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「努力」は裏切らないけど、「努力をしていると思いこんでる自分」は裏切る

世の中で「努力」って言葉は、やたら尊ばれたりしていて、努力がえらく持ち上げられてることにもやもやしている人って結構いるんじゃないかなと思います。

だってほら、「努力は大事かもだけど、努力したからって必ず得られると限らない」みたいに感じちゃうわけで。

そんな感じで、努力って、結構ややこしい話でありまして。

みんな、別に努力そのものってきらいじゃない人が多いんすよね。
「努力したら報われてほしい」とか思ってしまって、その辺でややこしくなるだけの話で。

報われる報われないってより。
「努力しても、その努力がつぶされて自分が踏みにじられちゃうんじゃないか?」
「努力したところで自分が達成できないんじゃないか」
っていう恐怖や不安が問題ってことが多いようです。

あと、努力の仕方がそもそもわからんって人がすげえ多かったりもします。
努力の手順は、かなりの部分を学校で習うんだけど、その辺でうまく乗れないと、すげえ投げ気味になりがちです。

ホント、作業や努力そのものって、意外なくらい、みんなそれなりに嫌いじゃなかったりするのですけどもなあ。

で。

努力が無駄か無駄じゃないか、という意味で言う話であれば、努力に無駄なことはないです。

努力したら必ずなにか時間を使っているので、時間分の効果が必ず発生します。

ただですね。
現実って完全フリースキル性のRPGなんです。
どんなことにでも勝手に経験値が発生します。

そのため
・超絶的に非効率
・あまり目的に合わないスキルに経験値振る
・ルーチンワークとして「成長せず同じことを繰り返すスキル」に変更する
・30年ぐらい鍛えないと使いにくいスキル
だったりするだけでして。

特に、同じことをひたすら繰り返し、なにも学習しないまま、延々と同じことばかり続けては成長しないと嘆くってのはめちゃくちゃ多いです。

だから、使い道は必ずありますが、自分でゴミスキル認定したり、努力してるのに成長しないと勘違いしてしまいがちで。
自分で経験を黒歴史化して捨てがちなだけです。

やらかしたって、それはそれで「いい経験で人生の代えがたい時間で、思い出であり大事な結果」なんすよ、ホントは。
その時間は自分自身でもあります。

だから、その時間を馬鹿にするってのは、無意識のうちに「自分への侮辱」になるんですな。

負けた自分は誇っていいし、誇るべきなので。


■努力で得られるもの

ただですね。
努力でだいたいどこで困るかといえば、努力で得られるものが自分でなんだかわからんことです。

なので。
努力という過程において、どこが最も大事かっていったら

「セルフフィードバックの確認をめちゃくちゃすること」

です。

要は、RPGみたいに、経験値の数字やグラフが存在しないので、あとどれくらい経験値得ればいいのか、どれくらい進んでるのかってのが、なかなか確認できません。

みんなそこで困っとるだけなんですな。
そのため、現実では、自分の状態を自己確認するってのがめちゃくちゃ大事です。

「自分は進んでいると確認」ができるのであれば「努力の甲斐があった」となります。
「自分がなんだかループしている確認」ができれば「あれ、この方法ってあまりよくないんじゃね?」となります。

努力が上手い人や慣れてる人ってのは「努力が正しければ一定の量は進める」絶対的に信用してるので。
「もしうまく進んでいないのであれば、自分の努力の方向性や方法論がミスっているだけで、努力そのもののせいではない」と考えたりします。

つまるところ。
「何かがうまくいかないときは、自分のやり方や方法考え方の問題であって、努力そのものはちゃんと効果がある」
という論理的な思考です。

逆に、努力がうまく行かない人の場合。
「努力はちゃんとしているのに、自動的に身につかない。自分には才能がないのではないか」などと考え出してしまいがちな傾向があります。
方法や思考、方向性や目的、アプローチの手段などについてあまり吟味しないまま、自分のやってきた量や時間など、とにかく努力の内容に関係ない、対外的で相対的なものに依存しがちです。

