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赤い風車:ディック・コンティーノ発、ブライアン・ウィルソン&斎藤高順経由ジョン・ヒューストン行 その1

アート・ヴァン・ダムのアルバムを集めているうちに、子供のころはよく聴いたのに、大人になってからは遠い楽器になっていたアコーディオンが懐かしくなり、見かけると聴くようになった。


Art Van Damme with Johnny Smith - A Perfect Match アート・ヴァン・ダムのアルバムでは、たいていギターがアコーディオンの相方を務めているが、史上最高のギター・プレイヤーと考えているジョニー・スミスが弾いたこれがヴァン・ダムの盤の中ではもっとも好ましい。

◎アコーディオンの「発見」

1966年1月22日、ブライアン・ウィルソンがWouldn't It Be Niceの録音のために、カール・フォーティーナとフランク・マローコという二人のアコーディオン・プレイヤーを、ハリウッドはサンタモニカ・ブールヴァード6252番地の、かつてフィル・スペクターがBe My BabyやYou've Lost That Lovin' Feelin'を録音した、ゴールド・スター・リコーダーのスタジオAに登場させたとき、ハル・ブレイン、キャロル・ケイ、ライル・リッツ、レイ・ポールマン、アル・ディローリーといったレギュラー・プレイヤーの面々は、彼らの日常の仕事場ではあまり見かけず、たとえ見ても単独が当然だった楽器が二台もあることに、いったいなにごとかという顔をしたという。


ゴールド・スターのスタジオA。64年ぐらいの撮影のようで、ドラム・セットにはもちろんハル・ブレイン、フェンダー・ベースはレイ・ポールマン、ピアノはドン・ランディー、ワーリツァー・ピアノはアル・ディローリー、奥に居並ぶギター陣は、キャロル・ケイ、ビル・ピットマン、トミー・テデスコら。ギターが4人もいるということは、スペクター・セッションか?

ブライアン・ウィルソンが、口頭による各プレイヤーへの指示を終わり、リハーサルに入るや、二台のアコーディオンのユニゾンによるあの素晴らしいリックが、予想外にすごい音で響き渡り、並みいるハリウッドのヴェテランたちがびっくり仰天し、呆気にとられた、とブライアンは自慢げに回想している。

これはよくわかる。そもそもPet Soundsというアルバムは、ブライアン・ウィルソンが、昆虫採集のように、綺麗だなあ、と思って集めた音、すなわち「ペット・サウンズ」を彼の曲の中に鏤めて構築した巨大な螺鈿細工だ。一連のセッションの二曲目、のちにアルバム劈頭を飾ることになる曲の肝心要の音=ペット・サウンドと考えていた意外な楽器選択がみごとにはまり、歴戦のつわものを魂消させたのだ、会心の鳴りだったに違いない。


67年ぐらいまでは、ブライアン・ウィルソンのホームグラウンドはユナイティッド・ウェスタンだったのだが、この日はめずらしく、ゴールド・スターを使っている。したがって当然、卓に就いたのはチャック・ブリッツではなく、「スペクターのエンジニア」ラリー・レヴィンだった。


じっさい、あの曲のアコーディオンはとんでもない音だ。二人が同じコードをシンコペートしたスタカートで鳴らすという、ノーマルとは云い難い、非伝統的なアコーディオンの使用法だし、二台によるユニゾンという、「ブライアン・ウィルソンの第三の音法則」(二つの異なる楽器を重ねて鳴らすと二つの楽器個々の音とは異なる「第三の音」が出現する)の変形(ブライアン・ウィルソンの第三の音法則第二項と名付けるぞ!)によって、ふつうのアコーディオンではない、何か得体のしれない新種のサウンドが出現している。いまでも、Pet Sounds Sessions BoxのWouldn't It Be Niceセッション抜粋を聴くたびに、はじめてこの盤に針を載せたときの「なんだこの音は?」という驚きを思いだす。



◎ノーマルなアコーディオンへの回帰

もちろん、アコーディオンは子供のころにしじゅう聴いていた。小学校の音楽の時間、たとえば全校での合唱では、音楽の先生が伴奏にアコーディオンを弾いた。それはたぶん、あの楽器がサイズのわりに、ピアノなどより明瞭に響くきわめて強いサウンドをもっているからだろう。

