#Day052 日々の生きづらさ〜”生の言葉”で書くこと〜
noteに文章を書くにあたって、たくさんの「スキ」が欲しくなるのは、ごくごく普通なことだろうと思う。
実際、僕もどうせエッセイや文章を投稿するなら多くの人に共感されたい。
Twitterだってそうだ。
その反面、「これは多くの人に受けそうだぞ」といった、どこかマーケティング的な目線で文章を書いたりツイートをしたりすることに違和感を覚える。
それは本当に心から伝えたいことなのか?
本心を捻じ曲げてまで、言葉を捻じ曲げてまで、大衆に刺さるものを求めることが必ずしも正しいのか?
もちろん、それがビジネスなら話は別だけれど、多くの人がついつい言葉を選んでしまっているのではないかと思う。
実のところ、僕も以前までそうだった。
「こういうテーマで呟けば反応してくれるだろう」
「図版もつけちゃおう」
といった具合に色々試行錯誤していて、実際にそれでそこそこの反応は得ていたと思う。
最近はこのnoteの「日々の生きづらさ」シリーズや、Twitterで呟いている「#423のひとことエッセイ」のように、思ったままのことを、できる限り”生の言葉”で書いているつもりだ。
多くの人に刺さって欲しいというよりかは、少数でも良いので、たまに覗きに来てくれる人に向けて書いている感じだ。
100人全員に刺さるものなんて到底作ることはできない。
なら、100人のうち1人が読んでくれる文章を書こう。
そう思って、コツコツと文章を書いている。
何より、自分の思考が整理されるので、自分で読み返すと楽しい。
自分が第一の読者になっている。
まずはそんな感じで、自己満足的な書き方で始めても良いのではないだろうか。
とりあえず、僕は今「音楽を聴きながら何かしたいから」という理由だけでこの文章を書いている。
つまらなかったらすみません。
でも、ちょこちょこと反応してくれる人がいるので、そんな人たちのために自分の思考を垂れ流していきたいと思う。
ちょっと恥ずかしいんですけどね。
でも52回目にもなると少し慣れました。
それでは、今回はこの辺で。
自分の生み出したもので生きていきたい。幼い頃からそう想って今も生きています。これからも創ることが喜びでいられるように、いただいたお金を使おうと思います。