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女性がもつ暴力性や性的欲求に、真正面から向き合うことの大切さ

私が学び続けている形而上学※の世界では、「人間には2つの意識モードがあり、それを認識して統御することが大切だ」とされています。

※ここでの形而上学は、森羅万象の背後にある普遍的な法則を説いた知識体系を指します。形而上学については「アデプトプログラム」公式Webサイトをご参照ください。

ひとつは「肉体に基づく意識」。もうひとつは「魂の意識」です。

前者の「肉体に基づく意識」は、わたしたちが日常生活で行使する、通常の感情や思考の機能やその振る舞いを指します。生存本能はその代表例で、特徴をざっくり言えば「自分中心」です。自分を守るためならどんなことでもします。場合によっては、実の親や子供から奪いもするし殺しもするでしょう。

こうした自分中心的な考え方や行動スタイルのすべてが悪い、というわけではありません。生命体としての個人を守るために、肉体意識は重要な機能を果たしています。

ただし、この肉体意識に100%まみれている人生だと、決して満足を得ることはできません。人間は本来的には、霊的な特質を備えているためです。肉体意識だけでは、「ただ生きてただ死ぬだけ」の存在として寿命が終わってしまいます。

そこで大切になるのが後者の「魂の意識」です。こちらは人間の本来的な姿である、霊的な存在としての感性・思考のふるまいを司っています。

瞑想などの霊的修養や、形而上学に基づく「DNAアクティベーション」などのヒーリングは、こうした魂の意識を目覚めさせ、より強くすることができます。

魂の意識を目覚めさせ、強くしていくと、肉体意識をうまく統御しながら生きることができます。これこそが、形而上学が説く「バランスがとれている人生」の要諦です。

■女性にも暴力性はある

形而上学的な観点から考えますと、男性はもちろん女性にも肉体意識があり、それゆえに暴力的な性質も持ち合わせていることは、逃れられない真実です。

繰り返しますが、それは良い・悪いという観点から判断することではありません。肉体のある存在であれば必ず持ちうる性質です。「知ったうえでいかに統御するか」が大切でしょう。

もし、暴力的な性質が「悪い側面」として暴走するとすれば、その性質を「女性および母親は、暴力など振るうはずがない」などと決めつけて、正対せず、否認してしまう場合ではないでしょうか。

少し古い調査ですが、「Fergusson & Mullenによる研究」というものがあります(調査は1999年)。これによれば、少年への性的虐待の5分の1、つまり約20パーセントが女性の虐待者によるものです。また、子どもへの性的虐待全般で見ると、加害者の90パーセントが男性、10パーセントが女性です。これを見ると、女性も性的虐待を行うという真実に我々の社会は直面せざるを得ません。

翻って、女性、例えば成人女性(母親など)から男児少年への性的ハラスメントは、認知されないか、それとも「なかったこと」にされることがほとんどです。これは、母親および女性は「優しい存在」であり、「女性は暴力的なことはしないはずだ」「女性は性的な行為に関しては慎ましやかであるはずだ」という期待感が、社会全体にあるためです。

しかし実際には、冒頭に述べたように女性も「生身の人間」であり、「肉体意識」がある限りにおいては、暴力的な衝動は持ち得ます。また、男性のそれとは少し表出の仕方が異なりますが、性的な欲求も表出したくなる時があるはずです。

私(男性)は幼少期、実の母親から継続的に性的ハラスメントを受け続けていました。私は長年、これに起因する統合失調症的な症状に悩まされてきました。つまり、幼少期の私は、母親という近しい女性を通じて、女性が持つ暴力性に直面していたことになります。

ただ、当時子供だった私は、そうした母親の真実に向き合うと、人生に絶望する辛い現実を認識することになるため、「母親の真実を直視しない」と決めて生きてきたようです。これが逆に、統合失調症的な症状の原因特定を難しくしていました。

翻って考えますと、幼少期の子どもは、母性による保護が一定以上必要です。しかしそうした「母性の恩恵」が著しく欠如した上で、母親から性的ハラスメントおよび性暴力が行われていた場合、子どもが受ける心理的な悪影響は、想像以上に見逃せないものがありそうです。

■私の家庭と、重大犯罪者の家庭との共通点

私が20代の若者だった頃、「未成年の少年が、まったく縁のない女性とその子供を殺害し、しかもその死体と性的行為を実行した」というショッキングな事件がありました。その後、この少年は極めて例外的に死刑判決を受けました(原則、犯行当時未成年である犯罪者に死刑が下されることはないとされています)。