でも、努力って、量や時間はかけてもいいから、結局「結果としての成長」が欲しいのであって。

やたら仕事時間だけ増やして残業を自慢するけど成果が上がらない、みたいな、セルフブラック企業な状態には誰だってなりたくないわけです。

ってことで。

適宜「自分のやり方やスタイル、獲得したと思っている知識や方法は正しいのか、ちゃんと進んでいるのか、新しいことは覚えたのか、基礎は最っ確認したのか、など常に確認し続ける」必要があります。

ぶっちゃけ、基本的には学習なので。

学習である以上、何度も覚えないといけないし、覚え間違いや勘違いを直さないといけないし。
未熟なときに見つけた世界の真理とかって、あやしげな陰謀論レベルでかなり間違っていることがほとんどなので、そんなものに自分が振り回されても嬉しくないことになります。

まあ、とにかく

・無理しない
・とにかく復習と、基礎の再確認をひたすら繰り返すこと。
・あまり変なふうに我慢しすぎない
・自分に言い聞かせない
・一度覚えたことや癖、自分の感情、希望を信用しすぎない
・無理しない
・一個でもいいので段階的に進める
・難しい事に挑戦するより、出来ることの組み合わせを大事にすること
・やってみてできなかったら今は無理だと諦めること
・だから無理するなって言ってるだろ

コレがすべての努力の基本になります。

だいたい、無理して出来ないことをやろうとして玉砕。
そういう無理は、難しすぎるために何をやっているのか自分で把握できないため、学習効率も低いです。

そのうち、やりたいことが出来ないので心が複雑骨折を起こしてきて、だんだん投げ気味になり、学習を捨てただただ同じことを繰り返すルーチンワークになっていく。

自分は最高だと思っていることがうまく行かないと心が辛いので、自分に繰り返し欺瞞を言い聞かせてしまい、だんだん思い込みがつよくなって、資料ですらまともに見られなくなっていく……

というのがありがちなパターンです。

せつない。

そうならないために、自分が今何をどれくらいどう進んでいるかを確認するのが努力における最大のコツです。

また、無駄があったり迷ったり遠回りしても、それはそれでその方法でしか得られないものがありますので問題なさ。

別に、いつもいつも新幹線の旅がいいわけじゃないので。
自転車で旅行すると時間かかりますけども、特急では体験できない情報だって色々得られますからな。
一見すると無駄、ってのはどっかで生きるものなので、ちゃんと受け止めて捨てないのが大事です。

自分の大事な人生の時間ですからね。
魂ってそういうもんです、案外。


■努力の報酬は自己に設定するモノ

よく努力が報われる報われないって話がありますけども。

基本的に、努力ってのは2種類の報酬があります。

・自己の状態変化(基本的に自己確認)
・他者にわかる形での対外的な成果(相対評価)

そして、ここいちばん大事なんですが。
努力っていうのは基本的に自己に対してするものです。

つまり基本的に前者でして。
そして「自分が、頼まれもしないのに、勝手に好きにやるもの」っていう性質があります。
強制的にやらされるうちは、あれは義務とか強制でやらされてるだけなので、努力っていう話ではないんですな。
(努力は、基本的に自分から選んでするものなので)

そのため、その他の外的な成果などは、二次的なものになります。
(対戦のあるスポーツ等だと勝負事なので、そこについてはまた別の観点もありますが)

なので。
自分がどれだけ育ったか、というのを基本の目安にします。
コレが出来ないと、努力ってのはめちゃめちゃ苦しい上に、自分が何やってんだかどんどんわかんなくなりやすい性質があります。

ここで報酬を「自己確認による状態変化」でなく「他からの相対評価」にしてしまうと、他人や物事の相対基準って毎回全員違うので、評価軸がばらばらで混乱しやすいんですな。

更にいうと、他人はとにかく「一定の成果がわかりやすく明確に示されないことには、かなり容赦しません。」
どんなに何をしていようと、結果に反映されないものについては、基本的には周囲からまったく評価されないものなので、まあとにかく反応はあまりよくないです。

つまり。
かなりの上級者やプロレベル、もしくは明確なわかりやすい結果にならない限り、基本的にスルーってことが起きます。

わかりやすい例では、いくら頑張って料理しても、他人から見て特別な美味さに反映されてない限りは「普通の味」です。
味に反映されない限り、たとえ恋人が作った飯でも、普通の味は普通の味なので。

別に、多くの物事はそこまで上級者にならなくても、個人的に目いっぱい楽しんでいいはずなのですが。
自炊なんて自分がそこそこ美味しく食べられればそれでいいですよな?

