短編 絶壁の男

男は崖の上にいた。
そこはある家の裏で、竹の支えが下にあり、そこに足を乗せて、男は膝を曲げてしがみついていた。
「うぅっ…」
男は悶絶していた。
膝が痛い。絶望的に膝が痛い。
男は体育座りの格好で崖にしがみついていた。
膝関節への負荷は想像を絶するものだった。
「うぅ、うぅ」
痛いと言いたいが、その一言が出ない。男は涙を見せぬものと決めたからだ。
なぜならば、少しでも膝の力を抜くと男は崖の底へと落ちてしまう。それはどうしても避けたい。そして、なんとか生き延びたい。それが男の望みだった。
「うっ、ぐっ、」
少しでも体勢を変えようと足掻く男。しかし、今乗っている竹の下にある湿った土がずり落ち、男を底へと引き込もうとした。
「うぁ!」
男は叫んだ。本当に自分が落ちるかと思い、真剣に死を考えた。
しかし、死ななかった。
少しずり落ちただけで、落ちはしなかった。よかった、男は心の底から喜んだ。ただ、もう竹の上には男の両腕だけが乗り、他は崖にぺったりとひっついていた。
もう、竹の上には腕しかないのだ。依然ピンチな状況として変わりない。
「ふはっ、はははっ」
なんだか、男はこの状況がおかしく思えてきた。
笑いが止まらない。
なぜだか知らないが、おかしくてしょうがなくなってきたのだ。今の状況が。
もう男は家に帰れない。
それどころか男が崖に張り付いているなんて、誰も気づいていない。
孤独だ。男は自分が孤独のまま死ぬのかと思い、なんだか馬鹿らしくなって笑いが止まらなくなった。

カァカァカァ
と、カラスの声が聞こえる。動物は周囲にいるようだが、人間はいない。
その孤立は、ある意味で男の感覚神経を研ぎ澄ますこととなった。
人間は五感を活用して普段は生きているが、こういった非常事態では、運動器官に全感覚が集約化され、触感一つのに単一化される。
その一つだけとなった感覚をフル活用して男はこの困難を乗り越えようとしていた。
「よしっ」
男はそう言うと、腕に精いっぱいの力をこめ、腰までを竹と同じ高さまで上げた。
「ふっう、ふぅうう!!」
汗はだくだくで、歯は強くかみ締めた。
「うあぁあああ」
崖の岩肌に皮膚がこすれ、ひっかき傷が多くできた。
痛い。男はそう思った。
皮膚が削れていく。
しかし、ここで大きく力んだおかげか、男の体は尻まで竹に乗っかっていた。

男は助かったのだ。



終わり

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