私は、この事件から20年以上もの時間が経過したつい最近、この少年にまつわる詳細なエピソードを知って、とにかく驚きました。この少年は、父親から暴力を受け続けていた上に、母親(後に自殺)からも「妙なハラスメント」を受けていたと知ったためです。

「妙な」というのは、その母親による少年へのハラスメントは、性暴力に近しいニュアンスがあったためです。

少年の母親は、少年へ暴力行為を繰り返す夫(つまり少年の父親)に嫌気がさしたのか、しばしば少年の寝床に入り込んで添い寝をしつつ、「あなたの子どもがほしい」「生まれ変わったら結婚しよう」とささやくなど、母親としてはふさわしくない行動・言動をとっていたようなのです。「これは性暴力なのか」と疑う向きはあると思いますが、心理学の専門的な観点から見ると、これも立派な性暴力に当たるそうです。

そもそも、後に犯罪者になるこの少年の父親は大変な問題人物で、人権侵害者そのものです。少年がこの父親から隔離され、適切に保護されていれば、少年が犯罪者になることは防げたかもしれません。

そしてもう一つキーとなる人物は、この母親です。推察ですが、少年はそもそも父親からの暴力で疲弊しきっていたはずです。少年の母親はそこに押し被せるようにして、「男性としての役割」を少年に過度に求めたと推察されます。

つまり、この少年は、父親と母親からダブルで肉体的・精神的ダメージを与えられていたと考えられます。そのダメージが、少年の犯罪行為へと転化されたと考えても、それほど筋違いではないはずです。

私は最近になって、このような事件と加害者となった少年のエピソードを聞いて、猛烈なショックを受けました。理由は、「子供の頃、母親が私に実行していた“あのこと”に、なんとなく似ている気がする」と感じたためです。

私が小学校4年生か5年生くらいの時ですが、親同士が夜、性行為(らしきこと)をしていたことがありました。当時の私にはよくわからなかったのですが、大人になってからお世話になった心理カウンセラーにぽつぽつと思い出せるだけの状況をなるべく詳細に説明したところ、「おそらくそうであろう」という結論に至りました。

その直前には、父と母は、私を起因とした口論をしていたようでした。母親のぎゃあぎゃあとわめいている声が、2階(私の家は、住宅地にある一戸建てでした)にあった私の小部屋まで聞こえてきていました。

私を起因とした口論の詳細は不明ですが、その1つはお金がらみのことのようでした。その時期、私は鉄道模型に興味を持っていたのですが、母親はそれについてとにかく気に入らない様子でした。父親が私に鉄道模型のカタログなどを持たせたのですが、それも不満のタネだったようです。鉄道模型はそれなりに高価であるので、母親は子どもである私が「ぜいたくな趣味」に興味を持つことを禁止したかったのではないかと思います。

母親は父親と性行為らしきことをしたその後、なぜか母親は、少年だった私の部屋の私のベッドに入ってきて、何事かを言いながら、添い寝してきたのです。

私は恐ろしくて、ベッドの片隅で、母親のほうは向かず、壁のほうを向いて固くなっていました。私はずっと緊張したまま、いつしか眠ってしまったようでした。

朝、もうベッドに母親はいませんでした。朝は父も母も普通の様子でしたが、私はなんとも言えない不信感を両親に抱いたことを、今でも鮮明に覚えています。

ふと目に入ったゴミ箱には、私が大事に読んでいた鉄道模型のカタログであったであろう、ひしゃがれた紙の断片が入っていました。私はその後も鉄道模型のカタログを探したのですが、見つかりませんでした。というより、恐ろしくて探さなかった、というほうが正確かもしれません。

これは、少年だった私にとって、強烈な印象が残る出来事でした。成長して中学生・高校生になり、また成人してからも、私のこの記憶はかなり鮮明でした。母親による性的ハラスメントのことを自覚する前にも、たびたび「あれは一体何だったのだろうか」と思い出していました。

■私の拒否を無視して性的ハラスメントをしまくっていた母親

私の母親は、私が幼少期から継続的に、私の身体を執拗になでたり、接吻をしたり、他者の前など公共の場において「かわいい」としつこく褒めそやしたりしてきました。私が子どもながらに、「それはやめてほしい」と明確に拒否しても、彼女は聞く耳を持たず、ひたすら続けてきました。

