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「引きこもり」や「不登校」の相談件数が増えてきています。
ストアカの僕の子育て講座を受講してくださるお母さんからも相談されることが多く、またリアルやオンラインでもよくご相談を受けるようになっています。

ここであらためて「引きこもり・不登校」についての基本的な考え方を整理しておこうと思います。


そもそも「引きこもり」と「不登校」の違いって分かりますか?

厚生労働省によると、「引きこもり」の定義はこうなっています。

仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅に引きこもっている状態

「引きこもり」は、様々な要因が背景にあって生じる問題です。
一概にこれが原因などと言えるものではなく、きっかけは人それぞれ違うということです。

で、どうでしょうか。「引きこもる」つってもいろいろでしょ。

趣味の用事のときだけ外出する
近所のコンビニなどには出かける
自分の部屋からは出るが、家からは出ない
自分の部屋からほとんど出ない

普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事のときだけ外出する人を「準ひきこもり群」としています。


さて、じゃ「不登校」は?

ってことですが、実は「引きこもり」と「不登校」には明確な定義の違いがあります。

まず、「不登校」は小・中・高の児童生徒であることが前提です。
しかし、ひきこもりは学校だけでなく会社なども対象範囲に含まれているため、年齢層が幅広いってわけです。

で「不登校」の文部科学省の定義はこうです。

何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席したもののうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの


要するに明確に区別されるのは、日数の違いです。
「引きこもり」は6か月以上
「不登校」は年間30日以上

そして、決定的な違いは社会参加の有無なんです。
「引きこもり」は家族以外との交流をほとんど持たず、「準ひきこもり群」でも趣味の用事程度、コンビニに出るくらいで人との交流をほとんど持ちません。家族とさえ交流を持たないこともあります。
なのでだいぶ深刻です。

不登校は、必ずしも家や部屋から出ないわけでなく、あくまで学校に登校しない長期欠席であり、友達と交流がある、習い事に通うなど学校以外の社会参加があっても不登校の対象です。

つまり「引きこもり」と「不登校」では若干アプローチも変わってきます。
ただ、「不登校」もアプローチを間違えば、「引きこもり」に発展する可能性はありますよ~ということは頭に入れておきましょう。


とりわけ今回は「不登校」に絞って考えてみたいと思います。


で、いきなり根源的な疑問ですが、「不登校」って何が問題なんですか?


学校に行かないことですか?


そもそも「不登校」って子どもの問題だと捉えてらっしゃる方がほとんどなんですが、実は僕はそこじゃないと思っています。


よく、子どもさんをスクールカウンセラーに介入してもらったり、心療内科に通院させたり、教師と親が頭を突き合わせていかに子どもに心を開かせるか…と心血注いでらっしゃいます。その苦労には頭が下がるばかりです。
ですが、どうでしょう?
結果的にはそれって余計にややこしくしてることないですか?


ぶっちゃけ言いますと、「不登校」は子どもの問題ではなく、親御さんの思考状態に対するアプローチが僕は肝なんだと考えています。


親御さんは、こうなっている方が多いんです。
・子どもが不登校・引きこもりになったのは自分たちのせいではないか
・今、置かれている現実を受け入れることが苦しい
・学校や医者に相談はしたが、現実は変わらない
・子どものことで悩み、クタクタになっている
・子どものことを理解したいのに話してくれない

子どもも悩んでいるかもしれないけれど、それに拍車をかけているのは親御さんのメンタルであり態度なんです。

僕はこう考えています。

「不登校」って「学校に行かないこと」をいうわけなんですが、それは駄目なんですか?

「子どもは学校に行かせなければならない」
「子どもはしっかり勉強しなければならない」
「高校ぐらいは卒業すべき」
「学校出たら仕事をすべき」

この「ねばならない」「すべき」規範性が強い親ほど、子どもがその期待通りにならないと不登校を「問題」と捉える傾向は強くなりますよね。

なぜなら子どもは親にとって「べきの枠」の外に出ていることになるので、そんな子どものことを許すことができなくなってしまいます。
そして本能的に、お子さんを「べきの枠の内側」に戻そうとします。内側に戻ってくれれば親御さん自身が安心するからです


いやそりゃね、まあ、確かに小学校と中学校は義務教育なので、国民の義務を守らなければならないというルールに従わなければならないということは認めます。

でもね、そんな国の決めたルール
おかしなこといっぱいありますよ。ジェンダーフリーを叫びながら法律は変わってないじゃん!

子どもなんて、いろんな感性や個性があります。勉強についていけなくなった、ケガして運動ができなくなった、発達障害で同年代の子よりもある機能で差がでてしまう…
様々な理由で学校に行くことに意味を見出せなくなったり、苦痛であったり、相性が合わなかったり…ってあるでしょう。


学校に行けなくなるなんて誰にでも起こり得る自然の出来事なんです。


でもそれぐらい我慢しなければならない。
みんなイヤでも、ちゃんと頑張ってる子もいるじゃないか。
こんなことでへこたれてたら社会に出て生きていけないじゃないか!
甘えてるんだよ…ラクしたいだけなんだよ…


という大人の理屈で子どもをコントロールしようとしているとしたら…
そしてこう考えることが子どもにとって最善であるという前提意識があるとしたら…

親の望む「不登校」問題の「解決した状態」ってどんな状態ですか?


