そうめん流し。
実家の整理の朝はなんでこうも腰が重いのか。
体力と気力が持っていかれることがやる前から明らかだからか。
出かける前にもう一杯飲むかもと思って放置していた机のコーヒーカップの縁には、飲み干したコーヒーの痕がついている。
前夜。
仄暗い窓を開けると隣か斜め向かいの家か、外付けボイラーの音がゴロゴロとうめいている。
風呂の時間とはいえ人の声に聴こえるので止めてほしいとは面と向かって言えないな。
そうこう思い返しているうちに実家に着く。
先日、実家の真裏にリサイクルショップができた。
家庭用品なら何でも買い取ってくれるという。
父に呼ばれた日に軍手をもって家の整理を手伝う。
もう30年近く住んでいた実家だ。
戦隊モノに憧れた私の相手になってくれた穴だらけの襖を開けると、
奥からおもちゃのそうめん流しが出てきた。
この家の要らないものを思いつく限りしゃべり始める父。
「そうめん流しの機械があったろう。ほら、あれよ、あれ。」
父はうろ覚えながらかつての私の部屋を指さした。
大人になって一人暮らしを始めてからも、時たま夢で見たそうめん流し器だ。
下半分がプラスチックブルーで覆われ、上半分は清楚な白をまとっている。
中で業務用のロックアイスがカラカラとぶつかり合いながら緩やかな楕円に沿って流れを形作ってきた、あのそうめん流し器だ。
揖保乃糸を流せる家庭ではなかった。
その夏の半年前にスーパーの特売シールで季節外れの格安で買っておいた三袋のうちの一つを開ける。
たとえ切れていたとしても賞味期限など気にしない家庭だった。
でも、冷蔵庫に残っている麺つゆだけは何故か品が良かった。
ヤマサの本鰹節ベースの本格麺つゆ。
「ほかの料理でも万能だから」と当時の母親は、
重宝していた関係で年中そのクオリティにこだわり続けていた。
底にすすけた絵柄のミッキーやドナルドの取り皿に麺つゆを注いで隠す。
つけっぱなしだったリビングのブラウン管テレビからは、
広島市民球場から中継の巨人広島戦が流れている。
巨人の先発は桑田。広島は佐々岡の両エース対決だ。
ボタン式のスイッチをパチンと押すと、
テレビ音をかき消すように乾いた大きな音と共に敷いた水が波紋を広げる。
緩やかに流れ始める白と桃色が混ざったそうめん。
箸の持ち方は今も下手だ。
おそらくほとんどの家庭では幼いころに矯正されるが、会食の場になるとこれがコンプレックスになってくる。
食べる分だけそうめんを投入して、自分で掬ってすする。
それはごくごく普通の家庭だと思っていたが、
父も、母も、妹もそれぞれがそれぞれの道を行きだした今はもうできない。
「箱がまだつぶれてないからマシだろう」
安易な父の言葉に返す気力はない。
後日。
そんな思い出と共にそうめん器は他の家電や雑貨とまざってリサイクルショップに出された。
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