競争しながら育ったのに人と比較するなと言われるこの社会の矛盾と在るべき姿
物心ついた時から、「どっちが上手にできるかなー?」なんて、お友達と競わされて、小学校では運動会で順位がつけられる。
早く走れる人はヒーローのように扱われ、実際にかっこいいと思ったし、足の遅いわたしはかけっこやリレーが嫌いだった。(高校生の時にはこっそり代役を用意し行方を晦ませたこともある)
何故だか棒のぼりだけは速くて(前世猿かも)、練習して選抜選手になったりしていた。最速の鍵は、のぼるスピード自体速かったのはあるけど、頂上から飛び降りて着地すること。何でも選ばれたり一番になるということは気持ちいいことだった。
受験に向けて勉強でも順位がつけられようになり、「何人中何人」という結果を見て親や先生が一喜一憂し、私も一喜一憂する。
わたしは中学受験組だったので(何故か当時受験ブームでみんなが塾に行くと言うので行ったまでで、両親が教育熱心だったわけではない)、そうした競争意識というものは、小学生の時に確立していたように思う。
幼いながらにしっかりプライドがあって、みんなに負けないことを意識した。褒められたかったし、自分肯定感を高められることで安心した。
「いいよ、最下位でも」なんて言ってくれる人はいなかったし、言われても嬉しくなかったと思う。
受験の前日は不安で布団の中でこっそり泣いていた。自分から塾に行きたいと言ったのだから、親に甘えたことを言うのは自分が許せなかった。
そうして進学校に入り、勉強だけでなくスポーツや音楽、あらゆるところで競わされ、大学受験をこなし、就職活動をこなし、常に自分が他の人と比べてどうで、ボーダーに入れるか否かを気にして生きていた。
そうやって中の上だか偏差値60前後程度の人生を歩んで、それなりに満足していた。
でもある時気がついた。
「人と比べちゃいけないよ」って、よく言われるようになったことを。
ある一定の大人の年齢になって、好調だったのにつまづいた時に、ボソッと「わたしはあの子より〜」「周りはこうなのにわたしだけ〜」と言ったら、途端に怒られたのだ。
いつまでが比較して生きて良くて(むしろ勝手に比較されて)、いつからが比較して生きちゃだめだったの?
結局、一番最初から、比較して生きないのが最良だったんだと思う。
「どっちが〜」なんて言われても気にせず、ランキングがつけられようがマイウェイでいればよかったんだ。
だけどそんなこと誰も教えてくれなかったし、自分でも気づけなかったから、大人になった今、他人と比べてもどうしようもないことも、自分の成長だけを見つめるべきことも、頭では分かっているけどなかなか直せない。
そんなだから癌になったのかな、なんて思うこともある。
癌になって破談になって最大級の卑屈になるような状態に陥り、実際周りと比較して落ち込むことも往々にしてあるのだけど、”乗り越えられない試練は与えられない”って言うのが本当だとしたら、わたしが克服すべきことは癌自体ではないのかも。
自分自身の過去と現在と未来だけを見つめて、自己肯定感を高められるようになることが課題で、この試練を与えられたのではないかと思ったりもする。
幸せな時だけじゃなく不幸な時にこそ、自分の在り方だけを考え、憧れていたような他人の幸せを心から喜んであげられた時、わたしは命を終えても受け入れられるのかもしれない。
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