でも、反応などの対外的な評価や成果に依存してしまうと、まあ、基本的に評価されにくいです。
基本的に、店などプロの味を上回らなければ、美味いとは言われません。

ここでたぶん、自己不安な人は「自分を信じない」ので「自己評価を信用せず」に「他人の評価に頼りがち」になる傾向があります。
こんな状態はつらい、つまらない、どうしたらいい、自分は何なんだっていう自問自答に陥ってしまいがちでして。

それをごまかすため、別の依存先として
・独自路線でわざとマイナーなものを選び、少数派を気取る
・努力なんかくだらない、と見下したスタンスにする
・流行は低俗として、評価対象ではないことにする
・高尚さがないものは、評価されても意味がないことにする

などなど、様々な評価をされなくていい理由を作り出します。
もちろん、自己欺瞞以外の何物でもないのですが。

だって「誰でも、めちゃめちゃ評価されたいし、成果出てほしいし、売れたい」と思うんですよ_(:3」∠)_
流行の発信側として尊敬され、メジャーでみんなに真似される側に行きたいと思うんです。

なのに、そこで報われなくていい理由なんか作っても、仕方ないんですよな。

だって報われたいんですもん。

いくら、自分がやってるものは高尚で理解されにくいものなんだから、とかごまかしてみたところで。
それなら「その高尚で理解されにくいものを、わかりやすくするのが考え方であり、実力や腕なんじゃないかな?」って話でして。

そんな状態のまま、自分で自分を騙そうとしていると、時間とともにどんどん感覚が歪んでいき、そのうち何が正しいんだかわからず、何も信じられないまま迷子になります。

でも自分に責任取れるのは、やはり自分なので。

たとえそうなっても戻る気さえあるなら戻れます。
時間がかけてしまうと慣れてしまうので、なかなか戻りにくいのですけど。

それでも、その気さえあれば

ただ、そこで。
残念ながら、自分に自信がないことで、やっぱり責任取りたくなくいあまりに黒歴史にしてしまい「自分の大事な人生の時間を否定する」ことで、さらに蓋をして自己を保とうとしやすいっていうワナもあったりします。

けれど、そういった人生の時間も、ガチで自分の大事な血肉で、尊い時間なので、あんまり自分を嫌わないであげてください。

よくないときの自分を見捨てないであげてくだされ。
マジで、心が無意識の軋轢で悲鳴あげますんで。

人生って、一見すると無駄な時間だと思うことを、どこまで楽しめるかで結構、接し方が決まってきやすいです。

まあ、人間なんてそんなものなので。
ごまかしたり迷ったりしつつ、どうにか過ごすもんじゃないですかね。
そこを否定しすぎず、その上でその結果をどう使うかなので。


■耐えるのではなく、どう受け入れるか

それはそれとして、我慢は体に良くないので、

なんか「耐えてるな」って思い始めたら、そういう努力は無理にがんばらないでも大丈夫です。

出来ないのが今の実力って場合、そこで辛くても頑張るのは結構きついので、無理に出来ようとしないでください。

出来ない自分を認めるの大事なので。

結構色々と上達し終わってから、後で取りに来るアイテムって場合もあります。
逆に、乗ってる時は多少やりすぎても平気です大丈夫。

まあ、必要な部分は結果的に面倒でもやるしかないこともあるんですが。
それは無理とはまた別で、「必要ならまあ、いつか通るしかないか」ってやつです。

ただ、趣味の場合。
すべてを必要なことだけで構成しなくてもいいんじゃないかな、って思います。

基礎が大事なのわかってるけど放り投げたいし、なんであのときやらなかった……ってなってもいいんですな。
人間とか世の中ってそんなもんなので。

でも、やりたくなかったんだから、仕方ないです。
そういうときは、やりたくない自分に責任持てばいいだけです。
後から「あー、あの時にちゃんとやってればなあ……」って拾えばいいので。

