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#Day082 日々の生きづらさ〜社会不適合者が社会人として生きていく②〜

「本日をもちまして、即日の契約終了となります。」

そう告げられたのは、その日の勤務を終えて帰りの電車を待っている間にかかってきた電話だった。

「まぁ、そうなるよな」とすぐに腹落ちして「わかりました、ご迷惑をおかけしました」と返した。

“人生初めての解雇“は、案外あっさり終わってしまった。

僕は2月1日から、とある会社で「業務委託」という形で働くことになり、自宅から近いので、毎日出勤していた。

しかし、その仕事がどうも聞いていたものとは違っていたり、合わなかったりした。
また、前職がフルリモートだったこともあり、フル出社に過度な緊張をしてしまったのもある。

そんなストレスに併せて、躁鬱病の「鬱」の波が来てしまい、毎日オフィスにいるのがつらくなってしまった。

毎日のように、仕事中に頭がぼーっとして「自分は何をやっているんだろう」という無力感を抱いたり、「もう消えてしまいたい」といったようなネガティブな感情を覚えたりした。

ひどい日はそのような感情が膨れ上がって、頭がクラクラしてきて途中で早退してしまったり、電車に乗って勤務先の最寄り駅が近づいてくるのが怖くなって引き返したりしてしまった。

“解雇”を告げられたのは、通勤を断念して途中で帰宅した翌日、汚名返上せねばと思い、上司から呼び出されて、注意を受けつつ、気持ちを引き締め直してこれまで以上にハキハキと仕事をした金曜日だった。

副部長の呼び出しで、15分くらい面談したのだが、その際に「2週間半で、2回早退、1回欠勤はバイトでもクビにしているレベルだからねぇ」と言われ、「まぁ、そうだよな」と思ってしまった。

その際に「仕事に慣れる云々の話の前に、仕事内容や環境が合ってないんじゃないかな?そうなると、継続して働くのも難しいんじゃない?」と言われた。

これに対しても「そうだよな」と思ってしまった。
きっと、仕事の性質や環境(出社なのかリモートなのかなど)が影響して、余計に体調が悪化したのだろう。

そして、2月16日の金曜日、退勤後、エージェントから電話が来た。
自分でも、毎日死んだ魚のようになりながら、無気力に職場に向かって毎日を過ごしていたので、“解雇”にそこまで悔しさを覚えなかった。

むしろ、自分にぶら下がっていた枷が外れたような気分さえした。
職を失うのはかなり不安なことだが、それ以上に健康に生きることが先決だと思っている。

幸い、“解雇”されてから少しずつ元気になり、現在は再び新しい仕事を探す動きを始めている。

ただし、今回の件で「つくづく自分は社会不適合者だな」と思った。
自分のメンタルや特性のせいもあるが、“みんな”と同じ土俵で働いたり生活するのはなかなか難しいようだ。

こうして、僕の無職期間はもう少し延びそうである。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。