小樽という街から学ぶこと
この街ではすぐにZONEに入ってしまう
先日、小樽の運河の北側(通称:北運河)で行われていた、
北運河ナイトマーケット yummy市 2024 に行ってきました。
長年小樽が抱えている問題の一つである、「ナイトライフコンテンツ不足」と北海製罐第三倉庫の保全など「北運河を盛り上げたい機運」から誕生したと思われる、出店イベントです。タングステンの灯りを基調とした落ち着いた雰囲気の中に人々が集って酒を飲み交わし、食事を楽しんでいたりする側を観光ボートがゆったり通り過ぎてゆく。This is Otaru と言わんばかりの素敵な光景でした。
どうやら、昨年で小樽運河が完成して100年という節目の事業ということで、更に次の100年へ繋げていこうという思いがあるようです。
そこで私は自分的に考えてしまいました。
誰に?何を?どうやって?
つい最近知ったんですが、小林多喜二の「蟹工船」の冒頭書き出しの有名な台詞
が、現代語・新訳という謎の偽書によって
に書き換えられて今の子供たちは教えられているそうです。
まさにその当時、権力と金の圧倒的支配の下での生活苦にも負けず、言論弾圧に対抗したプロレタリア文学として身を挺して著した作品なのにも関わらず、今も尚、権力の力によってそれを捻じ曲げる冒涜を白昼堂々と行われていることに驚きました。
まさにその当時、悲惨な労働環境において「休む為に働く」なんて理想は夢のまた夢だった、その現場で100年間、私たちは誰から何のメッセージをどのように受け取ってきているのでしょうか。「労働者」の叫びを綴り、拘束拷問され殺された著者が今も尚ぞんざいな扱いを受けているにも関わらず、その象徴的ロケーションで次の100年後の未だ見ぬ子孫に何を託そうとしているのでしょうか。今ここにいる人間は誰もそこにいませんよね。いやぁ、ギリ産まれたての子は生き残る時代になるんでしょうか。
今、ここに生きている私たちが何をしたのか。先人に恥じない伝えるべきことをしなくてはならないのではないかと私は思います。
で、それってどの先人?