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継続することの強み

ここのところ、noteを退会しましたというツイートを目にする。

退会理由は、人それぞれ。

noteとTwitter双方のユーザであれば、一度は目にしたことがあると思うので、ここでその原因となったと思われることはあえて触れない。

私は続ける方を選ぶ

やっぱり、継続は力なり。

それにつきます。実際、私も「この流れに便乗してnoteやめちゃおうかな」と思って、仲間に相談もしてみた。

noteにアウトプット機能がないことも、以前から少し気になっていた。

あと、数字で可視化されるシステムに疲れたという気持ちもある。

疲れた。

これって、民意の大勢から支持されないことを暗に気に入らないだけじゃないのかなと思った。

それを「疲れた」という言葉で隠してる。

でもね、疲れたんだよね。

辞めなければ継続。現状維持も継続。こうやって、たまに書いても継続。

辞めるのはいつでも出来る。もちろん書くこともいつでも出来る。

いつでも出来る2つの事を並べてみたら、どっちを取るのが懸命か。

いや、懸命かどうかはよくわからないけど、しょうもない文章だとしても、これまで積み上げてきたものを、いとも簡単に投げ捨てることは有意義なことだろうか。

考えた。久々に考えた。

弱音を吐ける唯一の場所

86本のエッセイをこれまで公開してきた。これで87本目。2020年中に100本をカウントしようと決めていた。決めたのに、辞めようかなと考えていた。

矛盾してるよね。

特に芸に長けているわけでもないのに、エンタメに対する憧れのようなものを持っている。だって、人生楽しく過ごした方がいいに決まってる。

楽しければそれでいいのか?と、しかめっ面して私に対峙する人の顔がなんとなく浮かんでくる。誰かはわからないけど。

それでいいんだよ。楽しくやって何が悪い。

問題は、楽しめない自分がいるということ。それが大問題なんだよ。

楽しくなけりゃ、辞めたらいい。

じゃあ、なんで辞められないのだろう。
じゃあ、なんで楽しんでやらないんだろう。

時には弱音を吐きたくなることもある。

もう無理って言いたい。

すごろくで「あがり」を目指しているけど、たまには「1回やすみ」に止まりたい。

サイコロ振って1回やすみに止まったら、「チッ」と舌打ちせずに、ガッツポーズしたい。

なんなら、36回くらい休みたい。

なんだ、休みたいのか。それなら、休んだらいいよ。休んじゃえ。

結局、自身の人生は自分で決めるしかないんだから。

noteって、自分にとって唯一弱音を吐ける場所だったんだな。エッセイ気取って、不安や怖れ、怒りや焦燥感を吐き出すアウトプットの場所。

公開しなくてもいいんだけど、ドロドロの気持ちって本物だし真実だし、純粋無垢のノンフィクションだからさ。


それでは、今回はここまで。

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