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『ホーランジア』01 朝食バナナダイエット

――緯度、経度は地球上の位置を表すもの。同じ緯度どうしを結んだ線を緯線、同じ経度どうしを結んだ線を経線という。赤道は0度の緯線、日本の標準時は兵庫県明石市を通る東経135度の経線――

やばい、全くやれる気がしない。
中学3年生になったというのに、進路もイマイチ決まっていないまま、今まで勉強した範囲の総まとめテストが始まろうとしている。範囲が広すぎて何していいか謎すぎる。1年のときのノートをパラパラとめくるも、記憶喪失にでもなったかというレベルで書いた覚えのない授業内容が記されているばかりだ。でも選択穴埋め方式だからギリなんとかなるかもしれない。私は投げるようにノートをテーブルに置き、ぼんやりと眺めながらバナナに手を伸ばし皮を剥いてかぶりついた。

「まっず……腐ってるよこれ」

ぐにゃりとした嫌な舌触りと違和感しかない味を感じて吐き出すと、黒い潰れがあったバナナをうっかり食べてしまったようだった。口の中がどうしようもない甘ったるさと発酵した独特の酸味で気持ち悪い。記憶喪失状態な上に謎範囲のテスト勉強なんか潔く諦めて、ノートを閉じてから食べれば良かった。

バナナを食べたのは、朝食バナナダイエットをしているから。朝食をバナナと牛乳だけにするというお手軽さで、3ヶ月くらい飽きずに続いているところ。昼と夜、あとおやつも普通に食べていいところが幸せ。問題があるとすれば、そこまで痩せたという実感がないところ。でも緩やに痩せるほうがいいというから、まあ、良しとしよう。3ヶ月で1キロくらいは落ちているから、このまま続けて夏までにあと1キロくらいは痩せられるかなと思っている。

「あらあら、新しいのあるわよ」
「もういらない。ちゃんと確認してから出してよ。今食べたら絶対に全部黒いとこの味するよ。もう、朝からサイアク」
「はいはい、次から見とくわね」

お母さんが別のをくれたけど、もう今日はバナナを食べたいと思えなかった。口の中の気持ち悪さをなんとか牛乳で流す。席を立ち、食べかけのバナナを洗面所へと向かうついでにシンクの生ゴミ入れに放り込んだ。

「やだ弥生ったら、置いといてくれたら母さん食べたのに」
「ねーちゃんもったいねー」
「うっさい。じゃ葉月が食べなよ」
「捨てたやつなんかいんねーよ」

この生意気なヤツは弟。まだ小6のくせに、私より背が高いのがムカツク。

「だいたいさあ、ねーちゃん痩せたって一緒にプール行く相手とかいねーのにダイエットとか無駄じゃね」
「うっさい!」

余計なお世話! 確かにプール行くような相手はまだいないけれど、高校受かったら素敵な出会いがあるかもしれないし!

忙しなく洗面台に向かい、歯磨きしながら鏡に映る姿をチェック。弟と言い合った不機嫌な顔が映っている。いけない、笑顔笑顔。笑う門には福来る、千里の道も笑顔から! って、なんか違うか。

眉ヨシ、まつ毛ヨシ、前髪……ちょっと直してヨシ、後ろ、まあヨシ! 中学に入学した時に肩の上で切りそろえた髪は、ようやくウエストの近くまできた。色の白いと髪の長いは七難隠すって死んだおばあちゃんが言っていたから、日焼け止めもしっかり塗っていく。

でも本当は染めるの校則で禁止されているから、この髪の色は一旦お別れかな。今年は受験だし、卒アル写真とか説明会なんかもある。ミルクティーピンクは可愛いけどメンテ面倒だったし、黒髪も可愛いからイメチェンだと思えばいいよね。なんせ、平和で暇で、刺激が少ない。ずっと制服だし、せめて髪の色くらい変化つけたい。

うちは2人姉弟で両親と4人暮らし。大きなトラブルも病気もない。住んでいるところは田舎だけど、日常に必要なものは揃っている。なくてもネットで注文すればいい。というわけで特に不満なく、安定した生活を送っている。

