第17話 【3カ国目マダガスカル⑤】不安を抱えた一歩「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」
朝6時前。朝焼けに包まれるバオバブを見て"ある"ことを思った。
「不安を抱えながら進むことが旅なのかもしれない。」
"そう"語りかけてきたのは目の前の景色か。
それとも二人で乗り越えた650キロという道のりなのか―
モロンダバ到着。海と焼き鳥
「海ってこんなに綺麗だったっけか―」
体力限界ギリギリで目の前に現れた「一本目のバオバブの木」。そこから、30分程掛けて街の端にあるモロンダバビーチに僕等は辿り着いた。
アンタナナリボからアンツィラベ。アンツィラベからモロンダバの計650キロの道のりを、無事原付二人乗りで完走したのだ。
時刻は丁度18時を過ぎたところである。既に大きく傾いている太陽は赤みを帯びる直前の鋭さで海に一本の光の筋を入れていた。
「この海は特別に綺麗だ。いや、海って凄く綺麗だったんだな。」
特に海に思い入れがなかった僕でも、モロンダバの海を見たときの感動はひとしおだった。
優しい波の音。徐々に暖かい色へ変化していく太陽。それを受け入れる大海。
そのどれもが、僕等の過酷な旅の終わりを告げてくれているような気がしたのだ。
そう、僕等は本当に辿り着いたのである。
650キロという途方のない道のりを―
遠慮と打ち上げ
「遠慮せずにどんどん食べてくれよ!君は朝6時から12時間500キロも運転したのだから!」
暗くなるまで海を見ていた僕等は、流石にお腹が減ったということでご飯を食べることにした。
日暮れ前に辿り着くために食事を摂っていなかったため、想像を絶する空腹に襲われていたのだ。
僕等は再び原付に跨り、モロンダバの街を適当に流した末「流行りのアフリカンミュージックがガンガンに流れるレストラン」に入っていった。
いわゆる、若者が集う食事ができるパブみたいなところで、港町特有の外壁が無く屋根の下に椅子が並べてあるレストランである。
入口では女性がせわしなく炭火で鳥を焼いている。
長い道のりだったんだ―
今日くらいこういったところで打ち上げをするのも良い。そんなことを思いながら店に入っていった。
目の前には焼鳥に手羽先、そして僕のビールにジャラのビッグサイズのオレンジジュースが運ばれてくる。
乾杯したあと、言葉が通じない僕等はフィーリングでお互いを称え合っていたが、どうもジャラは遠慮ガチで控えめに食事に手をつけるだけだ。
「今日の主役は君だから、どんどん食べてよ!」
そう言うと、ジャラは安心したのかメインディッシュとも言える手羽先にやっと手をつけ始めた。
その姿は、いくら500キロを運転してきたからと言っても「すべての費用を僕が負担していることに対しての引け目」を感じているように思えた。
そして、おそらくこのお店の会計も僕が払うであろうことを予想して遠慮していたのかもしれない。
【僕は雇い主で、彼は雇われたドライバー】
出発前に僕が思っていた気持ちを、奇しくも彼自身も感じていたのだろう。
その関係は決して悪いことではない。友情だけではここまで来ることはできなかったと思う。そこには、一種の「お金を媒介した健全な主従関係」が合ったからと言っても良い。
そして、逆説的かも知れないがそういった健全な主従関係を彼が感じているというのは、やっぱり二人の間に「信頼を媒介した友情関係」が芽生えているからだとも思った。
そういった絶妙な関係性が言葉が通じない状態で作り上げられていたのだ。
それは、「僕等はやっぱり人間同士なのだ」ということを僕に教えてくれているようだった。
「僕等は友達だよ。僕のおごりだから一緒に沢山食べようぜ。」
お金で繋がっている僕等の関係を残しつつ、遠慮気味な雰囲気を友情で埋めようと声を掛けてみる。
「うん。僕等の出会いは神が運んできてくれたものだ。僕は君を兄弟だと思っているよ。神の指示に従ったまでさ!Thank you Jesus!」