ダイエットと一緒で、自己回収する必要があるだけですw

まあ、多少ハメ外したところで、困るのは自分だけなので、堂々と困れば良いんじゃないかなあ。

そして、とりあえず困ったら自己ステータス確認です。

このとき「自分はどうせだめだから」「どうしてストイックになれないんだ」って考え出すと、状況や能力に関係なく、勝手に「自分を最低の人物に変換してしまう」のであまりおすすめしません。

そもそも、人間なんてストイックじゃないし間違いまくりますので_(:3」∠)_
そんな自分が色々と失敗をやらかすなんて、まあ当然なので。
最初からわかってたことで、今更くよくよすることでもないんですよな。

どうせ放っておいてもやらかすので、受け止めて、回収すればいいので。

なので、駄目でも良くても、結果を受け止めて、丁寧に確認していくのが大事です。

嫌な結果だからと無視しても「自分の無意識は、そういうところちゃんと知ってる」のですな。

同様に、「明日から本気出す勢」も、現実をスルーして、とにかく都合よく理想の最高値を考えすぎです。
現実をごまかして見ないようにする、って意味ではどちらも一緒なので。

とにかくちゃんと自己確認しましょう、大事。

だいたい「出来てない」は思ったより出来てるし、「出来てる」は思ったより出来てないので。

そして、成功失敗って短絡的に考えがちなんですけども。

成功そのものが失敗の理由になる場合もあれば、失敗そのものが成功の理由になる場合もあるので、一概に判断できなかったりします
まぐれのホールインワンは人生を狂わせるし、ボックスガチャ的なものであれば、外れることで徐々に当たりが近づくので。

過去は使い方次第だと思います。

とりあえず
・一個でも新しいこと覚えたり、たとえダメなことでも発見できたら勝ち
・ダメと思えることは、成長の余地あり
・案外、その気になれば割と変えられる
・コレしかないと思わない
・作業できる時点でえらい
・今すぐ対応できそうなことだけ考える
・今すぐ行動できない悩みは考えない
・同じ繰り返しの慣れで済まさないようにするのが成長
・上限よりベースアップ大事
・チャレンジは楽で簡単なものから 
                                                                                                                                                   でもOK

なんにしてもまず、自分を見捨てないであげてくだされ。
行動を起こせる時点で、それは当然じゃないので。
行動できるってのはそれだけでパワーいるんです。

また、自分に変に言い聞かせなくてもいいし、その時点で自分を褒めてあげてください。
基本的に「今の自分をそうじゃないと騙そうとしなくていい」ので。

持ち上げない、落とさない。
現状のそのままって大事なんです。
ただ、自分がダメだと感じてるからって、それが正しいとは限らんし。
自分が思ってるより、案外、自分は行動してたりするし。
自分で思ってるより、以外と、自分は何もしてなかったりもします。

そういうのをちゃんと丁寧に、過不足なく自己チェックする。

ってのが努力の基本です。

ただし、答えを他人に求めてもダメだったりもします。
他人は他人の都合でしか判断しないので、あなたの基準には従ってくれないです。
アドバイスしてくれたりはしますが、参考には出来てもそれ以上ではないので、自分に合わせるには自分で処理するしかないです。

要は自己チェックって、ある意味ではインディアンポーカーなので。
自分のカードは自分でなかなかわからないんですが。
周囲の反応や状況、自分との対話などを確かめつつ、適宜、実践や結果っていう形で答え合わせするんですな。

なので、成功や失敗ってのはあまり申告になるものじゃなかったりもします。
単なるダイエット中の体重計の数字と同じなので、それ以上にするのもそれ以下にするのもおかしくなりやすいので。

自分判断大事。


■物事は出来て当然じゃない

よくハマるのが「それくらい出来て当然」って思いがちで、自分の成果をスルーしがちなんですが。

物事ってだいたい、どれもこれも当然じゃなかったりします。

たとえば多くの飲食店。
その「当然」を他人にしてもらいに来るところだったりします。
それに、電車に乗るだけでも、それは誰かがちゃんとやってくれてるからですし、乗客がいて、はじめて電鉄会社も運営できます。

