サラリーマン生活に終止符を打ってからの波乱万丈の物語スタート
独立という夢と安定という魔力
私は何の学歴もなく、自分の好きだった洋服の仕事がしたいという思いから、21歳の時にアパレル企業に就職。以来、約20年間休まず働き、順風満帆のサラリーマン生活を送っていた。
マネージャーとして順調に昇進し、給料もアパレル業界の中ではかなりもらっていたほうだと思う。好きだった洋服に囲まれ、さまざまな経験をしてきたのは言うまでもない。ファッション的なセンスや知識、顧客への販売スキルや関係性構築、組織運営のノウハウと経験、上げだすとキリがないほどたくさんの経験をしてきた。
だが、長期間「自分の力を試したい」という欲求は確かにあった。
会社の看板を掲げた下での仕事は自分の力ではない。看板が無くなっても自分はやっていけるのか。そんな疑問は常日頃あり、チャンレンジしたいという欲求は常日頃あったのだ。
私には妻と娘という家族がいる。そして当時は介護が必要な母親もいた。介護にはなかなか時間とお金がかかるもので、家族のせいにしていいものではないが、なかなかチャンレンジするような判断には至らなかった原因になったのは事実だ。
そんな中、昨年母が亡くなった。67歳だった。現在の平均寿命を考えると早すぎる死だろう。癌と若年性の認知症を患い、私は長らく介護に奔走していたこともあり、悲しい感情とともに、非常に悪い表現なのかもしれないが、肩の荷が下りた感覚もあった。
コロナウィルスの蔓延とも時期が重なり、職場は混乱していた。アパレルの現場も十分に感染症の影響を受け先行きの見通しが立っていなかった。
母の件があり、何をやっても、どこにいたとしても先行き不透明な時代で、独立のチャレンジをするのはリスクは高いが、それは会社にいても同じことではないか。そんな風に考えた。やるのは今しかないのではないかと。
ただ、独立すると言っても「何で独立する?」という問題は以前からあった。アパレルのマネジメントで独立するなど、自らのブランドを作って店を開業する、というような商売はやるつもりが無かったからだ。
私は長い職務経験を通じて人と人との関わり合いが最も重要なことなのだと認識している。事業を行う上で人間関係を最適化することは最も重要なビジネススキルだ。それは性格や相性といったものだけではなくスキルも最適化する。最適な専門家をつなげるトランザクティブメモリのようなものだと認識しているが、適材適所に振り分け、事業を最適な方向へ導く仕事は総括するとコンサルティングになるのではないか。そのように考えた。
とはいえ、アパレル企業内でそのような実績があったとしても、社外では何の実績もない、何の資格もないアパレル出身者がいきなりコンサルと名乗り、仕事を得ることは至難の業だ。信用の裏付けがないまま、高いコンサル料を支払う企業などどこにもないだろう。
そんな風に考えている中、友人が経営する会社に独立前提で世話になろうかと考えた。その会社は様々な企業コンサルを行う傍ら、メディア事業や地方創生事業や教育事業など幅広い事業を行い、企業とのかかわりも幅広い。
そして、勇気を出して20年間のサラリーマン生活を終え、その会社に世話になることになった。安定という魔力を取り払い、自分の力で歩みだした第一歩だった。
ここからが現在進行形での波乱万丈の人生が始まる。