映画音楽でもなじみ深い楽器だった。いや、フランス映画の話ではない。本邦の映画やTVドラマでもアコーディオンはよく使われた。(当時はアコーディオンの音とは認識していなかったし、この文脈では関係ないことだが、東宝特撮映画によく使われた電子楽器のような音は、ピックアップを取り付け、電気的増幅をしたアコーディオンによるものだったことをあとで知った。)


小津安二郎『東京物語』のオープニング・クレジット。


顧みて、「アコーディオン使い」フィルム・コンポーザーの代表は斎藤高順ではないだろうか。斎藤高順〔たかのぶ〕は『東京物語』から小津映画のスコアを書くようになり、小津晩年のカラー映画のほとんどで音楽監督を務めた。とくにカラーになってからの小津映画の、「つなぎ」のショットではしばしばアコーディオンとマリンバを使っている。大文字の「日本映画音楽=The Japanese Film Score」と云いたくなるような、あの時代に子供だった人間には、じつに懐かしいサウンドスケープだ。

公開時にリアルタイムで見て好きだった斎藤高順音楽監督映画は、滝沢英輔監督、石原裕次郎、芦川いづみ主演の『あじさいの歌』で、DVDを買ってから何度も見ている。小津晩年のカラー映画と共通する、いかにも斎藤高順らしい音楽で、いつものように、アコーディオンとマリンバが全編で活躍している――ように聞こえるのだが、メロディー楽器はアコーディオンのようにも聞こえるし、ピアニカのようにも聞こえて判断がつかない。和音を弾いてくれれば判断がつくのだが、あいにく、すべてシングル・ノート。ということは、アコーディオンではない、と考えるべきなのかもしれない。


斎藤高順作曲、石原裕次郎唄う主題歌もなかなかいい曲だが、コード進行がやや変則的で、シンガロングすると外しそうになる!


◎Internet Archiveのアコーディオン盤

IAにはいくつかアコーディオン盤がアップされていて、数枚頂いてみた。MP3サンプルが聴けるだけの花電車のようなものもあるが、FLACをダウンロードできるものもある。アコーディオン盤にかぎらず、IAのLPリップの多くはひどくスクラッチーで盤状態が悪く、たいていはノイズ・リダクションも施されていないので、自分でやらなくてはならないが、とにかく、音源を入手できるのはありがたい。


Jo Basile, His Accordion and Orchestra - Accordion D'España, 1959

IAのLPリップのあれこれと、ノイズ掃除のことはべつに書くとして、今回、ノイズ・リダクションをかけ、そこそこ聴けるレベルにまで加工したLPのなかでいちばん気に入ったのは、ディック・コンティーノという、未知の人のAn Accordion in Parisという1956年のアルバムだった。

とりわけ出来がいいのは、B面のオープナー、ジョン・ヒューストン監督のMoulin Rougeのメイン・タイトル、The Song from Moulin Rougeで、当然ながらアコーディオンのサウンドとの相性もよく、また、デイヴィッド・キャロルのストリングスも素晴らしい鳴りで、ノイズ掃除をしていて、おお、すげえ音だな、と作業の手が止まった。


Dick Contino with David Carroll & His Orchestra - An Accordion in Paris, 1956
マーキュリーはシカゴ・ベースの会社で、デイヴィッド・キャロルはそのマーキュリーの制作部門のチーフとして、数多くの盤をアレンジし、プロデュースしている。キャロルのMoulin Rougeのアレンジは素晴らしい。


昔、『エデンの東』と『八十日間世界一周』と『赤い風車』のテーマをよく混同したので(聴けば、その原因はすぐわかる。似ている部分があるのだ)、また間違っていないよな、と自分が信用できずに、IAのトラックリスティングを確認してしまい、いくらなんでももう間違えないよ、自分を信用しろよ、と苦笑した。

『エデンの東』は数十年前に見たきりだが、『八十日間世界一周』(遺作『肌色の月』巻末の未亡人の覚書によると、久生十蘭が最後に見たのはこの映画だったらしい。ぼくがこの話をつくったらこうなる、と楽しげに書かれなかった新作のストーリーを語ったという)は十数年前に再見した。ちゃんと映画を見ておけば、メロディーは場面に関連づけられ、混同することはなくなるのだ。

――というしだいで、ジョン・ヒューストンの『赤い風車』も見ておこうと思い立った。やはり、映画は見なければ話にならない。映画主題歌の古典がどういう風に生まれたのかを確認するのはだいじなことだ。

「赤い風車 その2 ジョン・ヒューストン、ジョルジュ・オーリク、トゥールーズ・ロートレック」につづく)




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