そう言って、ジャラは目の前にある料理を頬張り始めた。
(でたよ。でたよ。またJesus…Jesus…)
厳格なキリスト教徒である彼が何度も行う神への感謝に、ついおかしな笑いが溢れてくる。
「Jesus!Jesus!Jesus!」
僕もジャラの真似をして彼の大好きなJesusへの祈りを連呼してみた。
「….タケ!Jesusはそんな軽いものではない!!」
「ごめん。ごめん。」本気で注意してくるジャラに笑いが堪えきれない。
「Thank you Jesus!Thank you Jesus!」
これが本物だよと言わんばかり、ジャラはまた神に祈りを捧げ始めた。その顔は少し笑っているようにも見える。
僕はおかしくなって笑いながらジャラの肩を叩く。
僕等の中にある「二つの関係性」が綺麗に絡み合い、更に一体感を強めているようだった―
景色は何も語り掛けてはこない
「ジャラ、どうしても朝焼けのバオバブを見たいんだ―」
夕食後に見つけたホテルで別々の部屋にチェックインする前に、僕は「もう一つお願いがある」とジャラを呼び止めた。
「君の望むことだったら僕はなんだってするよ。朝の5時前にここを出発しよう。」
二日間で650キロを原付で運転して疲れているはずなのに、「朝焼けのバオバブを見たい」という僕の急なお願いをジャラは嫌な顔一つせず快く受け入れてくれた。
時刻は既に22時を回っている。
僕等二人の冒険の終わりは明日の朝まで持ち越されたのだ―
僕等の旅の延長戦
【バオバブ街道―】
「それは、名前の通りバオバブの木がいくつも立ち並ぶ一本道である」
モロンダバの街から車で30分〜40分程走らせた場所に位置しており、道も舗装されていないため基本的には4WD車を持つツアーガイドを雇わなければ行くことができない場所だ。
僕はこの"バオバブ街道の朝焼け"をどうしても見たいと思っていた。そのためにマダガスカルに来たと言っても過言ではない。
そして、ジャラの運転でここまで来た僕にとって「特別にツアーガイドを雇って行く」ということは考えられなかった。
モロンダバに着くまでこの事はジャラには一言も言っていなかったが、彼はすんなりと「僕等の旅の延長戦」を受け入れてくれたのだ。
「最高な朝焼けを見るためには、明日朝4時過ぎには起きないといけない―」
「一区切り着いた」と思ったあとの早起きに「テスト後の授業みたい」な気だるい気持ちが湧き上がってくる。
「自分でお願いしておいてそれはないな。」
疲れた身体をベッドに投げ出しながら自虐的に自分を笑ってしまう。
そんな気持ちを、「あと少し二人で頑張るぞ」という思いで蓋をして僕等はそれぞれの部屋で深い眠りに落ちていった。
絵に書いたような空
【西の空は青く。雲はどこまでも緩やかに円形に伸びている。
東の空は赤く。優しいマグマが底から吹き出ている。赤と青の境目は独特の暖かさを帯び、朝と夜の交わりを力強く光らせていた―】
ジャラが運転する原付の後ろから見渡す光景は【地球は丸いのだ】ということを強烈に主張しているようだった。
夜の薄暗さを強く残したモロンダバの中心街から見上げる空は、これまで僕が見たどの空よりも強い存在感を放っている。
僕等は約束通り、朝5時にホテルを出発して40分程掛けて「バオバブ街道」へとバイクを走らせていた。
ゆっくりと。そして、急速に登る太陽。
「頼むからバオバブ街道に着くまでは昇りきってくれるなよ」
そう思いながら、僕はジャラの背中に捕まる。
少し肌寒い朝の風に吹かれながら、凸凹の道を丁寧に掻き分け僕等は朝の6時前に「バオバブ街道」に辿り着いた―
朝焼けに包まれるバオバブ街道
【この景色は忘れることはないだろう―】
目の前には、僕の一歩では当然追いつけない程の長い影を伸ばしたバオバブがいくつも佇んでいる。
悠々と佇む数々の大木を目にし僕の中に何かが駆け巡った。
それは【ここまでの650キロ道のり】である。
待ち望んだ「バオバブ街道」の景色はその美しさよりも、僕が辿ってきた道のりを鮮明に照らしているようだった。
