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赤い風車 その4 ムーラン・ルージュの歌、全40ヴァージョン(どんぶり勘定)棚卸

◎録音レース:パーシー・フェイスとマントヴァーニ

ほんのわずかな時間差しかなく、ほぼ同着の写真判定レベルなのだが、The Song from Moulin Rougeは、映画公開のあくる1953年はじめに、イギリスではマントヴァーニが、アメリカではパーシー・フェイスがカヴァーし、どちらもそれぞれの国でチャート・トッパーになった。

マントヴァーニ盤の録音及びリリース日は不明だが、パーシー・フェイスのファースト・ヴァージョンは、1953年1月22日録音、そしてここが肝心なのだが、2月9日にリリースされている。録音から発売までわずか2週間余とあっては、プロモーションの準備、各DJへのテスト盤の配布すらできなかっただろう。これほどに急いだのにはそれなりの理由がなくてはならない。

のちのことだが、1966年にジョー・サラシーノがBatmanのテーマを録音した時、フェンダー・ベースのキャロル・ケイは突然、深夜に呼び出されたという。作者のニール・ヘフティーがすでにこの曲を録音しているはずで、その先を越してリリースしなければならないと、急遽、プレイヤーたちが掻き集められたのだ。このBatmanの録音はマーケッツ名義で発売され、ビルボード17位まで行くヒットになったのに対し、ニール・ヘフティー盤は35位止まり。サラシーノがチャート上では勝った。


レースを制したジョー・サラシーノ・プロデュースのThe Batman Theme


この例から考えて、マントヴァーニ盤が先にあり、パーシー・フェイスはそれと競るつもりで、即座にプレスにかかったから、録音日とリリース日がこれほど接近しているのだと推定する。

パーシー・フェイスのそのファースト・ヴァージョンのアレンジは、映画のふたつのヴァージョンどちらとも大きく異なっている。スウィング時代の名残で、前半にオーケストラによる長いインスト・パートがあり、ちょうど真ん中あたりでヴォーカルが入ってくる。このフェリシア・サンダーズ(彼女のことは後述する)の唄は、やや古いスタイルだが、なかなか魅力的で、このヴァージョンの大ヒットの原動力のひとつになっている。



このヴォーカル・パートに使われている歌詞は、映画のIt's April Againではなく、のちに一般的になるWhere Is Your Heart?のほうで、これがこの歌詞の初出らしい。マントヴァーニ盤はインストのみで、ヴォーカル・パートはない。この新しい歌詞の誕生の経緯は不明だが、どうも、パーシー・フェイス盤のために書かれたような気がする。

◎パーシー・フェイスとマントヴァーニのヴァリアント

わがHDDを検索したら、Moulin Rougeがぞろぞろ(67種)出てきて、これをすべてFoobar 2000(FB2K)に載せ、アーティスト別ソートをかけてみたら、パーシー・フェイス盤が9種もあって、まずこれを聴き、プレイング・タイムがだいたい同じものはダブりとみなし、省いていったが、それでもまだ複数残った。なぜだ?

FB2KにすべてのThe Song from Moulin Rougeを載せ、アーティスト名でソートし、プレイング・タイムを見ながら、ダブりを省いた。


ありがたいことに、パーシー・フェイスには立派なファン・サイトがある。ウェブがまだ広告メディアではなかった20世紀末から今世紀初めにかけては、こういう腰の据わったファン・サイトがいくつもあり、エルヴィス、ニルソン、ホリーズなどのディスコグラフィーは、録音日時やパーソネルを詳記していて、おおいに助かったものだが、パーシー・フェイス・サイトはその生き残りであり、さらに深化した究極のファン・サイトと云える。

その"All About Percy Faith: Discography and Reference"のPercy Faith recordings (1944-1976)というセクションを見て、パーシー・フェイスのムーラン・ルージュには、3ヴァージョンおよび別エディット1種という、合計4種が存在することがわかった。


60年代にリリースされた古いベスト盤のCD化。オリジナルのヴォーカル・ヴァージョンを収録。

まず53年1月22日録音の、フェリシア・サンダーズのヴォーカルをフィーチャーしたシングル・ヴァージョンがある。つぎに同年4月17日、ヴォーカルなしの5分超のロング・ヴァージョンを録音し、さらに59年4月、元の長さに近い唄なし純インスト・ヴァージョンを録音している。こうしたヴァージョンのほかに、53年にエンディングを変えた別エディット盤があるそうだが、わが家にはなくて、音は確認できなかった。