だからたとえば、自販機やコンビニで飲み物買うとき、それは世の中を動かす成功体験だったりします。

実際、災害などでコンビニやスーパーの物流がやられたりすると、当然が当然じゃないことを意識するんで。

怪我した時、それがどれだけ当然じゃなかったかを、意識すると思います。
だって、骨とか折らなくても、ちょっとしたささくれ程度でさえ、日常がストレスまみれになるんで。

案外、世の中って当然じゃないんですわ。
誰かが、その当然を維持するために頑張ってるし、健康はありがたいし、それって当然じゃないんですな。

学校言って勉強するのも。
会社行って仕事するのも。
家で家事をするのも。
五体満足でうまい飯がうまく感じるのも。

どれもこれも当然じゃないんですわ。

なので、なにか出来る自分はもっと褒めてあげてください。
毎日ご飯とか作ったり食べてるだけで、それは世の中を動かしているので。


■努力は、努力せずやるようにする

意外かもなんですが。
努力って割と、みんな、それほど嫌いじゃないんですよ。

むしろ、場合によっては結構、好きな場合も多いです。

例えば、ゲームその他などで、上達するの好きだと思います。
レベルアップも好きだと思うし、実績解除もそんな嫌いじゃないと思うのです。
自分がだんだん、何かを上達したり実行できるようになることも、楽しいと思います。

要するに。
目標がわかりやすく、手順と成果が確認できている状態にあれば、努力って割と楽しい場合が多いんですな。

そういうときの努力って「気が向いてるからやってるだけで、特に努力してる気はあんまない」ように感じると思うんですが。
でも、努力って割とそういうものなので。
「ついうっかり」で実行するの、だいじ。

ただ、努力って、基本的に、何らかの実行コストを払うんですが。
リターンと目的、手順が明確であれば、実はそれほど苦痛じゃない場合が、かなり多いです。

人間、何かを得ようと思うとき、仕方なく労力コスト払います。
そのコストを無償で払っていいから「なんか得たいって部分」に対して「明確なリターンがあると感じている」場合。

割と人間は進んで努力をします。

例えば、何でも努力なんですよ
喉乾いて飲物買ったら努力。
本を読む時、ページをめくって読むのも努力。
自炊でご飯作るのも努力。

世の中はいろんな努力と成果で溢れています。

で。
努力が苦痛になるときって、コスト支払い状態が続くときなんですな。
成果がよくわかんなくなると、人は努力を嫌がります。

裏を返すとですね。
努力が上手い人ってのは、「自己の検分」をしっかりやってるだけなんですな。

努力が続く条件は「手順と目標と成果」ですから、その成果を、すぐチェックするんです。

要はステータス見て経験値の数値確認みたいなことを、何やるにしても毎回やるんですな。
レベルアップしてなくても、失敗しても構わなくて。

知識が増えたかどうか、経験がつめてるかどうかをいちいち確認します。

何をやってても、経験値として捉え、常に自己チェックを繰り返す。
これをやってると、だいたいのことはどれもこれもいい経験なので。
割と、リアルに死にかかってても、悲しいことやつらいことが起きても、それを受け止めつつ、じゃあどうするかだけ踏まえてればいいので。

そういう、ナチュラルに、とりあえず毎日生きてれば全て努力、みたいにしておけると、人生が楽しくなりやすいかなーと思いますがどうでしょ。


■自己評価が低い場合は努力がしづらい

これが、自己評価が低いなどする場合。
自己ステータスを固定化で決め打ちしてしまい、とにかく自己チェックによる自己の状態を知るのが怖いってのがネックになります。

「自分は駄目」という設定、もしくは「自分はまだ本気出していないだけ」と自己設定することによって「現実から距離をおく事による無敵の防御姿勢」なんですが。

代わりに、自己チェックが全くできなくなるんですな。

なにせ、仮の数値をはめ込んで「こういう状態だから仕方ない」で、全部済ませようとするスタンスなので。
そこから一歩でも動こうとすることは防御姿勢を崩すことになります。

