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文章を書くということ

気がつくともう1月も終わりに差し掛かっている。

今ようやくnote書き初め。

書こう、と思うことはあってもなかなか向き合えなかった。その理由でも書いてみようと思う。

私は昔から文章を書くのは好きだった。

特に親しい人に手紙を書くのが好きで、日常のちょっとしたことや、考えたこと、良いなと思った店や物、本について報告がてら頻繁に書いていた。相手が笑ってくれたら良いなといつもちょっとふざけていた。

便箋や葉書を選ぶのも好きだった。

お互いにあんまりよくやり取りするので、手紙ではなくノートに書きためて交換する、なんてことをしていた時期もあった。

今は、ゆっくり手紙を楽しむ暇がない。好きな文具を物色する余裕がない。

ただ、文章は日々仕事で書いている。

メール、手紙、書面。

とはいえ、文章は、慎重に書かないと意図したこととは違う意味を相手に受け取らせることがある。特段親しくはない仕事上の相手となれば、言外の意味を汲んでくれるはずもなく、むしろ傷付ける可能性の方が高い。私の仕事上の肩書付だと、普通の人はまず警戒するし、特に慎重に書くことを求められる。

誰かを不用意に傷付けたくはない。

だから、仕事では相手に気を遣う。文章を書いて疲弊する。

敢えて慇懃無礼な文章で喧嘩を売ったりするのも私の仕事ではあるけれど、それはそれで隙の無い、先を見据えた文章を練らなければならないし、元来戦闘向きではない性格が災いしてそういうのを書くと、なんというか気持ちが強ばってやはり疲弊する。

文章はまた書き手のひととなりを如実に表す。Twitterのような短いものだってそうだ。

気楽に文章を書いて息抜きしたい、誰か日常では出会わない人と繋がってみたい、と思って始めたnoteではあるのに、気持ちが弱っていると自分を晒すのが怖くて書けない。

そういうわけでなかなか書けないけれど、今年もそろそろと、できたら楽しく書いていきたい。


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