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「毒親に似た人物に近寄ってしまう心のクセ」を克服するために

今回のnote記事のテーマは、「毒親」と「ハラッサー」である。最近、これらの事項について、印象深い出来事があった。整理しきれていない内容だが、ご参考になる部分もあるかと思い、まずは公開するに至った次第である。

「毒親」という言葉がある。ハラスメント体質を備えた親を指す。毒親が子どもに与える影響は無視できないものがある。彼ら彼女らは、コントロール下におきやすい実の子どもを、人権侵害行為であるハラスメントの対象として扱っている。それは密室的な関係性及び物理空間で行われており、極めて悪質だと言っていい。

これは科学的に証明できたことではないが、私が観察する限り、毒親のハラスメントは情動レベルで行われているようだ。つまり、毒親は、無意識下で沸き上がってくるサディスティックな欲求に対して、ほぼ自動的にハラスメントを実行している。そこに、自ら客観性を持った疑問などを投げかけることはない。

カウンセラーのスーザン・フォワード氏が著した『毒になる親』(講談社)というベストセラー書籍がある。この書籍には、ハラスメントをする親に社会的属性などは関係なく、いわゆる低所得者層だけでなく、弁護士、教師、研究者、神父など、社会的地位のある高所得者層にも同じように毒親の存在は見られる、との趣旨が書かれている。つまり、「無意識下における心の動きを客観視できるかどうか」と、一般的に支持される社会的スキルや知能指数とはまったく関係がないということだ。

世間のニュースを見ていると、親が子どもを殺してしまうケースや、逆に成長した子どもが親を殺してしまうケースがある。私は、一概には言えないものの、背景に「親による子どもへの執拗なハラスメント」があるのではないかとみる。前者は親によるハラスメントがエスカレートしたケース。後者はハラッシーである子どもが親による長年のハラスメントに潜在的に気が付き、「復讐」として実行したケースだと推察される。

私が、「毒親」というワードおよび概念に初めて出会ったのは、今から12年ほど前の、2012年頃のことである。当時付き合っていたパートナーの女性が、私の様子を見てしばしば、「あなたの両親、特に母親には、人格面でかなり大きな問題があったのではないか」と指摘した。彼女の指摘を通して初めて知ったのが、この「毒親」というワードだった。

正直、30代当時の私には、自分の親がどの程度「毒親」だったのか、ピンとこなかった。確かに、すでに小学生の頃から「ぼくの母親は何かがおかしい」ということには気づいていた。また、中学生時代の同級生のひとりは「おれがおまえならおまえの母ちゃんをとっくに殺している」とぼやいていた。だがそれでも私は、父親も含めた両親との関係性がどれほどおかしかったのかという「毒親テーマ」について、深刻に捉えてはいなかったし、問題意識をそれほど強くは持っていなかったのだ。

パートナーの女性に指摘を受けてから数年後、私とそのパートナーの女性とは別れるに至った。お互いの人生の目標に対する相違などが原因である。しかし、別れてからさらに数年後に、私はその彼女が指摘していた事項にあらためて直面し、まさに彼女の言う通りであったことを知った。

私の母親は、彼女曰くの「あなたの両親、特に母親は、人格面でかなり大きな問題があったのではないか」という指摘そのものであったことが、明確に分かったのだった。

■母親が繰り返し実行してきたハラスメントとは

これは40代も後半になってようやく自覚できたことなのだが、私の母親は、幼少期の私に対して、性的なニュアンスを伴ったハラスメントを繰り返し仕掛けていたようだ。

といっても、分かりやすい明確な性行為という形ではない。彼女が行っていたハラスメントとは、私に執拗に触ったり、接吻したり、こちらがいい歳になっても幼児のように扱う、といったものだ。それを人目をはばからずに実行していた。それらは、私の友人や同級性からの酷いからかいやいじめの題材となっていた。

性的なハラスメントは、どんな形であっても、また被害者が女児ではなく男児であっても、精神面にネガティブな影響を深く与える。

「母親が男児に性的なハラスメントを行うものなのか(そんなわけないだろう)」とする人も数多くいることだろう(私の周囲では、私に対して疑いをかけるのは意外にも女性が多い)。だが、心理学などの専門家の話を総合すると、いわゆる典型的な性行為という形ではなくても、性的なニュアンスを伴った人間同士の関わりというものは存在する。また、本人の同意なく行われる身勝手な性的な関わりは、母親から男児、あるいは母親から女児にも行われている。

