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「お互いさま」でいいじゃない

今日のモヤモヤ。

ほんの些細なことで、嫌味っぽいことを母に言ってしまった。

別に大したことを話していたわけではないけれど、私が話している途中で、テレビ番組に意識を逸らした母が何も返事をしないことが何度か続き、思わず「また聞いてない」とぽつりと呟いた。

人間というのはそんな小さな呟きには敏感に反応してしまうようで、母もその例に漏れず「なにか言った?」と語気強く返された。
うんともすんとも相槌がないことに少しムッとしただけだった私は「別に大したことじゃないしもういいよ」と返せば、どうやらそれが母の逆鱗に触れたらしい。

「大したことじゃないならそんなこと言う必要ないでしょ!?」
「あんたからしたら返事をしなかった私が悪いんでしょ!?でも私からしたらそんなこと言っといて結局何も言わないあんたが悪いよ!」

と苛立った形相で言われた。

そう言われて心がざわついた。
まるで、どちらか一方が100%悪いと思っているような言い方に強い抵抗を感じた。

私は母が悪いとは思って嫌味らしいことを言ったわけではない。
ほんの些細な独り言程度のぼやきが母に届いてしまっただけ。
嫌味を言っておいて結局話さない私が悪いとか、聞いてなかった母が悪いとか、あるいは母の気が逸れた原因のテレビが悪いとか、そんなことは思っていなかった。
むしろ何かが悪いとすら思っていなかったし、被害者ヅラをしたいわけでもなかった。
ただ今回のことを善悪で判断するならば、どちらか一方が悪いわけではないと思う。

人と人が揉める要因がひとつであること、どちらか一方であることはごく稀だと思う。
今回の出来事を例に挙げるなら、

・母の気が逸れているのに、話し続けた私
・私が話している途中なのに、テレビ番組に意識を逸らした母

それぞれ悪いところがあった。
どちらが悪くてどちらが正しい(善い)かなんて決められるものではないと思う。
「お互い悪かったね」でいいと思う。
人間関係において、善悪の二者択一である必要はないし、むしろ人と人の関わり合いに正解なんて存在しない。
その人、そのときに合わせた千差万別の答えがあるものだ。

話は少しズレるけれど、私が好きな小説の一節にこんな言葉がある。

「喧嘩って、どっちがどれだけ傷ついた、傷つけたって話になると泥仕合になって終わらないわよ。どっかで手打ちにしないとね。」

別冊 図書館戦争I 図書館戦争シリーズ⑤/有川浩

どちらか一方に完全に合わせるだけでは、きっとそのうち限界がやって来る。
それぞれの善し悪しを受け入れて、お互いが受け入れられるラインを探って見つけていくことが、良好な人間関係には必要不可欠なんだと思う。

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