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激動の初日

成田空港を飛び立った8時間後、目が覚めるとそこはもうバンクーバーだった。

寝起きのぼんやりした頭で入国手続きをする。コンビニにある発券機のような機械で、言われるがまま写真撮影や指紋登録を済ませた。
私がこのバンクーバーでやるべきことは、あらかじめ印刷してきた就労許可通知書 (Letter of Introduction) を、発給されたビザと引き換えてもらうことだった。
預け入れ荷物を受け取るバゲージクレームの右手側に、移民局のオフィスが見えた。列を成すアジア人の最後尾に加わる。

前に並んでいたのは中国から来た3人家族。母親、父親、14歳くらいの息子だったが、誰も英語を話せないようだ。
突然「ちょっとあなた、通訳できない?」と若干イライラしているオフィサーに声をかけられた。
驚きつつも、赤いパスポートの表紙を見せ「私、日本人なの。中国語は話せない」と伝える。オフィサーは眉間に少し皺を寄せて「あらそうなの?…ごめんなさいね」とちょっと気まずそうに謝った。
依然として目の前の家族は困っている。聞かれているのは「就労ビザか、学生ビザか」というごく簡単な質問だ。私は持っていた自分の就労許可証に「労働/学生」と走り書きして、家族に見せた。指差しで確認したところ、夫婦は就労ビザ、息子は学生ビザとのことだった。私は、夫婦には「work permit」、息子には「student」という簡単な単語を繰り返して伝え、なんとか覚えてもらった。
その後カウンターで無事に手続きを終えた3人は「センキュー、センキュー」と笑顔で手を振りながら、出口の方へと消えていった。
「student」も分からないのに就労ビザって、これから一体どうやって生きていくんだろう…と一瞬思ったが、それでも何とかできる強さを、これまで出会ってきた中国の人たちは持っていたことを思い出した。お金や人脈、持ち得る武器は全て使い、自分の目的や信念を曲げることなく、へらへらっと笑顔で困難を切り抜けてしまう。彼らの柔軟で強かなところが、私はとても好きだった。
この家族もまた、そういう強さを持っているに違いない。心の中で「お互い異国で頑張りましょうね」とつぶやき、小さく手を振り返した。

自分のビザを発行してもらった私は、その足でSIMカードの販売カウンターに向かった。日本から契約できる会社もあったけれど、現地でプランを比較してみたかった…というのは大嘘で、あまりにもぎりぎりで準備し過ぎて、出発日までに契約が間に合わなかったのだ。
結局現地のカウンターで、Bellというカナダの大手キャリアと契約してもらった。

持ってきたスマホは、かつて父親が使っていたiPhone11pro。これまで私はiPhone8を7年近く使ってきた。世界がiPhone15で賑わっている中、時代遅れの機種変更である。

新しいSIMカードを差し込んでみたものの、なぜか新しいスマホが使えない。よく見ると、2021年に廃止されたはずの「SIMロック」がかかっていたのだった。
あまり慌てることがない性格だと自負していたが、このときばかりは少し焦った。
「お母さん、私に渡す前にSIMロック解除してあるって言ってたのに」
苛立ちを覚えたものの、よく考えれば、最後の数日で慌てて用意し、自分できちんと確認しなかった私が悪い。
気を取り直し、ちょうど朝を迎えた日本の母親に連絡して、遠隔解除の手続きをしてもらった。

ロックが解除されるのを待っている間、これ以上スマホの心配をしても仕方がないので、空港のラウンジで20ドル支払い、十数時間ぶりにシャワーを浴びた。
さっぱりした後は、「kijiji」というカナダの掲示板とFacebookを使って、立地や家賃などの条件が良さそうな部屋をいくつか探した。そして各家のオーナーに「内見させてくれないか」という旨のメッセージをひたすら送った。
そうこうしているうちに、SIMロックの解除が完了したようだった。ようやくカナダで暮らしてゆくための命綱を手に入れることができた。

SIMロック解除に加えて、AmazonやFacebookの2段階認証の解除にも大変手こずった。どの事前情報にも書いていなかったことで、想定外のことだった。
賃貸契約会社が存在せず、オーナーに直接問い合わせなくては行けないカナダでは、特にFacebookが使えないと先に進めない。
これらのサービスへのログインは、日本の携帯電話番号に紐づいたSMSが使われる仕様だ。あらかじめ日本の通信キャリアで海外データローミングを契約していないと、2段階認証ログインができない。慌ててカナダで海外データローミングの手続きをしようとしたが、au系列回線での契約には、携帯番号を使用したログインが必要だった。
サービスに登録している2段階認証用の番号をカナダで取得したものに変更しようにも、そもそもサービスへログインできなければ会員情報は変えられない。もちろん空港のWi-Fiだけでは、SMSを受信できない。
もうどうにもならなくて、途方に暮れた。
私は2段階認証解除のためにあの手この手を尽くし、結局4時間ほどを費やした。

本当に面倒なことが多かったけれど、不幸中の幸いとも言えるだろうか、バンクーバーでの乗り継ぎが10時間以上あったおかげで、現地到着前にさまざまな問題を解決することができた。

さらにホワイトホース到着当日、乗り継ぎ時間に連絡したオーナーの1人から連絡をいただき、初日に内見して、その日のうちに賃貸契約してもらうことができた。もう奇跡でしかない。
賃貸契約を即決できたのは、カナダでのワーホリ経験がある親友の夫から「家のデポジットや最初の家賃を現金で払うことがあるので、3000CADくらいキャッシュを持っておくといい」とアドバイスをいただいていたおかげだった。
本当に多くの人やタイミングの良さに助けられた1日だった。
流石に疲れて、夜は12時間も眠った。

今日は2日目。
SIN(マイナンバーのようなもの)の発行と、銀行口座の開設をしたら、いよいよ仕事探しが始まる。

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