併せて、私は小さいころから、少なくとも中学生頃まで、母親から「お前はあたしのペット」と繰り返し言われ続けていました。単なる戯言かもしれませんが、物心ついたころから「そんなペットという呼ばれ方は嫌だ」と拒否していたにもかかわらず、彼女は止めることなく、壊れたロボットのように、ことあるごとにペットだと言い続けてきました。

そしてしばしば、母親は猛烈なヒステリーを起こしました。この時も、私の言い分は一切聞かず、ひたすら壊れたロボットのようにキレ続けました。

こうした一連の状況――特に本人の拒否をまったく受け入れずに続けること――は、子どもながらに大変に侮辱的に感じていました。本人の意図や意志が完全に無視・否定されているからです。

たとえ子どもであっても、一人の人間としての自由意志を示すこと、自分を正当に守ること、といった尊厳が、近しい存在である母親にまるきり無視されるのは、大変な苦しみです。

私は、母親によるこれらの一連の行為は、明確なハラスメントであり性暴力の一種である、ということを、40代も後半になって初めて知りました。あまりにも驚きました。しばらくの間、まともに生活するのが難しくなるほどにショックを受けました。

『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒やしのガイド』という書籍には、興味深いリストが載っています。ここから考えると、私は母親による性暴力の対象だったようです。

【あなたはからだをさわられたり、キスをされて、それがいやだと感じたことがありますか
……(中略)………
もし上の質問のひとつでもあなたに当てはまるものがあれば、あなたが受けたのは性暴力です】

時期感についての明確性はやや曖昧ですが、小学生、中学生、さらには高校生になっても、このような一連の「母親による嫌な行為」は続きました。

中学生の頃などは、この母親の態度を観察していた友人(同級生)や先輩・後輩らには、酷くからかわれました。私は母親の行為によって直接的に苦しむだけでなく、そこから二重に苦しんでいたことになります。

ある同級性が、私の母親の様相を見て、私の前で「おれがおまえだったら、とっくにお母ちゃんを殺している」とつぶやきました。それを聞いた当時、私はなんとなく同意しつつも、「殺す」という過激なものいいに不服な感情も抱きました。

ですが、あれから30年以上も経過した今なら、なるほどと思います。その同級性は、私の母親の本質をよく見抜いていたのです。子供の心眼は、時として鋭く真実を射貫くものです。

繰り返しますが、殺人を犯した元少年が、実の母親から受けていた行為のエピソードを聞いた時、以上のような私の過去の出来事との共通性を感じました。そのため私は、死刑囚として今も収監されているはずの元少年のことが、他人事だとは思えません。

■性的ハラスメントを受けた子供は、やり場のない殺意を抱く

総じて、大人から少年・少女への性的虐待(明確な性行為を伴わないハラスメント的な行為も含む)というものは、被害を受けた少年・少女の精神に、単なる虐待やハラスメントのケースとはまた異なる、独特な問題を引き起こすようです。それは私の体験上も確かに言えることです。

私の仮説ですが、性的虐待を受けた少年・少女は、「やり場のない殺意」を抱くケースがあるのではないでしょうか。

先に触れた、殺人を犯した少年の心は、父親からの暴力と、母親――先にも触れたように子どもにとっては、「母性という社会の最後の砦」であってほしい母親――からの、母性が欠如したハラスメントという、ダブルのハラスメントで、完全に崩壊していたのではないでしょうか。

そして私はこう思うのです。「彼は、どこにもやり場がない殺意を持っていた、かつての私と、まったく同じだったのではないか?」

もちろん、この少年の行為とその罪は、容認されるものではありません。しかし、少年の背景に存在していた「負の構造」を読み解き、周囲がその負の構造を変えていくところから取り組まなければ、根本解決は難しいはずです。そして根本解決を目指さない状況は、失われた貴重な命にとっても本意ではないのではないでしょうか。

私はたまたまラッキーだっただけであり、もしかしたら、過去に元少年と同じように、自分の中にうごめく殺意――おそらく母親からの性的ハラスメントによって醸成されたものです――によって、どこかで誰かを殺してしまっていたかもしれません。

もう20年以上も前、ある若い無差別殺人犯が、法廷で「誰でも殺せればそれでよかった」などと証言したという話を聞きました。その時、私の内側で猛烈なる共感の思いが立ち上がってきて、戸惑った覚えがあります。――「なぜ、おれは無差別殺人犯に激しく共感してしまうのだろうか?」と。

その時の私は、今ほどには自分の過去に対する理解が及んでいなかったので、この共感の思いに蓋をしていました。しかし、私はこの時生まれて初めて、「本当の共感とはどういうものか」を知ったと思っています。それくらいインパクトのある感覚でした。