容易に想像しうることだと思うが、こうした本人の同意なき性的な関わりは、本人にとって非常に不快なものである。また、繰り返しになるが、男性から女性という形態だけでなく、女性から男性という形態も存在する。抵抗できない男児が受けた場合の悪影響は、女児が大人の男性から典型的な性行為という形で受けるものと本質的には変わらないと思われる。

(やや余談だが、この「分かりにくい形」であるというのが、被害者である子どもが、自分は性的なハラスメントを受けていたという事実を認識しにくくしている。これがさらなる問題を引き起こしている)

性被害を受けた子どもが経験する心理面でのネガティブな影響は、多様な形で現れるという。私の場合は、自覚できる限りで言えば、いわゆる統合失調症的な精神状態として現れていた。「いわゆる」としている理由は、寛解した後からそのような症状があったことを自覚したためだ。つまり専門医による診断を受けたわけではない。しかし後から調べると、統合失調症として描写される症状そのものであった。なので私としては、かつての私が統合失調症であったことはほぼ間違いないと考えている。

■長年苦しんできた「頭の中にもう一人の自分がいる」状態について

私が約50年にわたる人生で経験してきた、精神的にネガティブな状態――統合失調症的な精神状態とはどのようなものかを、もう少し説明してみよう。

私は物心ついたころから、「自分の頭の中に、もう一人の自分がいる」という状態にあった。特に顕著になり始めたのは、中学生くらいの頃だろうか。この「もう一人の自分」が、常に自分のやることなすことに妙な突っ込みを入れてきていた。「もう一人の自分」を意識内で押さえ込みつつ、勉強・生活をこなすというのが、私の人生の通例であった。

推察してもらえるとは思うが、このような精神状態で、まともに生活できるはずがない。今から思うと、10代・20代の私の日常の生産性、ひいてはQOL(人生の質)は著しく低かった。

10代から相当な大人になるまでの私は、こうした「もう一人の自分と闘って、それを押さえ込みながら、何とか勉強や仕事に手を付ける」という極めて非生産的な状況がそもそも異常であり、また、それは決して自分のせいではない、という真実を認識できていなかった。先にも述べたが、時期によって程度の多少の差異はあれども、「もう一人の自分が常に自分の頭の中にいる」というのは、私にとっては「普通」だったためだ。

この「頭の中にもう一人の自分がいる」という状態がどうやら健全ではない、ということを自覚したのは、20代の終わりの頃であった。仕事帰りに同僚と夜食を食べている時のことである。なんとはなしに自分の頭の中にいるもう一人の自分のことをしゃべったときに、「高下さん、私にはそういうのはありませんよ」と指摘を受けた。これには本当に驚いた。

そこからが、「もう一人の自分」と本当の意味で対峙する、約20年にわたる長い闘いの始まりだった。

その戦いの道程は今回は触れないとして、克服の瞬間について説明する。40代の終わり――つい最近のことである――のある日のことである。母親から繰り返しされていた「嫌なアクション」が「性的ハラスメントに類するもの」であり、かつ「母親自身の抑えきれぬ何らかの性的な欲求に基づくものである」ということに、あらためて気が付いた。もう少し言えば、それまで「なんとなくそうであろう」と仮説的結論として推察していたこの事項が、「おそらく本当であろう」というレベルにまで確度が高まった。

この瞬間に、「頭の中にいるもう一人の自分」が、すっと消えた感触があったのだ。この瞬間のことは、忘れられない。これ以来、私の脳内で「もう一人の自分」が主張することはなくなった。

■私の本当の人生は40代の終わりから始まった

私に言わせれば、私はこの時からようやく、自分自身の人生を歩み始めた。要するに私の50年近くの人生は、「頭の中に住まうもう一人の自分」に大きく侵食されており、自分のものではなかった。

以上に述べてきた体験を踏まえると、「もう一人の自分」が脳内に居座っていた主要因は、母親によるハラスメントであることはほぼ、間違いない。

この発見と寛解それ自体は大変に卓越した成果であったものの、最近の私はもう一つ、大きな課題に直面している。それは、「母親と似た女性になぜか近づいていく」という心のクセを払拭することである。

