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天気の子はどういう話だったのか

まあネタバレ感想なわけですが、が。

結構多くの人が見たと思うので、最初に書いておけばいいよねって感じであとは自己責任でひとつよろしく。

えー、色々立て込んでたのが一段落したので、映画「天気の子」をやっとこさ見てきました、4Dで。
あの、椅子が動くとか風が吹くとかってやつです。
ぶっちゃけ視覚以外の情報量が増えるので楽しいやつ。

そしてそのままジョーカーを連続で見ましたw

結論から言うと
ジョーカー「あの日僕たちは、世界の形を決定的に変えてしまったんだ」
って感じの一日でした、ええ。

まあそれはさておき。

そんな感じで台風19号の爪痕が残っている状態での天気の子初体験でした。
実感としてはともかく、感想としては基本的に変わらないです。
(雨のヤバさは伝わってきますが、感想とは一切関係がないので)

基本ストーリーは、家出少年のボーイ・ミーツ・ガール、そして不思議な体験とその恋の結末が世界とつながったようなお話です。

……が。

自分はかなーりエグいなーと思ってみておりました。

天気の子の雨ざらしの世界ってのは、ぶっちゃけただの現実なんですな。
我々が過ごす現実なんて、ラストのグッチャグチャのどうしようもない世界なんですわ。
あとこう、この世界の天気って、どうもSNSの比喩っぽいんですよな。

「今から晴れるよ」ってのはすごくたくさんフォロワーのある人の発信力みたいなもんじゃないかなと。

だから、あの世界ではあんな事になっとるのに、ほとんど何事もなかったかのように、普通にみんな過ごしてます。
アレ、おそらく強烈な暗喩でして、俺らあんな水浸しの閉塞感の漂う、他人の意見まみれの現代で生きとります。
だからまあ、須賀さんのラストのセリフが生きるんですが。

まあ、若者はですね。
誰かに認められるのがすげえと思ってるし、憧れ万歳っていう、晴れた世界があると思って行動しているわけでして。

SNSには、なにか素晴らしいものがあるんじゃないか、ステキな世界の秘密があるんじゃないか、夢があるんじゃないかってことです。

それが、あの世界での、晴れ。
世界に居場所を、夢を、存在意義を探しとります。

無色透明の魚たち、あれは世間の人々の比喩でないかなと。
突然現れては突然消える。どこの誰とも知らない、集合無意識。
人を勝手に持ち上げて翻弄する、そんな存在。

そう言う集団の無意識は、なにか事件が、話題があるとバズります。
つまり、晴れ。

人に認められることを望んでいた陽菜は、つまり「世間や他人の反応に一喜一憂する現代の若者」でないかなーと。
しかも背伸びまでして。

そんなヒロインが言うのは、SNSなどで人に認められる、つまり狭い範囲だけど「日が当たるってのは生きがいだよね」って言葉で。
どこでも晴れる彼女は、さしずめインフルエンサーなんでしょう。
そう言う意味で捉えると結構怖いモノがあります。

んで、陽菜が気づくのは。

そんな他人頼みで、世間の動向ばかり考えて「他人と同調すること、SNSなんかで、みんなの反応があることばかりを生きがい」としてきたら、いつの間にか「自分も意見なんかなくして、世間の反応に流されて生きてた」ってことです。

いつのまにか、自分も無色透明の一部になりかかってたってやつです。
たまたま、願ったことが広がってしまったのがきっかけだっただけなのに。

でも、染まってしまった自分はもうどうしていいかわからない。
だって、SNSに一言投稿すりゃ、天気が、世の中が動いちゃうんです。
勝手に世の中が晴れちゃうんです。
人からもらった大事なものさえ手からこぼれ落ちてしまうわけで。
(だから自分のものは落ちないし、心臓はとっくに無色透明)