ただ、そのまま、基準を歪めていってしまうと、自分が自分で苦しくなりやすいので。

そのへん、どこかで「自分の状況確認をしていけるようにするかどうか」になります。

結局、自分の立ってる場所がどこなのかは自分で確認するしかないので。
おっかなびっくりでいいので、少しずつ足元の確認できるといいよねって思います。

別に強くなくて全然平気でして。
そもそも人間なぞ強くないので。

じゃあどうするかって言えば、基本的にひたすら、我慢やストレスの原因になることを最初から抱えないようなスタンスにしていきます。

最初から我慢しない。重くなる前にさっさと吐き出す。
ストレスになる前に実際に聞く、話す。
聞かない出さないなら、それは自己責任なのでさっさと諦める。
すぐ解決できないことや行動しないことは悩まない。

とかやってると、楽になりやすい模様。

後は、SNSなどで見ますが「反応欲しさに他人を人柱扱いしない」こと。
反応というのは、他人がしたいから勝手にするもので、自分にどうにかできません。
能動的な反応ってのは基本的に労力なんで、やっていいと思ったときにしかしません。

「反応がない反応(受動的な反応)」ってだけでも感謝なんですよ、ホントは。
見てくれたらそれだけで良いことで、そこから先の行動は相手にお任せです。

「自分の記事にいいね押してもらえないと、不機嫌になる上司」みたいな人にならないようにするの大事。


■まとめ

なんにしても。
・一人じゃなく、多人数の人が実行できていることは、自分にもそれなりに実行方法はある
・残念ながら、いまの自分はまだその方法を知らないだけ
って事実は伝えておきたいと思います。

要は
・とりあえず目標を決め打ち
・地道に丁寧に、一つずつ手順を追う
・実践しても結構失敗するので、原因を探る
・仮説を立てて、また準備をする
・なにか結果が発生して、それを確認することが成功
・未熟だから思い違いもよくあるし、適宜、変えたり戻ったりしていい
・未熟だから結構な拾い漏れがあるので、戻って取りに行く
・基本的に、頑張らないでやれるぶんだけやる
ってのが把握できてれば、いいんじゃないでしょうかしら。

努力でだいたい困るのは、目標の決め打ち出来なかったり、アプローチや考え方が固定化して変更できなくなったり、拾い忘れの復習をサボりがちなことかな。

でも、みんな、言語みたいな超絶複雑なもの使いこなしてるんで、能力的には全然大丈夫なものがほとんどですよ!

あと、こういうこと書くと大体「できるやつはいいよな」みたいに言われること多いんですが。

逆です。

もともといろいろよくわかんからこんな説明するようになったので。
世間の当たり前なことが全くわからんかったせいでこうなってるのですな。

そんな感じで。
大体の人はみんな色々出来ないとこあるし持ってるものはかならずあるので。

例えば、外れ者の自分から見たら、世間の人は普段から平均的な範囲内にいるので、それだけで十分様々なノウハウが当てはまります。

自分みたいに感覚そのものがズレている少数派だと、ノウハウや考え方などが相当ズレてしまい、まず世間一般の平均的な思考、感覚を知るところから始めないといけないので。

でも、逆に世間の人からは「平均的じゃないのっていいよな」って言われるわけでして。

要は、自分の資質って他人から見ればいいものなので、まず、それを丁寧に把握すべきだと思います。
自分は活用するものであって、嘆くものじゃないんですな。

なので。
「できるやつはいいよな」ってのは、自分自身を含める全人類をディスってることになるのでおすすめしないっす。

出来ないで苦しんでる自分は、それだけで褒めていいので。

だってですよ。
やりたいのにどうやったらいいかわからなくて、出来ないまま何年も耐えられるってそれだけですげえんです。

案外そういう人ってリソース配分とアプローチの悪さ問題で苦しんでるだけでして。

枷さえ外れれば自分で思ってるより色々出来る上に、強い人も多いのです。
上手くすると、とんでもなく才能を発揮することありまする。

みんな結構できる子なので。
ただ、ちゃんと自分を見てあげてないので、持ち物を軽んじてることが多いだけっす。

こういうこと言われても、そんなの出来るうちに入らないって思っとるんじゃないですかね?
軽んじてるってのは、それです、それ。
鞄の中の荷物は、確認して使ってあげてくだされ。

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