マントヴァーニ盤も、少なくとも2種あるらしい。うちにあるものはすべてステレオなのだが、これは後年の再録音だそうで、オリジナルは53年録音だから当然モノで、これはチューブで聴いてみた。

ステレオ盤が必要になっての再録音だから、当然ながら、アレンジの変更はあまりなく、オリジナルに近い感触を保持している。

The Song from Moulin Rougeのスタンダード化は、ほぼ同時期にリリースされたこの2種によって起きた。どちらも魅力がある。パーシー・フェイス盤はフェリシア・サンダーズの唄と、映画のストーリーを反映したWhere Is Your Heartという歌詞の魅力が大きい。

いっぽう、マントヴァーニ盤はアコーディオンをリード楽器にした冒頭に魅力がある。それがヒット要因のひとつだろう。わたしの頭の中ではThe Song from Moulin Rougeはアコーディオンと結びついている。じっさい、アコーディオンによるムーラン・ルージュは多いのだが、そのはじまりはマントヴァーニのアレンジだったことになる。

◎ルース・ウェルカム、ロス・インディオス・タバハラスほか、小編成インスト各種

The Song from Moulin Rougeは、ストリングスやアコーディオンのように、音を長く伸ばせる楽器に向いた曲で、減衰の早い楽器は不利なのだが、しかし、そういう前提に抗して健闘している人たちもけっこういる。

なんといっても、ルース・ウェルカム盤が素晴らしい。ツィターという楽器の音色のすばらしさのおかげだが、ルース・ウェルカムのツィターには独特の響きがあり、それが最大の魅力になっている。どうしてそういう音になるのかわからないのだが、ひょっとしたら、ドブロのように、胴の中に共鳴板の類いが仕込んであるのかもしれない。構造上、奏法の自由はなく、ギターのようにヴィブラートはかけられないと思う。


ツィターは面倒な楽器で、左手はたぶんベース、右手の親指はメロディー、そして、右手の他の指でオブリガートないしはコードを入れるのだと思う。昔、チューブ・クリップを何度も見て、動きと音の関係から、そう解読したが、合っているかどうかは知らん!


ロス・インディオス・タバハラスも似ている。何フレットか忘れたが、非常に高い位置、たぶん、E(12フレット)あたりの指板を削って、深く指を押し込めるようにしているそうで、これでビックリするようなチョーキング効果、ピッチの揺れを生んでいる。


The Song from Moulin Rougeを収録したTheir Very Special Touch

しかし、そういう効果とは関係なく、どの音にも素晴らしいヴィブラートがかかっていて、それが彼ら独特のサウンドをつくりだしている。古典を含め、スパニシュ・ギターは何百人と聴いたが、タバハラスのような音には出合ったことがない。


ロス・インディオス・タバハラスの二人。どっちがどっちだかいまだに知らないのだが、たぶん、右側がリードをとっているお兄さん。この上腕二頭筋! 昔の音楽は肉体の表現なのだ。



写真を見ても、上腕二頭筋はものすごい太さで節くれだっており、たぶん、握力も並外れているのだろう、だから、ヴィブラートがふつうではない響きになり、それで、一聴したとたんに、ああ、タバハラスだ、とわかるサウンドがつくりだされたと考えている。The Song from Moulin Rougeでも、いつものように深い響きのあるギターの音で、好ましいレンディションである。

◎エキゾティック・ギターズほかのギター・インスト

ヴェンチャーズに代表されるロック寄りのギター・インストとはニュアンスが異なる、アル・ケイシーがリードを弾く、ギターによるラウンジ・ミュージックのエキゾティック・ギターズ盤The Song from Moulin Rougeも悪くない。


The Song from Moulin Rougeを収録したエキゾティック・ギターズのHoly Holyフロント・カヴァー。手前の飴色のギターは、ピックアップのないフルアコースティックのエピフォン・エンペラー。フィル・スペクターがこのギターのコードを好み、録音の時は、キャロル・ケイに、あのギターを持ってくるようにと、いつも云っていたという。右のサンバーストはモズライト。



