというジャンルから始まっていますが、ジャズの即興演奏の背景には逸脱することが許されている、、または逸脱していかなければ価値がないと私は認識しています。ジャズに対する捉え方はそれぞれでしょう、大人な雰囲気の音楽、リラックスできる、、など音楽なので色々な印象や側面があると思いますが、ジャズの巨匠達が目指した方向は逸脱にありました。世界で最も売れたジャズアルバム「Kind of Blue」をリリースしたマイルス・デービスはジャズの枠組みを超え、常に逸脱を繰り返した芸術家です。

そこにあるものではなく、ないものをプレイするんだ。知っていることではなく、知らないことをやる。変化しなければいけない。それは呪いのようなものだ。 (マイルス・デイビス)

そこにあるモノ。既知のものを演奏していても意味がない。そこにないモノを、その場で作り続けること。常に変化(逸脱)していかなければ意味がない。マイルスは自身の音楽の歴史の中で一部のリスナーを裏切りジャズ自体を内発的に逸脱することでジャンルを超えたマイルス・デイビスという音楽を確立したのです。

ジャズの基本的な要素に即興演奏があります。
即興演奏の特徴は2度と同じ演奏をしない、つまり、再現性がないということです。一般的なポピュラーミュージックやクラシックは原曲を再現することが求められます。レコードやCDで聴いた通りの音楽を聴く事がリスナーの求める一般的な音楽です。ジャズはコード進行とテーマ以外は演奏するスピードから曲の尺まで演奏者がその場で自由に決めて即興演奏します。即興演奏では決められたコードの上を演奏者が自由に音を構成(組み合わせ)していきます。自分が学んできた理論、経験してきた演奏、聴いてきた音の引き出しからその場の音を瞬時に引き出して演奏するのです。優れた演奏はこの引き出しの多さと直感的なアウトプットに結びつけられるスキルから生み出されます。それぞれ個人個人の経験の蓄積が唯一無二のその場限りの演奏となるのです。

究極の即興にフリージャズというのがあります。そこまで来るとテーマやコード進行の決まりすらありません。
まさにフリー、逸脱の極みです。でも、そこには不思議なコスモス(宇宙)があります。何度かフリージャズを生で聴いた事がありますが「上手い」んです。

時には数秒で終わる曲もありますし、ただ楽器をかき鳴らしただけに聴こえるかもしれませんが「上手い」んです。これは多くを聴き手の感性に委ねられると思いますが、メチャクチャな様でそこには経験が生んだ世界観が凝縮しています。
まったく意味のわからない抽象画を見ているにも関わらず心惹かれる感じと似ているかもしれまえん。

フリージャズの入門として、John ZornとYoko Onoさんの即興演奏です。聴いてお分かりの通り、決められたテーマもなく、その場で瞬間的に音を選んでいます。でも、よく聴くと会話している事がわかります。めちゃくちゃの様でしっかりコミュニケーション(対話)しています。これは、まだわかりやすい方ですが、フリージャズの基礎はこんな感じだと思ってください。これを好きと思うか、嫌いと思うかはリスナーの自由ですが、少なからず「何か」を感じるでしょう。

逆に何も感じない様な当たり障りのない音楽ばかりになってしまっては何の刺激もないわけで、刺激があれば良いというものではないですが、人間は情報と刺激によって進化すると誰かが言っていました。今までにないもの、例えばそれが芸術作品でもビジネスにおけるイノベーションでも逸脱していく先にこそ、今までにない新しい発見や未来があるのだと思います。

アート思考が衆目を浴びている背景にはモノの飽和、そして、資本主義の限界があると感じています。みんなが欲しいもの、求めるものが飽和した社会で、その一時的な反動かもしれませんが、Yoko Ono and John Zornの音楽の様に自分の本能や直感にしたがったモノの中に人間の本質の一部を見るということが求められている気がします。


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