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スマホと、ネットの海の眺めかた

いつものように、ついうっかりスマホを見てしまう。
まあ、なんとはなしに、暇な時間があると見るのをやめられない。

その必要があるか、と言われたら、無い。
別にボーッとして頭を休めていたっていいわけで。

なのに、なぜ見てしまうかと言えば、単に、欲だ。
私が欲の塊だからである。

よく見られたい。
良いこと言いたい。
悪いこと言いたい。
正しくありたい。

そんな、自分っていう容れ物の汚れ具合に耐えられないからで。
だからいつも、そんな自分の中味の見通しを良くしようとして、スマホを覗き込んでしまう。

自分の底を見ようとして、感情と煩悩を注いでかき回してしまう。
おかげで、気がつけば、さらにどろどろ汚れたりする。

心の漂白剤を探しているだけなのに。

でも、その一方で。
そんな自分でいいじゃないかと言う気も、しなくもない。

よくよく考えてみれば、人間なんてもともと見通しが悪い生き物なので。

だってそうだ。
透明でキレイな自分ってなんだろう、と改めて考えてみれば。
人の目を気にして、良いことだけで身動きが取れなくなり、悪いことをなかったコトにして、正しさに振り回されて、他人に都合の良い自分だったりする。

全然ありのままじゃない。

自分というのは、もっとこう、わがままで、自分がすぐに揺れて、気持ちいいことに身を委ねたいし、嫌なことはやりたくないに決まってる。
とてもダブルスタンダードで、都合のいい事実に浸りたいに決まってる。

そういう「規則正しい自堕落をしたい」ってのが人間ぽい。
汚れてていいのだ。

いい感じに、世間様に顔向けできない欲求を持ちながら、社会で立派に過ごしつつ、その間で暮らしている。

朝は気持ちよく起きたいけど、同時に寝坊だってしたいのだ。
自分は、きっと良いやつで優しくて、同時に少しダメダメで情けないしどうしようもない。

そんな「汚れてて構わない自分」と「きれいになりたい自分」の二律背反の答えを確かめたくて、スマホの海に沈み込むのだけど。

ただ、冷静に考えてみると、世の中っていうのは最初から人間同士の関係だし、案外、ドコでもそうかもしれなくて。
ネットだから特別というわけでもなく、直接会うことや電話、手紙みたいに、時間と距離感で、感じや意味が違うだけ。

スマホから、少し顔を上げてみれば、そこには違う海が広がってるので。
たまには、気分転換にお出かけしてみてもいいのではないだろうか。

自分の答えを探すなら、いろんな回答あったほうが世の中面白いので。

***

あ、いつもとすこし毛色が違うのは
カドブン×note ショートストーリー投稿コンテスト「#一駅ぶんのおどろき」っていうのに参加してるからですw
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