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"本"が出来るまで7 〜雨は五分後にやんで〜

その日の宝物は500円玉だった。
友人の車から降りて大きく手を振った後、財布を忘れていることに気がついた。Twitterや友達にこの苦難の脱出法を募り、かろうじて警察署で借りられたのがそれだった。
絶対に無くすまいと握りしめながら向かったのは浅生鴨さんのオフィスだ。
本の配送の準備をするのももちろん生まれて初めてだった。
コロナの影響もあり、ごく少ない人数で、窓もドアも全開にして梱包作業は行われていた。
久しぶりに会った鴨さんが、先に来ていたお二人の紹介をしてくれた。
挨拶もそこそこに、早速説明を受け、作業に取り掛かる。
雨に濡れたり汚れたりしないように、本を透明の袋に入れ、マステでとめるのだそうだ。
目の前には、メールで見ていたあの平面の「雨は五分後にやんで」が、立体的な形となって山積みになっていた。

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「一冊、お渡ししておきますね」
そう言って鴨さんは私に本を渡してくれた。
やっぱり、私の知っている"同人誌"ではなく、"本"だった。

あんなことしてあげる、こんなことしてあげる。優しい言葉をかけてくれる人は沢山いた。病気になったからこそ、そう声をかけてくれた人もいたと思う。
だけど、そのすべてが実現されることはなくて、私は次第に、本当に叶うその時まで、全く期待しないようになっていった。
この世の中は本当に、何が起きるか分からないんだもの。
私たち末期癌患者に「ごめんね、また今度!」は複雑な感情を抱かせる。
「もう次はこないよ」
そんな言葉を飲み込んで応える。「うん、ぜんぜん気にしないで。また今度」
人にはいろんな事情がある。だから誰が悪いとかどうとかではない。時間の概念も違って当然だと思う。
でもいろんな希望と絶望の波に飲まれすぎて、疲れてしまうのだ。

「ああ。本当に、本、出来たんだ…」

この少し前、あるコンテストの最終選考通過者発表があった。
私はなんとなくタグ付けしてそのコンテストに応募し、最終選考を通過したこともフォロワーさんからの連絡で知ったくらいだった。
「読んで欲しい」と強く思って初めて書いたものだったので、嬉しかったものの、深くは考えていなかった。
でも、そのコンテストの当落についてのツイートを見ていると、だんだんと「書く」ということが分からなくなってきていた。
「選ばれませんでした。すごく悔しい。」
「まじで残りたかった!」
「スクールに通っていたし自信はあった!」
私もその時々は一生懸命書いているけど、ここまでの"熱意"はあるんだろうか。
長年、そして毎日のように文章を書き、コンテストで日の目を浴びることを目指している人からすると、何も考えず雑記を書いている私が、こんな立派な"本"に参加させてもらったことを恨めしく思うんじゃないだろうか。

世の中は不平等だ。
そして偶然か必然かわからないけど、いろんなことが起きる。
私は元々どちらかというと健康オタクで、飲酒も喫煙もしないし、飲み物は常温かホットの水やお茶。癌家系でもなんでもないのに、なんとなく発がん性物質のあると言われるものは避け、がん検診も自発的に行っていた。
なのに、ちょうど二年前、もう完治の見込みのない末期癌だと告げられた。
こんなに健康に気をつけていたのに、なんも関係なかったじゃないか。
酒飲みまくって煙草吸いまくって、それでも80歳になっている人もいるのに。
まだ恋愛や子育て、仕事で楽しい盛りの年代なのに。
なんで?
なんで!なんでなんで!!にゃんでにゃんで!!雨は五分後にゃんでーーー!!!

ああ…宣伝してしもた…。

人生の不運な出来事は、偶然なのか必然なのか、鴨さんと話をしたことがあった。鴨さんも大きな事故を経験している。
「すべては偶然だと思う。必然だと思うと、そこに"原因"を探してしまうから」
偶然。鴨さんが大きな事故にあったのも、私が末期癌になったのも、偶然。
なんて残酷な偶然だろうと思うけど、確かに偶然だと思うと「自分が悪いわけではない」と思えて気が楽になる。
 一方で、「もし、事故の前に時間を戻せるとしたら、戻りたいですか?」
そう尋ねた時、「それは…究極の質問だよね」と鴨さんは言った。
「自分の場合は、なるべくしてなったというか、だから事故のなかった僕は、考えられないなあ。」
 その気持ちを私も分かるようになってきた。
「末期癌になってよかった」とは全く思えないけど、なったからこそ見えたこともあった。必然だとしても、今なら受け止められるような気がする。
人生は何が起こるか分からない。
みんなが自分の頑張っていることで報われればいいけど、そうじゃないこともある。
ただ、捨てる神あれば拾う神あり。
流れに身を任せて、最初は偶然だと処理した悲しい出来事も、いつかは必然だったと思える時がきたら、それでいいんじゃないだろうか。

「このショートショートと呼ばれる短さで、この後味を残せるのは本当にすごいと思う」
誰かに否定的な批評をされようとも、鴨さんのこの言葉と、「雨は五分後にやんで」は一緒に棺桶まで持っていきます。

作家になりたいとか、書くことに全てを注ぎたいとまでの熱量は、正直に言って、ないと思う。
でも、書くことは好きだし、大切な人にもっと気持ちが伝わるように向き合っていきたい。
私がいなくなった後も、前を向いて歩けるためのものを、遺せるように。
そして、知らない誰かを救いたいと思って書くわけではない文章が、誰かの救いになるのなら、それはそれでとても嬉しい。
鴨さんが与えてくれたように、誰かに与えられるものが"ふつう"な私にもあるのなら。

私はこの日、善意のみで得た(借りた)500円玉に加え、出来立ての本を新たな宝物として、鴨さんのオフィスを後にした。

鴨さんに知ってもらうきっかけを作ってくれたnote編集部さんに感謝。
そして、浅生鴨さんを知るきっかけを与えてくれた岸田奈美さん主催のキナリ杯への応募を持って完結とします。(ええ?)
鴨さんに初めてお会いする時、持って行くべきか?と書きかけたものの、これはリスペクトよりパクリなのではと処分することとなった、我が家のしゃもじも浮かばれるでしょう。

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受け取ってくれる誰かを想いながら、せっせと、でも丁寧に梱包された本と付録は、こうして旅立っていきました。
この長くて短い3ヶ月は、特別なようで特別じゃない、夢のような現実でした。

人生第二章を歩むための、なにか"きっかけ"を与えていただけたら嬉しいです!あなたの仕事や好きなことを教えてください。使い道は報告させていただきます。(超絶ぽんこつなので遅くなっても許してください)