#Day087 日々の生きづらさ〜僕の3.11〜
あれから、13年が経ってしまった。
2倍すると自分の年齢になるという現実にゾッとする。
僕は神奈川県の横浜市に住んでおり、当時、中学生だった。
横浜市では震度5強といったところで、もちろんそんな震度の地震を経験したことなんてなかった。
あの日は、友人と部活をサボって遊ぼうということのになり、こっそりと抜け出して、いつも遊んでいた近所の団地に向かっていた。
友人と4人で坂を降りていると、突然揺れは始まった。
目的地にしていた団地は、まるでゼリーがプルプルと揺れるように軋んでおり、その様子を立って眺めていることすらできなかった。
偶然、マンションから出てきたお姉さんが駆けつけてくれ、「しゃがんで!」という声に反応してみんなで固まった。
しばらくすると、揺れが収まったので、各自急いで自分の家に帰宅した。
僕の家の中は、リビングの棚に飾っていた置物が崩れていたり、机に置いていたものが倒れていたりと荒れ果てていた。
しかし、そんな現実に目を向けることも許されないようにTVでは慌てふためくキャスターの声と津波や火災の様子が垂れ流されていた。
この時、初めて僕は「日本は地震大国なんだ」と知った。
祖父の姉が関東大震災を経験したことがあったり、幼稚園の時の友達のお母さんが阪神淡路大震災を経験していたりと、少なからず震災の話は身近だったし、自宅にも防災用のグッズを一通り揃えていた。
それでも、実際に自分が体験してみるまで“あんなこと”が起こるとは思わない。
幸い、主な親類は皆、横浜に住んでいたので東北に比べ大きな被害なく無事だった。
そして、13年が経った今日。
僕はあの震災から1周してしまった。
今日は低気圧がひどくて、起き上がっていられず、結局16時半くらいまで寝ては起きてを繰り返し、17時にむくりと起き上がってシャワーを浴びた。
その後、少しぼーっとしてから夕飯の買い出しに行って、帰りに薬局で低気圧の不調に効く漢方薬を買った。
そして、それを飲み、少し頭がスッキリした時に今日が「3.11」であることを思い出したので筆をとった次第だ。
決して忘れたわけではないけれど、すっかり日常に侵されて、視界が狭まっていた。
今日の命が、たまたま生かされたものであることを意識しなおして、明日からの一歩を踏み出さないといけないと、記憶を掘り起こす中で思った。
明日も低気圧がひどいらしい。
また漢方薬を飲んで、明日こそしっかり起きて1日を丁寧に生きよう。
自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。