フロント・カヴァーに飾ってあるギターと、中身の音は関係ないことも多いのだが、このエキゾティック・ギターズに関しては、写真通り、モズライトのギターを使用したようで(協賛したのだと想像する)、めずらしくも、このギターのソフトなトーンを聴ける。


ファントームと発音するのだろうか、フランスのギター・インスト・バンドによるThe Song from Moulin Rougeもある。60年代のヨーロッパとオーストラリアのギター・インスト・バンドのほとんどがそうなのだが、ファントームも明らかにシャドウズの影響を強く受けたサウンドで、これまた悪くないレンディションだ。

◎コニー・フランシス、サム・クック、ジミー・ロジャーズほかの唄もの

唄ものカヴァーでは、コニー・フランシス盤がおおいに好み。いい声をしているし、技術も持っている人だった。



パーシー・フェイスのファースト・ヴァージョンで唄ったフェリシア・サンダーズは、のちに自己名義でこの曲を録音し直している。パーシー・フェイス盤とはまったく異なり、ピアノのみの伴奏、しかもライヴ録音。ちゃんと唄ってはいるが、「もうひと稼ぎ」の安直な企画なのが丸見えで、悲しい。



ブロードウェイの舞台版『フラワー・ドラム・ソング』で主演した日系二世のパット・鈴木(映画化ではナンシー・梅木が主演)のヴァージョンは悪くない。


なぜかうちにあったパット・鈴木のベスト盤。この人に関心を持ったことなどないのだが。うちには持ち主がその存在を把握していない盤が山ほど眠っている。

この曲の歌詞はどちらかというと女性向きだと思うが、当然ながら男性シンガーのヴァージョンも、ビング・クロスビー、クリフ・リチャード、ボビー・ヴィントン、ジミー・ロジャーズ、アンディー・ウィリアムズ、サム・クックなどがうちにはある。



何と申しましょうか、みな、それぞれに自分のスタイルできっちりと唄っている、という当たり前の話になってしまう。とくに、ビングとサム・クックは、「さすがだねえ」と思う。

The Long Hot Summerの大ヒット曲を持つジミー・ロジャーズには、同系統のThe Song from Moulin Rougeも向いていそうに思ったが、結果は、ちょっと違うな、という朗々たるレンディションで落胆した。

◎ミシェル・ルグランの三度の挑戦

The Song from Moulin Rougeの作曲者であるジョルジュ・オーリクは、ジャン・コクトーと親交が深く、コクトーの映画のスコアも書いている。まだドビュシーの影響力が色濃く残り(ただし、オーリクはドビュシーのスタイルには反撥したのだとか)、ラヴェルが活躍していた時代に活動をはじめ、サティーとも親しかったそうで、そのあたりに、同じフランス人作曲家であるミシェル・ルグランは歴史的意義を感じたのかもしれない。ルグランは少なくとも三回、The Song from Moulin Rougeを録音している。

最初は1954年、オーケストラによる録音で、これはヴィオラ、コントラバスなどのストリング・セクション低音部の扱いに特徴がある。ヴァイオリンのトリルは後年の彼のヒット曲、Windmills of Your Mindを連想させるところを見ると、あれは彼なりのムーラン・ルージュのリメイクだったのかもしれない。

ルグランによる最初のThe Song from Moulin Rougeを収録したI Love Paris


つぎは59年、こんどは4ビートのピアノ・トリオによる録音で、ルグランは、ここではアレンジャー、コンダクターではなく、ピアノ・プレイヤーだ。テンポは速く、原曲のグルーミーなムードはないストレートな4ビート・レンディションで、ルグランがプレイヤーとしてもかなりのものだったことがわかる。



三つめはずっと後年で、とくに特徴のないオーケストラ・ヴァージョン。彼の好んだスタンダード曲を一堂に集めた、といった雰囲気の当たり障りのない盤だ。

◎あっかるくて軽~いヴァージョン

4シーズンズやミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズなどをプロデュースしたボブ・クルーには、8ビートのラウンジ・アルバムがいくつかあり、The Song from Moulin Rougeもやっている。これがまた、しよーがねーなー、というアホ馬鹿ヴァージョンで、ティファナ・ブラスのマリアッチ・アレンジをそのまま頂いている。インストだから成立しているのであって、歌詞とは真正面から衝突する軽さで、楽しい。



