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#Day072 日々の生きづらさ〜死と向き合うこと、受け入れること〜

祖父が亡くなった。
享年85歳だった。

盲腸が悪化し、そのほかの臓器にも悪影響が出ていたようだが、術後、しばらく経つうちに少しずつ回復していき、リハビリなども始まっていたようで「このまま順調に進めば退院できそうですね」といった状態だったらしい。

お見舞いに行くと、意識がぼやぼやしているのか、あまり会話はできなかったが、それも一時的なものだと聞いていたので、いずれ元気に話せるだろうと思っていた。

ところが10月18日に母から電話があった。
「祖父が心肺停止になった」とのことだった。

車に乗って急いで病院に向かい、容態を担当医に聞いた。

心臓マッサージや様々な薬を投与して、なんとか蘇生して状態を保っているとのこと。

安心はできないが、最悪は避けられたと思った。

その後、万が一のためにどのような施術を行うかの同意書を書くために家族全員で話し合った。

その用紙を担当医に渡して、一旦集中治療室を出て、心身を休ませていた。

それも束の間、医者から容態が悪化したと言われ、急いで祖父のもとに駆けつけた。

カーテンを開け、祖父の顔を見たその瞬間に、祖父の心拍が止まった。

祖父は亡くなった。

手に触れてみると、冷たくなっており、顔も真っ青になっていた。

最初は理解が追いつかなかった。

ただ眠っているだけだとすら思った。
それくらい綺麗な顔をしていた。

医師曰く、体のどの部位も健康な状態で、死亡の原因がわからないとのこと。

多分、体力の限界がきていたのかもしれない。
それでも必死に、家族全員が揃うまで持ち堪えてくれたのだと思った。

家族全員で看取ることができたことは良かったが、生前、散々言っていたという「初孫(僕のこと)のお嫁さんに会いたい」という希望を叶えてあげられなかったことだけが、心残りだ。

近親者が亡くなっていく。

この先もそういった経験が積み重なってくる。

覚悟をもって、後悔のないように過ごさなければいけないと思った。

このnoteはそんな自分の気持ちを整理して、受容するため、そして未来の自分のために書いている。

また、会いたいなぁ。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。