世間が喜ぶ反応をして自分をなくしてしまえば、世界は晴れるんですな。

そこで主人公の出した答えは
「他人なんか関係ない、どうなってもいい。自分を取り戻そう!」
だったわけで。

で、改めておとなになった目線で現実(3年後)を見てみりゃ、そこは水浸し(SNSや他人の意見や生き様)で溢れた世界なわけですな。

始めから、都合のいい晴れなんてものはなかったんですわ。

須賀さんが「もとから狂ってるんだから気にすんなよ」ってのは、まあそう言うセリフかなと。

世の中なんて最初っから都合なんてよくないもの、って話ですな。

「昔は、もう少し世間(季節)ってものが明確ではっきりしてたよねえ」ってのが ラストの冨美さんから語られますが、まあそれも良し悪し。
多様化した世界は、いろんなことがはっきりしない代わりに、色んな意見も生きられます。

で。
そう言ったものを表現する話であることを踏まえると、かなりエグいなーと。

視聴者の大半が、そう言う感じの話とはおそらく気づいてなさそうなことを考えると、さらに。

だからこう、雨が降って水浸しになるのは「都市部である東京」だって考えると、色々考えさせられるよなーって思いながら見てました。
(島でも水浸しなはずなのに、東京ほどひどいことになってなさげ)

まあその一方で。
須賀さんとかは嘘だと思いながらオカルト(つまり人間らしさの暗喩だと思うんですが)の話を、そういうなにかを追い求めてんですよな。
人間なんて信じてないくせに信じたい。でも信じらんない。
それが事件前の複雑そうな須賀さん。(世間になじめない大人の暗喩

彼もまた、半地下という世間と隔絶するように日が当たらない場所で、世間との距離感を探しながら生きております。

それが、わざわざ窓を開けて、世間に踏み出した途端、部屋は他人の意見で水浸しになるわ、警察という他人は無遠慮に踏み込んでくるわで、まあ色々と大変なわけで。
(そもそも、半地下で水が入ってくるのが分かってるのに、わざわざ窓を開ける必要なんかないんで、あれは作中で意味がある行為です)

でも、須賀さんは、いつまでも半地下に閉じこもってることをよしとしないで、踏み出すことにしたんですな。

で、いろんなことに揉まれることをよしとして、様々なことを信じたり、正面から受け止めることにしたので、立派になって事務所もどうにかなった。
それがラストのかっこいい大人の須賀さん。

「俺らも迷って色々あるけど、まあ、できることはやってやっから、若者は前だけ向いて考えて生きてていいんだぜ?」
って意味の言葉を投げる大人、かっこいいすよな。
これ我々の仕事ですわ……。

夏美さんは逆に、義理人情とかは全部信じてるパターン。
信じすぎて逆に社会とはいまいちうまくいかない(就職うまくいかないのはそのせい)けど、そんな自分が嫌いではない様子。
(故に、自分を取り戻しに走る主人公を後押しするし、バイクで世間を颯爽と駆け抜けられる)

って話だと思いました。
個人的な感想ですがどんなもんでしょ?
だいたいの答え合わせはできてると思うのですけども。

なお、拳銃に関してはほぼそのままの意味だと思ってます。
ぶっちゃけ、やっちゃいけないことです。
一言でいうと「暴力や威圧、差別などの攻撃や実力行使」です。
そういうのが、世界の隅っこに手を伸ばせば、すぐそのへんに転がってるよってやつで。

人としてやっちゃいけないこと、暴力、腕力、弾圧、威圧もろもろ。

そういう差別やレッテルの銃口が主人公に向けられたとき。
大人から若者に向けられたとき。
つい自分でもやりそうになってしまったとき。

どうしないといけないかは須賀さんが教えてくれてます。

身を挺してかばう、応援するしか出来ないんですよ。
非常階段から落っこちそうな若者が必死に頑張るのを。

筆者自身も、他の大人に嫌われてもいいから、ちょっとでもそんなことができりゃいいなあと。
非暴力で、闘争でもなく、罵詈雑言を使うことなく、世界と戦えるといいなあと思いました。
日は当たんないかもしれないけどね。

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