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暗いニュースに触れた感情〜発信すること

暗いニュースにコメントをつけてシェアしている投稿をつい見てしまった。どこの地域のことだろうという興味本位もあった。結論から言うと、不愉快極まりない事件のことを報じたもので、見なければよかった。

コメンテーターのようにニュースに対して、自分の意見や経験などを書くことはもちろん自由だ。しかし、そのニュースをシェアしてまで言いたかったことなのかなと思うと疑問符がつく。

まあ、人のこと批判してもこれ以上何も生み出さないのでやめておく。noteの冒頭部分の話題として取り上げてみた。

発信するということ

今、毎日投稿しているnoteはルーチンワークすなわち習慣を身につける訓練の一環で行っているもので発信しているという認識はあまりない。

本来は、チラシの裏ではないがメモ帳やテキストエディタに書き綴り自身のパソコンにのみ保存しておけばよいのかもしれないが、それでは張り合いがないし、間違いなく継続できないであろう。

文章を公開することで、なんとか時間を捻出してnoteを更新しようという意欲になり時間術の実践や工夫につながっている。

「時間がない」と決めつけてしまったら、時間がないという前提で物事を進めようとする。そうすると、時間を作り出す(実際は確保する)ことに意識がいかない。

もちろん自分の予定通りや思うように行かないことだらけだ。しかし、忙しいとか仕事がたくさんあることを言い訳にしていたら、何も変わらない。

変化を求めるなら、チャレンジするしかない。

なので、まず内容は問わず毎日エッセイとして1,000文字を超える文章を書いて公開することを目先の目標としている。

発信していると言えなくもないが、特に有益な情報を公開しているわけでもないので、発信力に磨きをかけているという認識はあまりない。

こうやって思いついたことをつらつらを書き綴っているだけで、もう800文字になろうとしている。文章は書こうと思えば案外と書けるものだ。

最近は、以前だったらさじを投げてしまうような案件や仕事量に対しても、向き合ってコツコツと対応するだけのビジネスにおける耐久力や体力が備わってきたように感じる。

少し、余裕が出てきたらまた新たなチャレンジに向かうべきであろう。いや、向かいたい。

心地よいくらいの負荷を掛け続けていないと停滞する。その後はご存知の通り。

月末にはまた新しいことを始めます。厳密に言えばこれもまたリベンジなんですけれどね。

それでは、今回はここまで。

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