もしかしたら、この無差別殺人犯も、私や、先の元少年と同じように、実の親から、ひどい暴力や性的ハラスメントを受けていたのではないだろうか、と推察します。なお、この殺人犯はすでに死刑が執行されており、この世にはいません。

■女性の性暴力は、その存在自体を否認されがち

書籍『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(新評論)には、印象深い文章が書かれています。少し引用します。なお、原書はスウェーデンにおける性的虐待救済活動を記載した本です。

 ボーイズ・クリニックを訪れる少年の10パーセントは、女性から虐待を受けている。その虐待者は、実の母親、祖母、代母、母親の友人などである。女性による性的虐待は男性によるそれよりも理解がむずかしいが、それには理由がある。私たちは、男性が虐待や裏切り、そして衝動的行動をとることにはなじみがあるが、女性が同様の行動をとりうるという事実は、私たちのもっとも深い心性と観念をくつがしてしまうからだ。母親あるいは女性は子どもにとって最大の保護者であり、究極の慈愛に満ちた存在である。母性は社会に最後に残された砦というべきものであり、私たちはそれが崩壊するのに耐えられないのだ。

『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(新評論)、アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソン(著)、太田美幸(訳)

社会に疑いなく蔓延している「女性の優しさへの憧れ」や「母性への憧れ」――それは一面としては正しいものの、一種の幻想とも言えるものです――が、現場で起きている女性による性暴力を否認することにつながっている、というわけです。これはとても恐ろしい状況ではないでしょうか?

幼少期に私が経験してきた家庭環境は、この書籍の表現を借りると、まさに「母性という砦が完全に崩壊した」状態でした。

もし、当時の私が「肉体意識」と「魂の意識」にはじまる形而上学的知識を持ち合わせていれば、母親に対して正当な疑いの目を向け、それに基づいて多少なりとも、自分を守るための対処が取れていたかもしれません。

■母親からの性的ハラスメントによって植え付けられた、「頭の中にいるもう一人の声」

私には、物心ついた頃から、頭の中に「もう一人の声」がいました。自分の頭の中に誰か他の人物がいて、常に自分に何かを語りかけているのです。そして、ときには猛烈に自分を批判・非難し馬鹿にする――。

このような声の存在感が顕著に大きくなったのは、定かではないですがおそらく、中学生頃のことです。また、私はその頃から同時に、説明のしがたい殺意を心の中に抱くようになりました。それは、つい最近の、40代後半に至るまでの長い間、抱え続けてきました。

収まった今だからこそ言えることですが、かつての私の中では、人間関係の摩擦などをきっかけに怒りを感じた人物に対して、心の中でエンジンの回転数が一気に吹き上がるかのように、猛烈な殺意へと発展していたのです。

もちろん私はそれを客観視できていたし、外側に示すことはありませんでした。なぜなら、文脈としてそこまで殺意を持つほどのことではない事象であっても、殺意に発展していたためです。ただ、この殺意の精神的エネルギーには猛烈な勢いがあるため、殺意を統御するのにかなりの精神的努力を要していました。

こうした自分の性質をどうにか統御したくて、私は若い頃からたくさんのことに取り組んできました。瞑想・ヨガ・気功、自己啓発、スピリチュアルヒーリング、神道・密教のお祓いなども含めて、大量の時間とお金をかけ、必死になってたくさんのことを実践していました。本来であればレジャー、勉強、配偶者を得て家庭を持つこと、住まいなどにかけられるはずのお金の多くを、その代わりに「頭の中にいるもう一人の声」を消すこと、そして自分の中にある「猛烈な殺意」の解除に向けて、必死になって投じてきたのです。

察していただけると思いますが、それほどに必死になって取り組んできた理由は、殺意は自らの社会的存在価値を完全に崩壊させかねない、極めて強い衝動だからです。

かなりの努力、そして年齢を重ね経験を積むことなどが相まって、少しずつ、殺意の強度は弱まっていきました。特に、瞑想は実感としてメリットがある取り組みだと感じています。また、この道のりを通じて「DNAアクティベーション」と「アデプトプログラム」に始まる形而上学に出会えたことは、私にとって幸運でもありました。

ですが、こうした一連の取り組みを経ても「最後の決め手に欠ける」という感触があったのが正直なところで、とても悩んでいました。

しかし、私はつい数年前の48歳ごろ、母親による「あの嫌な行為」は、性的ハラスメントであることに、ようやく気が付いたのです。そこから「もう一人の声」が消えました。この瞬間のことは今でも忘れなません。本当に、すっと、存在感がなくなったのです。