ジョナ・ジョーンズも完全なラウンジ・アレンジで、ミューティッド・トランペットやピアノのリードに、スキャットの混成コーラスを絡ませている。ハリウッドらしい洗練されたラウンジで、映画のことも、歌詞のことも忘れて、アハハと笑いながら聴いてしまう。


ジョナ・ジョーンズのThe Song from Moulin Rougeを収録した、
Ultra Loungeシリーズの一枚、A Bachelor in Paris

ラロ・シフリン盤は、お笑いの気配はないが、遅めのチャチャチャとでもいうような、軽いラテン・アレンジのラウンジ仕立て。映画音楽作曲家、オーケストラ・リーダーとして名を馳せた人だが、ミシェル・ルグラン同様、ピアノ・プレイの盤もかなり残していて、このピアノも彼自身のプレイだろう。これはこれで楽しい。


コパカバーナでランデヴー、というタイトルのアルバムだから、The Song from Moulin Rougeだって、あまりグルーミーなアレンジにはできない。


レイ・コニフは、The Happy BeatというLPに収録されているくらいで、これまたハッピーなアレンジ。ここに並べた数々のヴァージョンの中で唯一、ハープをフィーチャーしていて、ハープ・マニアのわたしとしては嬉しい。



◎オーケストラによるラウンジ

ハリウッドを代表するアレンジャーであり、フランク・シナトラのアルバムを多数アレンジした、ドン・コスタとビリー・メイは、オーケストラ・リーダーとしてラウンジの世界でも活躍し、二人ともThe Song from Moulin Rougeをカヴァーしている。

ビリー・メイはジャズ出身で、どちらかというと管のアレンジを得意とし、ビッグバンド・アルバムが多いが、The Song from Moulin Rougeは管抜き、百パーセントの弦アレンジで、さすがは、こういうのをやってもそつがない。まあ、あれだけ多数の盤をアレンジした人なのだから、当然か。



ドン・コスタはアコーディオンと弦と混成コーラスのアレンジで、マントヴァーニを意識したのだろう。

『八十日間世界一周』『シェーン』『静かなる男』をはじめ、ハリウッド黄金時代に多数のスコアを書き、またStella by Starlightでも知られるヴィクター・ヤングにもラウンジ・アルバムが多くある。ヤングは弦のプレイヤーだったので、彼のThe Song from Moulin Rougeもストリングスの流麗さを特徴としている。

ビリー・ヴォーン・オーケストラはサックスを中心としたビッグバンドなのだが、この曲ではサックスを使うわけにもいかず、弦とギターのみでやっていて、借りてきた猫。

◎スリー・サンズ、ストリート・オヴ・パリス・オーケストラのアコーディオン盤

マントヴァーニ盤を踏襲した、アコーディオンをフィーチャーしたアレンジと云えば、「赤い風車 その1」に書いたように、そもそもこのシリーズのきっかけとなったディック・コンティーノ盤がそうだし、上記ミシェル・ルグラン盤のひとつもそうだが、ほかにもある。

マルセル・フランソワをフィーチャーしたアコーディオン・ド・パリのムーラン・ルージュは正調アレンジという雰囲気で、単独のヴァイオリンが絡んでくるところなんぞは、なかなかの「哀愁のパリ」ムードで、よろしい。



スリー・サンズは毎度何と申しましょうかのレンディションで、これでいいのかもしれないけれど、よくないような気もするなあ、という中途半端なサウンド。まあ、わかっていて聴いているんだから、腹は立たない。


タイトルもデザインもけっこうだと思うけれど、音はそれほど浮遊しないのよねえ……


◎呪いからの解放

まだ数種残っているのだが、さすがに草臥れた。これだけ聴けば十分だろう!

Where Is Your Heart?という歌詞は、あまりにも映画そのままで、映画の中では使えないが、映画の外に出せば、なかなか悪くない出来で、オリジナルのIt's April Againという歌詞が忘れられ、Where Is Your Heart?だけが生き残ったのは、当然だと思う。

とくに、第4ヴァースのYou must break the spell, this cloud that I'm underという二行は、そうだなあ、呪いを解かなければいけなかったんだよ、と深く同意する。しかし、恋のねじれの原因となった呪いというのは、古来、解けないものと決まっており、それが物語を生んできたわけで、ロートレックにはまことにお気の毒なことだった。




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