【景色自体は変わらない。しかし、辿り着く過程次第で景色が語りかけてくる内容は変わるかもしれない―】
原付でモロンダバまで向かうという馬鹿げた計画を立てたときの僕の気持ちが、この時一つの答えに辿り着いた気がした。
それは、【やっぱり景色自体は何も語り掛けてこない】ということである。
正直、バオバブの木を見て思うことは、「わぁ。バオバブだ。大きい。迫力がすごいし綺麗だ。」そんな程度のことだった。
しかしそれと同時に、バオバブを起点(終点)として僕等が辿ってきた道は【色濃く強烈】に浮かび上がってくるのだ。
おそらく、"それは"こういうことなのかもなのかもしれない。
【景色自体は何も語り掛けてこない。もし語り掛けてくるものがあるとしたら、それは景色ではなく"それを起点(終点)"として辿ってきた道のりなのだ】
その証拠に目の前では、決して特別な日ではないような顔で数々のバオバブがこちらを見渡している。
「はははっ。景色はどこまでいったってただの景色だよな。」
僕はそんなことを思いながら、目の前に広がる景色を忘れることのないように、焼き付けていた。
「ピピピピピ。」
横では、鳥のさえずりを真似て鳥の返答を待つジャラが真剣な顔をして耳を澄ましている。
「ピピピピピ。」
彼のさえずりに、しっかりと鳥からの返答があり笑みがこぼれる。
この景色は2人で作り上げてきた650キロの紙芝居の最終地点だ。
僕はその全てを忘れないように、笑いながらジャラの肩を叩いていた―
不安を抱えながら進んでいく
「不安だらけだった。辿り着くまで不安が消えることなどなかった―」
この旅を一言で振り返ると【不安】という言葉しっくりくる。
原付きを購入した瞬間。原付が壊れた瞬間。ジャラが原付を持って帰った瞬間。ジャラからモロンダバまでの案内を提案された瞬間。二人乗りのバイクに跨った瞬間。アンツィラベに宿泊した瞬間。大雨に吹かれた瞬間。
振り返ると、【どの瞬間】にも僕は【大きな不安】を抱えていた気がする。
そして、その【大きな不安】が「バオバブ街道」を起点(終点)に大きく輝きだしていた。
【旅は不安を抱えて進むものなのだ。だから大きく輝くのかもしれない。】
そんなことを思いながら、僕は旅の先人たちに思いを馳せていた―
それでも一歩を踏み出していたのかもしれない
「紙の地図だけで進んでいた彼ら―」
僕は20歳くらいの時に読んだ「ある旅人の本」に影響を受けて、世界一周を志した。
当時の旅のスタイルは当然アナログで、自分が進む道も全て手探りだったに違いない。
言葉にはされないが、そこには【自分が何処に向かっているか確証が持てない大きな不安】が付きまとっていたはずだ。
それでも彼らは、不安な道のりに足を踏み出していったのだと思う。
時には自信を持って。時には投げやりに。時には挫けそうになり。時にはどうにでもなれと。時には人に騙されて。時には人に助けられ。そして、時には人を助けながら。
【「不便さ」には人との交流を生み出す力がある】
だからこそ、彼らの物語は時代が変わっても色濃く僕等を楽しませ何かを与えてくれているのではないだろうか。
今の僕はデジタルの世界を抜ける事はできないけれど、少しだけ彼らの旅に近づけたような気がした。
【不安】はどこまで行ったって拭うことはできない。
しかし、【不安】を抱えて進むことが想像してなかった何処かに僕を連れて行ってくれるかもしれない。
それは、時には大きな失敗を与えてくるることもあるだろう。それでも、【不安】を抱えて進むことには自分の世界を広く切り開く力があるはずだ。
調べればある程度の【不安】を取り除くことができるこの時代に、僕は大きな"何か"を教えてもらった気がする。
横では鳥と会話しているマダガスカル人が真剣な顔をしている。
僕は、彼に感謝をしながらこの【650キロ原付二人旅】を締めくくろうと思う―
◆次回
【モロンダバでの堕落した日々。そこで生きる人々との交流―】
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