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赤い風車 その3 ロートレックとジャンヌ・アヴリルの「日本の寝椅子」、溝口健二、山田風太郎

映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、という時、われわれの頭の中ではつねにフリー・アソシエイションが行われているものだが、長く生きると記憶の倉庫はパンパンに膨れ上がり、しばしば、目の前のものを解釈するよりも、裏側の自由連想活動のほうが騒がしくなり、収拾のつかないことになる。

◎ジャンヌ・アヴリルの肖像

「赤い風車 その2」に書いたが、劇中で主題歌It's April Againを唄うジャンヌ・アヴリルは、全編を通じて活躍するので、実在の人だろうと思い、調べた。大スターだったらしい。映画では後半、登場場面が多くなるのも道理、ロートレックは何度も彼女の姿を描いている。


ジョン・ヒューストン『ムーラン・ルージュ』に描かれたアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(ホセ・ファーラー)とジャンヌ・アヴリル(ジャ・ジャ・ガボール)


昔、父親が飾っていたロートレックのポスターも彼女を描いたものだったが、いまになってこのDivan Japonaisというのが気になって調べたら、そういう名前の店(カフェ・シャンタンというものだそうで、音楽を聴かせるカフェ、と訳せばいいのか、だとすると、歌声喫茶の親戚みたいだが、キャバレエに近いタイプもあったとか)がムーラン・ルージュ同様に、あの時代にあったのだという。


ロートレック描く「ディヴァン・ジャポネ」のジャンヌ・アヴリル

ディヴァン=寝椅子という言葉は、高校の時に買った久生十蘭全集で繰り返し見て覚えた。しかし、その寝椅子がフランス人の頭の中で日本と結びついたのはどういうことやら。云うまでもなく、昔の日本には寝椅子などというものはなく、ジャンヌ・アヴリルの時代に、印象派の画家たちにもてはやされたジャポニスムで彼らが見た数々の浮世絵にも、寝椅子など描かれていなかった。

まあ、寝椅子のセクシーなイメージに「日本」をくっつけると、あの時代のパリ人士には、さらにエロティックに響いた、というあたりか。わが身を振り返れば、日本中にあふれかえる外国語の店名会社名など、「日本の寝椅子」どころではないテキトーさだからな!


映画『ムーラン・ルージュ』終盤のジャンヌ・アヴリルのステージ・シーン


◎山田風太郎『十三角関係』の危険な風車

ムーラン・ルージュ、という言葉は、フランスのナイト・クラブ、バーレスク劇場として知る以前に、新宿の店としてわが耳に入った。それが、フランスの同名のクラブを模したものだったのは、あとから知ったことだ。

もう、誰の本で読んだのか覚えていない。中学三年以降は読書も乱読多読、いまになっては、明瞭に思いだせるものなど、読んだすべての本の1パーセントにも満たない。高校時代の読書メモが出てきて、うっかり眺めてしまったら、身に覚えのない罪業が並んでいて呆れた(とくに「サガン『ブラームスはお好き』読了」という記述には仰天した。俺がサガンを読んだ?)くらいで、ムーラン・ルージュという名詞をどこで捕獲したか覚えていないぐらいのことは、自慢じゃないが当たり前だ。

山田風太郎の短かった若き探偵小説作家時代のキャラクターに、ロートレックのように身体的ハンディキャップのある、荊木歓喜という、ちょっとディクスン・カーのギデオン・フェル博士のような雰囲気の医師探偵がいて、なかなか魅力的なのだが、残念なことに、ほんの数作しか書かれなかった。


東方社の『十三角関係』わたしが古書店で買ったのは箱のない裸本だったのだが、これが初版の函だろう。たしか、書き下ろしばかりの叢書で、乱歩の『十字路』も収録されていた。この叢書ではほかに鮎川哲也『黒いトランク』、香山滋『魔婦の足跡』、高木彬光『人形はなぜ殺される』などを、いずれも函なしの裸本を買った記憶がある。


その荊木歓喜を主人公とした唯一の長篇『十三角関係』は、ムーラン・ルージュという名前は出てこない(と思う)が、看板替わりにファサードに風車をつけている酒場が舞台で、これは新宿ムーラン・ルージュをモデルにしたに違いない。

◎溝口健二『武蔵野夫人』の風車

溝口健二『武蔵野夫人』(1952年、たまたま『ムーラン・ルージュ』と同年の公開)で、大学教授の森雅之が有夫の婦人である轟夕起子を口説こうと、料理屋だか待合だかよくわからない場所で飲むシーンがあるが、二人の向こうで(セット、しかも遠景のミニチュアだが)ネオンか電球をつけて明るく光る風車が廻っている。


溝口健二『武蔵野夫人』の新宿ミニチュア・セット。人物は森雅之と轟夕起子。この映画の轟夕起子は、戦前の元宝塚スターの色香を残しながら、中年女の崩れも感じさせ、なるほど、こういう時代を経て、お母さん女優になったのかと、おおいに納得した。

たぶん、ほかにそんな店はなかっただろうから、これは新宿だということを示すためのデザインだろう。『武蔵野夫人』は、恋ヶ窪を中心としたお話なので、中央線が通るグランド・ジャンクションである新宿というのは自然な選択である。

新宿ムーラン・ルージュは戦前からあり、いったん閉じたものを戦後、名前を受け継いで復活させたのだそうだが、戦前の店について何か読んだ記憶はない。しかし、戦後の新宿ムーラン・ルージュは、溝口健二の映画や山田風太郎の小説に「引用」された。敗戦後の一時期、東京のナイトライフを象徴する存在だったのだろう。


2葉とも溝口健二『武蔵野夫人』より。撮影監督は数々の成瀬巳喜男映画(と『ゴジラ』一作目)を撮った玉井正夫。『ムーラン・ルージュ』はロートレック的絵作りだったが、『武蔵野夫人』は、ロートレックの仲間だったヴァン・ゴッホらの印象派を模した絵作りをしている。

あと一回、うちにある40種を超えるThe Song from Moulin Rougeのすべてのヴァージョンを聴いた結果を書いて、この「赤い風車」シリーズを終える。(「赤い風車 その4 ムーラン・ルージュの歌、全40ヴァージョン(どんぶり勘定)棚卸」につづく)

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