■「わざわざハラッサーに近づく」行動パターンは母親によるハラスメントが原因か

私にはどうやら、幼少期に母親によるハラスメントを繰り返し受け続けてきた影響からか、わざわざ母親と似た人物に近寄っていっては、何らかの一定形式のコミュニケーションを実行する、という行動パターンを身につけてしまっているようなのだ。

ハラスメントの嫌な体験を昇華するためなのか、そもそも単純にすり込まれているものなのかは定かではないが、少なくともこの行動パターンの“習得”に母親が影響していることは、専門家や周囲の毒親サバイバーの方々の意見から考えると、ほぼ間違いなさそうだ。

最近、これを自覚するに至ったきっかけがあった。そのきっかけとは、少し前に、あるコミュニティー内でハラッサー特有の傾向を持つ人物と出会ったことである。

その人物は最初のうちは愛想が良く、気立てもよく、仕事熱心で好印象な人物であった。しかし、コミュニケーションをとっている最中から私は「何かがおかしい」と気が付き、距離をとることにした。理由は、相手の言動や態度から、理由は明確ではないものの、私の中で憤怒を感じることが増えたためだ。

後日、そのコミュニティーに所属している別の知人と話している最中に、なんとはなしに「ある人物に対して(私は最初のうちはその人物の名前を伏せていた)憤怒を感じてしまう」事象について、相談にのってもらうことになった。

その知人はとても勘が鋭く、話題に出ているのは件(くだん)の人物であろうという旨を示唆しつつ、さらなる深い話題に突入していった。

知人の話を聞いて驚いた。この人物は、コミュニティー内では「隠れた有名人」で、何人もの人がその人物によるハラスメント被害に遭っているそうなのである。

私はここでようやく答え合わせができた。その人物の言動や態度がなぜ、私の憤怒を誘うのか、知人との話を合わせることでその構造が見えてきた。

その人物の典型的なコミュニケーションパターンは、次のようなものである。(下記のパターンは、多くの方々に参考になると思われる)

まず、獲物となりうる人物を見つけたら、いろいろな形で取り入って、獲物が自分(ハラッサー)に好ましい印象を抱いている状態にする。ハラッサーはおしなべて頭が良い。獲物がどういう人物像を好むのか、獲物との会話から特徴を抽出しつつ、好ましい人物像を演じていくためだ。

獲物に対して自分の好ましい印象を抱かせることに成功したら、いよいよ獲物に対してコントロールを仕掛け始める。コントロールの仕方は様々だが、基本的には「わたし(ハラッサー側)は悪くない、おまえ(獲物)が悪い」という前提を起きつつ、「おまえはわたしの期待を裏切った、だからわたしの要求に従うべきだ」という意味合いを含ませながら、獲物の罪悪感を刺激する言動をしたり態度を見せたりする。これと併せて、ハラッサーの満足を満たすべく、さまざまな要求を伝えてくる。

最初のうちは小さな要求で、それがうまく飲み込ませられるようになったら、徐々に要求の規模を大きくしていく。私はどうやらここでその人物に対して憤怒の感情を抱いたようだった。

知人の話では、以上のようなやり方にまんまと引っかかった人物が複数人いるようだった。ある被害者は家族を巻き込んだおおごとに発展し、仲裁役まで置くほどの事態に発展したことがあるようだ。

しかしそれほどのハラッサーでも、コミュニティー内で排除の対象にはならないことに驚いた。おそらく、以上のようなハラッサーの行動パターンを言語化して説明する人がいないので、いろいろなことがうやむやになるのだろう。

■最初から「おまえは下だ」と決めつけてくる人間を相手にしてはならない

翻って、このようなハラッサーのターゲットになるということは、私の心の中にはまだまだ、「ハラッサーにわざわざ近寄ってしまう心のクセ」があることを意味する。これは強く反省せざるを得ない。

この心のクセをどうすれば修正できるか、まだ手探りである。しかし私としては絶対に克服すると決めている事項であり、また、私は必ずこれを達成できると固く信じている。

ハラスメントは、人権侵害である。「おまえは下だ」という前提でコミュニケーションを仕掛けてくるためだ。我々は人権侵害者であるハラッサーとの戦いに、絶対に勝利しなくてはならない。

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