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#Day058 日々の生きづらさ〜大学生活不適合者(後半)〜

前回、大学生活スタートダッシュの失敗について書いた。

失敗したのは何もスタートダッシュだけではない。
大学中盤から後半にかけても失敗している。

手始めに、1年生の秋、文化祭が終わったあとに「秋の新歓があるよ」との情報を得た僕は「今度こそは!」と思い、気になっていた絵画研究会に行ってみた。

結果、扉を開けて、自己紹介だけ済ませてすぐに帰った。
入部なんて到底無理だった。

すでに出来上がっている友人の輪の中に入り込む勇気なんて持ち合わせていなし、そんな勇気があれば4月からサークルに入っている。

「もうサークルになんか入らない」
そう決意した1年生の秋だった。

その後、一緒にキャンパス内のカフェに行ってくれたり授業を取ってくれたりする女友達ができたり、授業で話した1つ上の先輩と少し仲良くなったりはしたのだが。

3年生のゼミ選択、僕は消去法で大して興味のなかった英文の研究をするゼミに入った。

これがミスだった。

授業はつまらないし、また人見知りを拗らせて、教室の端っこの席で息を潜めていた。徹底的に影を薄くするように。

そのせいでゼミ生とは会話した記憶もない。

そんな自分にピッタリだなと思ったのが、
ゼミに代わる「卒業研究」という選択。

これは基本的にはひとりで行うもので、進捗に応じて先生に見てもらう感じのシステムだった。

こりゃあ楽だ。

しかし、その間に1年生から仲が良かった2人や前述した女友達はゼミに溶け込んでいき、ひとりで授業を受けることが多くなった。

そんな授業の終わりに廊下を歩いていると、僕が抜け出したゼミの同学年たちがあだ名で呼び合い楽しげに会話していたのだ。

「あぁ、どうせゼミ合宿でもして距離が縮まったのだろう」
と思って割り切り、その横をサッと通り過ぎた。

あたかも知り合いではありません。といったように。

この頃にはお金もそれなりにあったのに、人見知りと勇気が足りなかった。

そんな感じで数人の友人と4年間を過ごし、サークルはおろか「ゼミ合宿」という大学生らしいイベントすらスルーして終わった。

卒業間際に、キャンパス内にスタバができて、どうせならそこを使い倒したかったなぁ、と思った。

せめて卒業式くらいは、と思っていたが、コロナ禍ということで中止。

なんとも歯切れの悪い大学生活の終わりだ。
郵送で届いた卒業証書は、どこにしまったか覚えていない。

それでも同じ大学の人とTwitterが繋がっていることがあるので(誰だコイツ?という人も含め)案外友達は多かったのかも?と錯覚させる。

SNSは恐ろしい。

そんな味気ない4年間だった。

それでは、今回はこの辺で。

自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。