5年間の留学生活を終えて。

本日を持って5年間の韓国留学を終えました。

オンラインでしたが、卒業式を迎えて記憶にだけ残しておくのは勿体ないと思いセルフ卒業文集を書きたいと思います。

まず、5年間は決して一人の力ではなく、沢山の人の支えと整えられた環境があったからこそ無事に終えることが出来ました。心より感謝の言葉を述べたいです。そして、留学前にも留学を決心する力添えをしてくださった皆様にも感謝いたします。

5年間が残したもの

語学院での生活1年と四年制大学での4年間には本当に沢山の出会いと経験があった。

元々自分は、高3の夏まで日本の大学に進学することしか眼中になかった人間だ。小学生だったか中学生だった頃は海外が好きで卒業文集の将来の夢に「世界進出」だとか中二病じみたことを書いていたりもした。いつしかその夢に対して、現実離れした回答だなと揶揄するようになり、次第には「世界、海外、留学」という言葉は頭の片隅に追いやられていた。

高3の夏に学部を選択するときは自然と国際教養だとかそういった学部には惹かれるものの、知名度の高い大学、就職率の高い大学ばかりを念頭に準備をしていた。その時は有名大学に合格することが目的でゴールだった。

高3の夏が終わり2学期が始まる頃、

「その大学に行ってしたいことは?」「どんな自分になりたいのか?」「大学卒業後は?」と大学入学以降の自分を考えた。

入学ばかりが目的と化していた私には自問に自答することができなった。

そんな時、母親からふと「留学は?」という一言をもらった。

そこから自分は何をするべきか、どうしたいのかに対する答えが分かったような気がした。

人生にはふと何かがガチャンと噛み合ったような感覚に落ちる時がある。

そこからはこれまでの受験勉強への熱意が180度留学に転換された。

元々、母親が韓国人の日韓家庭で生まれ幼いころから日韓問題に対して他より興味があったのだと思う。ましてや韓国語には形容詞の多さからも分かるように表現が絶妙に深くて聞いていて何とも言えない、心を泣かせるものがある。といったように日本だけではなく韓国から見える日韓関係を知りたい、母親の言語である韓国語を学んで自分にはない感性を磨きたいという思いもあった。

そうして韓国留学を決意した。

5年間という時間は私に言葉にならないほど価値ある贈り物だった。

入学した大学は国際色豊かな学生で溢れかえっていて語学院に通った1年はクラス全員の国籍が違うだとか、教室内で英語が行き交いここは韓国なのか?と思ったりもした。韓国という国がどういう国なのかと同じくらい、アメリカ、ロシア、トルコ、フィリピン等クラスメイトの文化も知ることが出来ていかに自分は閉じ込められた環境で育ったのかと痛感した。

語学院に通うと、語学院の先生に決まって言われることがあった。

「あなた、お母さん韓国人なのになんで語学院に通ってるの?」

勿論、それは痛いほど自分でも分かっていた。母親が韓国人であるから初めて韓国語を学ぶ人よりはできていて当然だろうという少なからずある視線。初めて学ぶ人より出来ていないといけないという見えない圧力。

そんな力がかえってより勉強に熱心にさせたような気がする。

これは語学院に限らず大学に入学してからも持続していた。

人より優れていなければならないという思いが自分の首を絞め続け、次第には留学生だからっていう理由で出来ない、成績が振るわないなんて言い訳はただの甘えだ。韓国人よりも努力すればよいだけ。努力が足りないから追いつけないんだ。誰よりもうまくやりこなさねければ。こんな思いが大学2年の頃、沸点に達した。

この頃の私の性格は、理想と現実の圧倒的な差に潰され、思い描く理想に自分だけでなく他人も当てはめようとしていた。遊んでばかりで勉強しない人をみてなぜ彼らは高いお金を払ってまで大学に通っているのか。もらっている奨学金には規則があるのだが、奨学金をもらうだけ貰い規則を守らず過ごす人間はなんなのかと人を批判したりもした。

丁度、BTSのlove yourselfのアルバム曲に出会ったのはそんな頃だった。

어쩌면 누군가를 사랑하는 것보다(もしかしたら誰かを愛するより)
더 어려운 게 나 자신을 사랑하는 거야(もっと難しいのは自分を愛すること)
솔직히 인정할 건 인정하자(正直認めるものは認めよう)
니가 내린 잣대들은 (あなたが決めた物差したちは)
너에게 더 엄격하단 걸(あなたにもっと厳しいということ)
니 삶 속의 굵은 나이테(あなたの中の太い年輪)
그 또한 너의 일부 너이기에(それもまたあなたの一部)
이제는 나 자신을 용서하자(これからは自分を許そう)
정답은 없을지도 몰라(正解はないかもしれない)
어쩜 이것도 답은 아닌 거야(もしかしたらこれも正解なのかも)
그저 날 사랑하는 일조차(ただ自分を愛することさえも)
누구의 허락이 필요했던 거야(誰かの許しが必要だったんだよ)

Answer:Love Myselfの歌詞の一部なのだが、これを聞いて厳しく設定した基準に満たない自分を許せていないことに気づいた同時に自分の傲慢さに穴があれば入りたくなった。