また、今から振り返ると、私はこの頃からようやく、殺意を自覚することが減っていました。

総じて、「長い間悩まされてきた『頭の中にいるもう一人の声』と猛烈な殺意は、母親のしつこい性的ハラスメントにより、私の意識内に埋め込まれたものだったのではないか」――というのが私の仮説です。そしてこの仮説は、ほぼ、間違いないと考えています。

■「毒親」はサディスティックな欲求に支配されている

カウンセラーのスーザン・フォワード氏が著した『毒になる親』(講談社)というベストセラー書籍があり、これはあまりにも有名です。

この書籍には、実の子どもにハラスメントをする親――「毒親」に社会的属性などは関係なく、いわゆる低所得者層だけでなく弁護士、教師、研究者、神父など、社会的地位のある高所得者層にも同じように毒親の存在は見られる、との趣旨が書かれています。つまり、「人道的見地に沿った自己統御ができるかどうか」と、一般的に高評価を受けやすい社会スキルや知能指数との間には、まったく相関関係はないというわけです。

転じて、私の個人的感触を挙げますと、「毒親は無意識下で沸き上がってくるサディスティックな欲求に対して、ほぼ自動的にハラスメントを実行している」のだと思われれます。

そしてかれら毒親は、ハラスメント行為を通じて自らのサディスティックな欲求が充足されてしまうがゆえに、自ら客観性を持った疑問などを投げかけることはありません。また、人道的見地に沿った自己統御を行うこともありません。

先にも挙げた書籍『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』では、子供にハラスメントを繰り返す母親の証言として次のような内容が紹介されています。「自分の中に二人の人がいるみたいで、ときどき自分をコントロールすることができなくなって、悪いことをしているとわかっているのにやめられない」というのです。おそらく、私の母親も、こうした二重人格的な行動を私に対して繰り返し実行していたのではないかと思います。

一方で、私は、これまでの人生で経験したことのなかった、心の平和を取り戻しつつあります。それは、私が幼少期を過ごしてきた家庭環境の真実に向き合うこと――つまり、女性が持ちうる暴力性に直視すること――で、達成しつつあります。

この記事が、必要な人に届き、そしてその人の魂が救われ、目覚めることを、心から祈っています。

■参考文献
1)『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(新評論)、アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソン(著)、太田美幸(訳)
2)『毒になる親』(講談社)、スーザン・フォワード(著)
3)『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒しのガイド (性虐待を生きる力に変えて)』(明石書店)、グループ・ウィズネス(編)

■「真実の剣」note記事をご覧いただきました方へ

「真実の剣」のnote記事をご覧いただき、ありがとうございました。併せて、ぜひ、下記のヒーリングや瞑想ワークショップの情報もご覧ください。

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DNAアクティベーションは、伝統ある形而上学の学校が古来引き継いできた、最重要のヒーリングメソッドの1つです。

DNAアクティベーションでは、後頭部から背中上部にある、皮膚から上1cm程度の領域に対して専用のワンドでアクセスします。これにより、受ける人のエネルギーを活性化していきます(出所:MMSジャパン「DNAアクティベーション」ホームページ)

かつては王族や神官など、限られた人にのみDNAアクティベーションの存在が明かされてきました。つまり、ごく一部の人物しか、このDNAアクティベーションの恩恵を受け取ることはできませんでした。

しかし、今は形而上学の学校・モダンミステリースクールが一般公開に踏み切ることにより、正式なトレーニングを受けて認められたヒーラーなら、施術ができるようになりました。これにより、市井で活躍するより多くの人々が、このDNAアクティベーションの恩恵を受けられるようになっています。

これを受けた人は、まさに形而上学が語る最大の教え、「I am God.」の一片――人ひとりがそれぞれ持っている、素晴らしき可能性に光がともります。これにより、心の平和と心の豊かさをもって、オリジナリティーに溢れた人生を切り開いていくことができるようになるでしょう。

私がDNAアクティベーションを最初に受けたのは2005年9月のことでした。そしてDNAアクティベーションの施術法を最初に学んだのは、2009年でした。初めて学んでから10年以上もの月日が経過していますが、このヒーリングの威力については、発見の連続です。

受けた人が備える可能性を最大限に開く、古来の叡智・DNAアクティベーション。このヒーリングの恩恵を、ぜひ、多くの人に受けていただきたいと思います。

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