見出し画像

ルバイヤート、奥の細道、平家物語、方丈記 (その一) 付:PC読書のテクノロジー(とば口のみ)


先日、「サリヴァンに牽かれてルバイヤート詣で」なる記事に書いたとおり、「ルバイヤート」の英訳和訳を、それぞれInternet Archiveと青空文庫で手に入れた。しかし、読む前にちょっとした手続きが必要だ。

◎PC読書のテクノロジー初篇


たとえば白背景に黒文字のように、明色背景に暗色文字というのは、目の健康を害するので、青空文庫の縦組リーダー・ソフトはすべて暗色背景に白文字の設定にしてあるが、わが家のメインJPGヴューワーであるMassigraは、ある画像に対してネガポジ反転表示に設定しても、つぎの画像を開くとディフォールトの表示設定に戻ってしまう。また、最後に開いたページを記憶せず、栞機能もない。


青空文庫縦組ヴューワーTxtMiru2のページ表示。地色も両脇の背景も暗色に設定し、目を傷めないようにしている。タイトルを左右センター合わせにできないのは大いに不満だが!


JPG本(あるいはPNG本、BMP本、画像形式はなんでもいいが)を表示するには、たとえばNeeViewのようなコミック・ブックを前提とした画像表示ソフトを使うが、これまたネガポジ反転機能はない。コミックを反転表示で読むユーザーはゼロだろうから、当然だ。

であるならば、画像を反転表示する機能もあり、最後に表示した画像(ページ)を記憶できるソフトウェアを使えばいい。いうまでもなくPDFリーダーだ。IAでもらった英訳ルバイヤートのPDFファイルを、ネガポジ反転表示に設定したPDFリーダーで開くと、こうなる。


サリヴァン挿画の英訳ルバイヤート表紙。ディフォールトの白地に黒文字という配色設定を変更し、背景も暗色にした。使用PDFリーダーはSumatraPDF


反転表示にはなったが、このPDFは単ページで組まれているので、四行詩一連が1ページ、対向ページに挿画、という構成のこの本を読むにははなはだ具合がよろしくないから、変換する。PDFファイルの構成を直接に変更するソフトウェアもあるようだが、今回はIAでJ2画像も貰ったので、これをJPGに変換し、複数画像を結合するソフトウェアで見開きページをつくり、それをPDF作成ソフトでPDF化した。

バラバラにされた本を、左に四行詩一首、右に挿画という紙の書籍の組み方に直した。


この変換方法を含む、PCで読書をするためのさまざまなノウハウは、書くと長くなるので、稿を改めることにし、ここでは結果だけを。PDFリーダーは、読書に関しては、シンプルなSumatraPDFを常用している。

これで環境整備は完了、あとはただ読むだけ。

◎ルバイヤート=四行詩集


ニッポニカには、以下のように記されている。

Rubā‘iyāt
ペルシア語の四行詩集。ルバーイー(四行詩)の複数形。第一行、第二行、第四行の脚韻はかならず押韻し、第三行の脚韻は押韻してもしなくてもよい。(略)ペルシア文学史上とくに四行詩人として知られるのは、ウマル・アル・ハイヤーミー、アブー・サイード・ビン・アビル・ハイル、アンサーリー、バーバー・ターヒルの四詩人である。しかしルバイヤートといえば、ペルシア文学代表作品としてウマル・アル・ハイヤーミーを想起するほど彼の作品は世界的に名高い。

「ルバイヤート」は固有名詞ではなく、たんなる「四行詩集」という一般名詞とわかった。「ハイヤーム」ではなく、「ハイヤーミー」と書かれている以上、相応の根拠があって、一般に通用している表記に異議を唱えているのだろう。



邦訳前書きによると、出版時にはまったく売れず、ゾッキ本になってしまったこの書を古本屋で発掘し、世に広めたのはダンテ・ゲイブリエル・ロゼティだというのだから、へええ、だった。いや、大昔、ラファエル前派展で絵をいくつか見ただけで、詩作のほうはまったく知らないのだが。


ロゼティ「ダンテのポートレイトを描くジオット」


◎酒と薔薇の日々


とにかく、読まないことには話にならない。数首引用する。口語体だが、前述のルバーイーの押韻規則、一、二、四行は脚韻を踏み、三行目は踏まなくてもよい、に従っている。ずらずら並べたが、四行詩なので、四行ごとに別の詩に変わる。すべて小川亮作訳。

今宵またあの酒壺を取り出してのう、
そこばくの酒に心を富ましめよう。
信仰や理知の束縛
《きずな》を解き放ってのう、
葡萄樹の娘を一夜の妻としよう。

死んだらおれの屍《しかばね》は野辺にすてて、
美酒
《うまざけ》を墓場の土にふりそそいで。
白骨が土と化したらその土から
瓦を焼いて、あの酒甕の蓋にして。



酒をのめ、マハムードの栄華はこれ。
琴をきけ、ダヴィデの歌のしらべはこれ。
さきのこと、過ぎたことは、みな忘れよう
今さえたのしければよい――人生の目的はそれ。

魂よ、謎を解くことはお前には出来ない。
さかしい知者の立場になることは出来ない。
せめては酒と盃でこの世に楽土をひらこう。
あの世でお前が楽土に行けるときまってはいない。


裸の智者。六芒星の中心には葡萄、すなわち酒がある。彼のたなごころが指すところには酒瓶。


酒をのめ、土の下には友もなく、またつれもない、
眠るばかりで、そこに一滴の酒もない。
気をつけて、気をつけて、この秘密 人には言うな――
 チューリップひとたび萎めば開かない。


まず、酒のテーマで選んだ。酔って遊び女と戯れるのが何よりのこと、という現世主義なのだが、輪廻の観念のようなものがそこにはある。人→土→酒甕&酒壺&盃、あるいは、人→土→葡萄→ワイン、人→土→花、縮めれば、万物は大地から生まれ、大地に還る、という循環論がこの四行詩集の根幹をなしている。



ご存じのように、現代のイランはイスラム国家であり、イスラム教は飲酒を禁じている。昔はいまのように厳格ではなかったらしいが、他の首には、宗教に対して否定的な行文もあり、やはり、この酒礼賛は宗教的な来世の観念の否定と見てよい。

やはり、簡単には書ききれなかった。つぎは酒とは別のテーマの四行詩を見てみる。しかし、そこに通底するものがある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?