でも、もっとドラマティックな人生が良かった。

いつかテレビとか映画みたいな、ハラハラドキドキの恋がしたい。突然学校にアイドルが転校してきて告られるとか、助けた大金持ちのイケメンから求婚されちゃうとか……。

ううん! そんなんじゃ甘い。

やっぱり昨日テレビで見た映画みたいなのがいい。『初恋散華』涙止まらなかった。戦争に引き裂かれる恋、切ない。

主人公は良家のお嬢様で、好きな人がいるのにお見合いで結婚が決まっちゃう。相手も実は主人公を想っていて、だけど身分違いで想いを素直に伝えられないまま、特攻隊に志願して散ってしまった。お嬢様のいる国を守りたいって……。

親の決めた相手なんて嫌だけど、その不自由さとか窮屈さの中で燃える真実の愛! 私だったら絶対に好きって伝えるし志願だって止めるし、親も関係ないって駆け落ちする!

どこかに命がけの、ギリギリの恋、落ちていないかな、なんて。

「いってきます」
「いってらっしゃーい。気を付けてね」
「わかってるってば」

玄関を出て、自転車のカゴにバッグを放り込み、走り出す。ハンドルにぶら下がるヘルメットが邪魔でしょうがない。校則だから、被らなきゃ校門をくぐれない。恥ずかしいから学校ギリギリになるまで被りたくない。大人は被らないのになんでよって思う。

うちから学校までは自転車で20分くらいかかる。雨の日は車で送ってもらうけど、基本チャリ通。電車通学とか憧れる。だってコレじゃ誰かとすれ違ったって、会話どころか顔見る間もなく通り過ぎちゃうから。高校は絶対に電車で通いたい。

それに……出会いのない理由はもうひとつある。あの角を曲がれば、ほら。

「お、弥生おはよ」
「あーおはよー」
「じゃいってきま……あ! じいちゃん、やんなって!」
「んだって、やんねば草ばーっしの庭になって、お客さん来た時に恥ずかしかんべぇ」
「除草剤撒いてっからむしっちゃダメって、いつも親父に言われてるでしょ、もー」

毎朝いちばん最初に顔を合わせる同級生、幼なじみの町田晶。自転車を出しながら、庭先で草むしりをするおじいちゃんを止めている。おじいちゃん、全然やめる気なさそうだけど。

晶、背は高い。顔もまあ、奥二重の細目だけど、鼻筋は通ってるからそこそこかな。男子にしては少し長めの髪は生まれつき少し栗毛がかっていて、斜め後ろから見てる分には、イケメンだ。だけど、小説とかマンガでよくある感じの、幼なじみモノみたいな甘酸っぱい感情はゼロ。むしろマイナス方面。理由は、オタクだから。

写真オタク、っていうの? んー、昆虫写真オタクかな。前なんか、南国のナントカって国のメタリックな虫の写真なんか見せてきて、『これ、食えるんだってさ』なんて気持ち悪いことを言ってきた。中学上がる前だったか後だったか……それで家に遊びに行くのやめたんだ。

そんなオタクのくせに普通にモテるから、なんかムカツク。もっと小さい頃は葉月と一緒に3人でよく遊んでいたけど、晶がカメラにハマりだしてからつまらなくなった。気を抜いている時に限って勝手に撮るし。カメラの何が面白いのか、ぜんぜんわからない。スマホカメラで充分じゃない? しかも撮っているの虫だし、基本。

なのになぜか、最近は私の緩ショットを狙う。私は虫じゃないんですけど? 虫と同レベルってこと? 考えたら余計にムカついてきた。

「待ってよ弥生! はぁー、まじこの頃のじいちゃんやばいんだよ。5分前に言ったこと覚えてないんだぜ。つかテスト勉強やった? 俺昨日やろうと思ったらいつの間にか寝ててさぁ」

こんなのと一緒に通っていたら、出会いなんかあるわけない。私はスピードをあげて、並走してくる晶との距離を広げた。

「あ! 飛ばすんならメットしろって」
「うっさい!」

親みたいなこと言ってくるようになって、やっぱりウザい。

***

「町田ってさ、カッコ良くなったよね」

昼休み、お弁当のから揚げを落としそうなことをいきなり言ったのは、親友の玲奈。肩を少し超えたくらいの綺麗な黒髪をキッチリ二つに分けて、しかも三つ編みなんかしちゃってる。真面目か。

それでも絶対的で圧倒的な可愛さがあふれて、とどまることを知らない。制服のスカート丈も校則通りなのに、それを着こなしておしゃれにさえみえるスタイルの良さも、もう何もかも規格外に可愛い子。2年で同じクラスになって意気投合、で、今年も一緒。それは嬉しいのだけど、新学期早々に何で晶のハナシ?

