子どもができた日のこと
今、12歳の息子ができた日のことを私は今でも覚えている。それはいわゆる「幸せ」だったからではない。衝撃と不安のダブルアタックだったからだ。
当時28歳。雑誌の編集の仕事をしていたので、それなりに激務だったし、転職してまだ半年しか経っていなかった。そして私は結婚もしていなかった。
その1週間前には、仕事でUFJに行って同僚とハリウッド・ドリーム・ザ・ライドという絶叫マシーンに立て続けに2回乗ったりしていた。生理が来ていないことに気がついて、当時一人暮らししていた三軒茶屋のドラッグストアで妊娠検査薬を買った。相当動揺していたんだと思う。生理用ナプキンも同時に買っていた。妊娠していたら当分使わないのに…。
一人暮らしの部屋のトイレで妊娠検査薬の陽性反応を見て、とにかく一番早く見てもらえる婦人科を探した。そして翌日の夜、仕事終わりに行ける新宿のレディースクリニックに行くことにした。
「晴天の霹靂」とはまさにこのときのことだ。
新宿の高層ビルの中にあるレディースクリニックの待合室には、実にいろんな人がいた。10代の女の子と母親という組み合わせもあれば、いかにも夜の新宿で働いているらしき女性もいた。自分の状況とあいまって、ここにいる人たちはみんな、妊娠したとしてもうれしいと思えない人たちの集まりなのではないかとまで思った。
超音波の検査をする。その後、診察室に入った。
きれいな女性の医師が「妊娠してますね、5週です」とよどみなく言った。「おめでとうございます」という言葉はなく、私が待ち望んでいた妊娠ではないことを知っているかのようだった。ドラマで見るような黒い四角い枠の中に白い豆みたいな形をした写真を見ても実感が沸かなかった。
「早めに決めた方がいいですよね」と聞くと、「そうですねー」とカレンダーを見ながら「この辺りまでには」と指差した。高層ビルから出ると外はもう真っ暗になっていた。
それから1週間で、私は今の夫と結婚することを決め、お腹の子どもを産む決意をした。その1週間は間違いなく私の人生の中でもっとも激動の1週間だったと言っても過言ではない。これから先を含めても。
当時見ていた明治安田生命のCMは、今見ても泣ける。
さっきちょっと見ただけで泣けてくるし…。
もう、パブロフの犬状態だ。
今までの私なら、こんないかにもな感動映像には何の感情も湧いてこなかった。
小田和正だってそこまで滲みたりしなかったのに、この時期の私は『たしかなこと』を100回はリピートした。
時を越えて君を愛せるか 本当に君を守れるか
空を見て考えてた 君のために 今何ができるか
歌詞があまりにもビビッドすぎて心臓が痛いくらいだった。
実家で飼っていた犬の散歩にもろくにいかず、一人暮らしの家では植物を枯らしてばかりの私が人間を育てるだなんて、親になるだなんて想像できなかった。
そして、斜めからしか物事を見られない私が、これほどまでにまっすぐな気持ちになれたことに驚いた。こんなまっすぐな歌に心を奪われる日が自分に訪れるなんて思ってもいなかった。
それが、「子ども」という存在なんだと思う。
私はどちらかというと、子どもを産む前後で仕事もあまり変わっていないし、好きな服も今までと同じように着ている、ママらしくしようと思ったことはあまりない。
それでも「この子がいなかったら、今の私はいないだろうな」と素直に思える。
こんなママとして何の取り柄もない私のところに来てくれた子だ。きっと空で「あの人のところに行ったら、お前は苦労するはずじゃ」と仙人的な人に言われたに違いない。それでも私を選んで来てくれたのか。そう考えると感謝してもしきれないな。
現実世界では、宿題やってのか! ゲームやめろ! 部屋片付けろ!と母親小言あるあるの三段活用で毎日過ごしているが、たまには初心に返って思い出してみた。
12年前の私に教えてあげたい。
あなたの選択肢は決して間違っていない。そして、衝撃と不安のダブルアタックだと思った日は、最高に楽しい人生の始まりの日だったんだと。
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