理想に追いつけない自分自身。それを認められない自分。

自分自身に対する憤りがあるのにどうして他人に寛容な心が持てるのだろうか。

そこからこれまで頑張った自分。近いとはいえ異国でネイティブと同じ授業を受けてる自分。評価もすべて同一の中、授業をそれでもついていってる自分。あるだけ自分を認めて肯定し続けた。そうすると今度は自分を応援してくれる存在が見え始めた。近くで応援してくれてる友人を始め、母国で陰ながら応援し味方でいてくれる家族。その存在に気づいてからは理想と現実のギャップや他人とのギャップを埋めようと必死になるのではなく、応援してくれる人たちの期待に応えるため頑張れるようになった。何より、自分自身を不信するようなことはこれまで頑張ってきた自分への冒涜のような気がした。

そうやって視界が広がっていくと今度は周りも自分と全く同じように悩んでいることにも気づいた。自分に解決する力はなくとも隣にいて静かにでも応援することはできる。ただでさえ熾烈な競争社会なのに自ら戦況に追いやって個人戦にする必要はない。共存していける社会を自身の周りにでも作ろうと考えられるようになった。

環境のせい、他人のせいにするのは簡単だけど、何の発展も改善にも繋がらない。自分がどうするのかが重要だという教訓を得た。

そこからは雑念も少なく、次席だったり主席もとったり、政府から貰える奨学金をもらったりと有難い恩恵を受けた。

学業面や人間関係においては贅沢なほどに恵まれていた。

マレーシアや、フィリピンなどに語学研修に学校のプログラムに行ったり、日本語を教えるボランティアを行ったりもした。寄宿舎は4人部屋で過ごすのだが、部屋のメンバーも配慮心に長けていて不自由なく過ごした。

学科の同期たちも国際関係学を専攻するだけあって、共によく過ごすにはどうしたら良いかを根底の思想に持ってる学生だったので留学生に優しくチーム課題等もそれなりに出来た。(サボって人任せな学生も勿論いる。)

正直なところ、国際関係学部卒業といっても果たして自分は何を学んだのかと聞かれるとまだよくわからない。

世界をより良くするシステムなんて分からないし、国際情勢なんて権力ある国のトップが動かしてるようなもんで普遍なものでもないし、国際にはそもそも法なんて存在しない。権力ある国が法律であるといっても過言ではない。ましてやこの世界を創造した神という存在があり、宇宙に真理があって、法則あるとしても全人類が同じものを信仰している世界でもない。

しかし、世の中には古代から染みついた思想や歴史というものが存在していて、いつの時代もどこの国でも幸せに生きる方法を模索しているのは確かだ。しかし、目に見える正義を主張する権力闘争は自国の利益故におこるものであり、大抵正義とはいうけれど建前だ。と思う。授業でよく扱うあの頻繁におこる宗教争いもしょせん自分は正しいことを相手に認めさせる争いで、あくまでも本人にとっての正義でしかない。国際関係という華やかな名前につれられて入学した学部も深堀すると人間の欲望がよくみえる学部で現実だった。日韓関係も然りだ。

幸せにはなりたいがこうやって自分の利益の方が大切で争いを起こす。世界のシステムの人間と同じだ。

もちろんアマチュアの意見であるから、とても安直な考えに基づく断面的な意見でしかない。

かの有名なマークザッカーバーグ氏はこういった。


A change in the world that seems so clear you’re sure someone else will do it. But they won’t. You will.
世界の変化は明らかであるから、誰かがやると思っている。でも誰かがやるんじゃない。あなたがやるんだ。


自分はこんな偉業を成し遂げることは出来なくとも、国際関係学部を専攻した卒業生として今後も世界平和のために特に日韓のわだかまりをどうにかしたい。自国の利益だけでなく長期的な目的と利益を他国と共有できるシステム。要は、お互いが利益を見ることのできる世界。複雑すぎる世を単純化できるシステム。すぐに出来るとは思ってもいない。ましてや、私の頭で作れるとも考えていない。でも何かしら出来るのではないかと信じる。もしかしたら国境を越えて親しくなった友人これだけでも小さな一歩なのかもしれない。

4月から働く就職先は国際関係とは直結してはいない。しかし、仕事に限らず、今後の活動で国境関係なく、共存共栄できる社会システムを構築したい。5年間出逢った国際色豊かな友人とのネットワークを駆使して何か出来ることはあるかもしれないと信じてやまない。

特に1年間はコロナで学校にも通えず、あっけなく終わってしまった。

マイナス点を挙げるとキリがないが、この状況だからこそ見えない繋がりが、いかに尊いものかを実感できた。ネット世界での繋がり、そこには明確な国境が存在しない。ここにも大きな意味があると思うし、コロナが終われば(終わるという言い方が適切なのかはわからないが)より人と会えた時の日常が人との距離のぬくもりが有難いものか感じるのではないかと思う。

新たな世界の在り方にワクワクもしている。

こんなところで長くなりすぎたまとまりもない卒業文集もどきもまとめたいと思う。

最後にこの5年間支えてくれた全ての方に感謝の意を表します。


2021.02.18

orca


これ後から読んだら絶対こっぱずかしいやつだ。まぁ大学生最後だし。十分に謳歌しましょう。好きなピアニストさんも恥ずかしいくらいが卒業文集は丁度良いって仰ってましたし。(文章力の圧倒的な差は否めないけど)




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