学校に行ってくれるようになった状態

ですか?


もしそうだとすれば、ここをゴールにしている限り、誰にとっても幸せな未来は得られないと断言できます。


親が子にするアドバイスってどんなふうになりますか?
「こうしたら行けるようになるんじゃないか?」
「こうしてみたら?」「これやってみたら?」

心配してるようでいて、ぜんぶ「学校に行くためには」が前提になっちゃってるんです。


これでは、子どもは親から否定された意識を持ち続けるわけですから心は開きません。


要するに「不登校」が問題ではなくて、親や教師が「不登校」を問題であると思っているから問題になってるんです。


じゃ、どうすればいいんだ!


って話ですが、実はシンプルなんです。
親が「解決した」という「解決」の定義を変えちゃえば解決します。


…って何言ってるんだ!って話ですが、分かりやすく言うと親が「現実を受け入れた時」子どもは学校に行くようになるでしょう。
もしくは、学校に行かなくても自分でやりたいことを見つけてそれに邁進するようになったり、自分の居場所を見つけてイキイキと生きていくようになる可能性が高いということです。


要するに親が起こっている現実を「今のままでいい」と受け容れることができれば、その時点でもう「解決」できたことになり、子どものことに関しても何も問題はなくなります。
なぜなら当然「現実を受け容れている」から。

そして、親が現実を受け容れると、子どももそれを感じ取ることができます。すると、子ども自身も不登校や引きこもりを続ける自分を受け容れることができ、自分に苦しむことがなくなってきます。
結果、
「学校に行くようになる」「外へ出て社会復帰するようになる」もしくは、自分でやりたいことを見つけてそれに邁進するようになるという副産物が得られるという寸法です。


では、「現実を受け入れる」ってどうすればできるの?

って話。


『良い』『悪い』の判断をすることなく、あるがままの状態をあるがままに認める

ということ。


本当は今の自分を「良い」と思っていないのに、「無理をして」肯定したり、
本当は好きではないのに「無理をして」好きになろうとしたり、
本当は妥協なんてしたくないのに「無理をして」妥協したり、
本当は子どもが一番大事だなんて思っていないのに、「無理をして」一番だと思おうとしたり…

ムリしてるじゃん!


無理をせず「あるがままをあるがままに認める」ということは、「良い悪いの判断をしない」で認めるということです。


「子どもはこうでなくてはならない」
といった理想があり、その理想通りになっていない子どものことが認められない状態。
そして
「子どもが不登校になったのは、自分の育て方のせいだ」
と自分を責めてしまっている親御さん

子どものことも自分のことも否定している状態…

あらためてお聞きします。


子どものことを信頼していますか?

「もちろんですよ!子どものことを考えない日はない。いつも子ども第一に、子どものことを心配しています」

…なーんておっしゃる方がほとんどなんです。
ですが、残念ながら、信頼してないから心配してるんです。
信頼してたら、子どものことを本気で信じてたら心配なんて不要なはずなんです。


信頼してくれていない人のことを人は信頼しません。

親のできることは、今こそ子離れです。


学校に行ってなくても、自分のやりたいことを見つけて邁進していたり、幸せな人生を送っている人は山ほどいます。
頭では、「別にいい大学を出てなくてもいい」「一流じゃなくてもいい」「お金なんてなくてもいい」「自立してやりがいを見つけて、イキイキと生きてくれれば…それで充分」
なんて言ってるくせに、でも学校には行かないとそういう未来は手に入らないと決めつけている…

その思考を手放し、いい意味での「あきらめ」を手に入れられれば、子どもとの関係性は改善し、自然と「学校に行くようになった」という結果が副産物として得られている方が多いようです。


簡単ではないですよ。

ほとんどの方は、受け入れることを頭では理解しても、感情が拒否反応を示します。

ですから実は、親のカウンセリングの方が重要なんです。



ここでスナフキンの言葉を紹介します。

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「人と違った考えを持つことは一向にかまわないさ。
でも、その考えを無理やり他の人に押し付けてはいけないなあ。
その人にはその人なりの考えがあるからね。」


相変わらずええこと言うなぁ…

実はスナフキンて、ものすごい名言をいっぱい残してるんですよ。


あ、でも今の親御さんの世代じゃ、スナフキンなんて知らないですね。


昔の「ムーミン」というアニメの登場人物です。

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親の精神的自立…


別に親御さんは自分を責める必要はありません。
子どものためを思って頑張ってきた結果なんです。
ただ、今の状態が苦しいのならば、まずは現実をありのままに受け止め、すべて許可しましょう。
雨が降ることに対して、くよくよしていても意味がありませんよね。
降るべくして降ってるんです。
降ることに「せっかくのキャンプなのに!」とジャッジするのは、あなたの勝手です。
子どもも不登校になるべくしてなってるんです。
雨が降ることを受け入れるように子どもの状態も受け入れてください。
雨が降るのはあなたのせいではありません。
子どもも自分の生き方を選ぶために成長するために悩んでいるのであって、あなたのせいではありません。
ありのまま受容できると問題が消失します。
問題が消失した時点で、不登校は問題でなくなります。

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