「はぁ? 玲奈、眼科行くべきだよ、今すぐ、なう、今」
「今すぐ強調しすぎ。そぉかなぁ。1年の時同じクラスだったんだけど、あんなじゃなかったよ、意外と人気あるし」
「私毎日見てるけどずっとあんなんだし、全然カッコ良くないでしょ、良く言って普通。なんでアレが人気なのか謎すぎ」
「やよ、パッチリ二重とか目立つ顔好きだもんね」
「単に好みの問題だけじゃないと思うけど。なんか織田信長みたいじゃん」

ぶーっ! と、玲奈がご飯を吹き出した。汚い、だけどそれすらも可愛い。なにこの生き物。

「もーぅ、やめてよー、お弁当食べてるときにそれとか、あははっ、はーお腹痛い! きゃははっ!」

めっちゃツボったらしい。まっすぐ机に入っていた足を横にだして、前屈みになって膝を叩いて笑っている。可愛いのに、動きがオバチャンくさいのがいい。ギャップというか、安心感? そういうところ、一緒にいてすごく楽しい。

「織田! 信長! 似てるかも! 似てるかもだけど! ぷぷぷっ、でもそれ割とイケメンってことなんじゃないの」
「なんでよ、こーんな顔じゃん」
「きゃはははっ! やだー」

私は両目の端を指で引っ張って、細目を作ってみせた。玲奈が更に体をよじって笑う。

「古賀の変顔、やっぱ女捨ててるよな」
「黙ってればモテるのにな、非常に残念だよ、うんうん」
「あんたたちになんかモテたくないし!」
「ははは、男だったら良かったのになぁ」
「良くないっ、べーっだ!」

玲奈と同じく去年も一緒だったアホ男子3人組が、私をネタにする。面白いって言われるのは嫌いじゃない。むしろ好き。でもこのノリばかりしていると、女の子っぽいことするのが恥ずかしくなってきちゃう。だからずーっとこのキャラで定着してしまった。ホントはそうじゃない面だって、あるつもりなんだけど。ていうか玲奈には彼氏いるし、それなのになんで晶のことなんか。

「とにかく、晶は全然カッコ良くないと思うよ」
「そーお? 幼なじみの恋とかないの?」

私と、ってことか! 

「ない! 絶対ないから! 私はもっとギリギリドキドキの恋がいいのっ」

ないないない!
ホントないから。

「私の理想は私のために命賭けてくれる人だよ。特攻隊に志願しちゃうみたいな……」
「出たよ。やよのその想像力ってどっからくるの? 戦争起きるまで彼氏できないんだったら、やよ一生彼氏できないよー。せっかく可愛いのに」

別に可愛くはないと思う。ハッキリ顔で、どっちかっていうと男だったら割とイケメンだったかなとは思う。守ってあげたさみたいな成分が不足している感じ。玲奈は真逆で、女の私がみても可愛くて守ってあげたくなるタイプ。そんな私を玲奈がしょーもないものを見るような目で笑う。

「だって昨日の『初恋散華』めっさ泣いたもん」
「ああ、特攻隊のやつね。ああいうの観たあとだいたいこうだよね」
「死んじゃうんだよ、行ったら死んじゃうの分かってて、好きな人のために行っちゃうんだよ、凄いじゃん! そんな風に想われたいじゃん?」
「まーそれも分からなくはないけど、平和がイチバンだよ」
「まあね、そんなの当たり前じゃん。分かってるって」

分かっているんだ。平和がイチバン。安定こそ幸せ。でも、じゃあどうしてフィクションの世界はあんなにキラキラ輝いているんだろうって、思ってしまう。そんなことを考えながら、から揚げのチョイ焦げた衣を剥くのがめんどくさくなって、お弁当箱のフタを閉じた。


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