おもしろいことをやっている人は輝いている
人からどう評価されようとも、面白いことをやっている人は輝いている。もちろん他人から評価されて、価値を感じてもらえることができるとなお良い。
だけど、基本的に評価をしてもらいたい。という気持ちを少しでも感じるとなんだかおもしろいことにブレーキをかけているような気がする。
もちろん、生活していかなくてはならないので「どうやったら売れるのか」「どうやったら人気が出るのか」といったことは必要である。
しかし、自分が表現したいことを追求するのか、評価してもらうことを追求するのか葛藤が生じる。
理想は自分が表現したいことを追求している過程で、誰かの目に止まり評価してもらうことが当然ながら望ましい。
こればっかりは、人の出会いみたいなものだから縁もあるだろうし、運もある。
文章のスタイル
自分はライターを名乗ってはいるが、実際にはライターというよりはただの「書く人」である。
フリーランスで活動するにあたって、名刺を作成した。肩書きはライターとしているが、「かくひと」にするかどうか本気で迷った。
まあ、肩書きなんて何でもいいんだけど。
1990年代後半、Windows95がリリースされてインターネットが広まった。この頃、まだブログという言葉が日常ではなかった時に毎日ウェブ上で日記を書いていた。
サイトの基本はホームページビルダーを用いて作り、自作サイト上のいちコンテンツとしてHTMLページで更新していた。
内容のほとんどが身内ネタと趣味のプロ野球ネタを書いていたんだけど、読者と呼ばれる人が十数人いた。
掲示板には毎日のように、書き込みがあって返事を書くのも楽しかった。
当時は「侍魂」という最強テキストサイトと呼ばれた日記サイトが流行っていて、デカ赤文字で強調して笑いを誘ったりする手法(専門用語でなんていうんだろう)をよく目にした。
(先行者が懐かしい!)
最近は、テレビのテロップもその手法なのかなと思う。
僕も自分の日記でデカ赤文字はよく使っていた。でも最近はなるべく使わないようにしようと思っている。
筆者が読み手に対して、「ここはおもしろいところだよ、笑ってね」だったり、「どうだ、これおもしろいだろ、笑えよ」と笑いを促している気がしてならないからだ。
とか、言いながら、運営しているブログサイトの記事で一度使ってるんだけどね。
絶対に使わないとは言わない。でも、なるべく使わないようにしている。
それは、僕は文章を書くことを仕事にしているから。
文字に装飾をした面白い記事は、なんとなく書けそうな気がしている。やってみたら案外書けないかもしれないけど。
文章で勝負をしたい
あれこれ理屈を書いてきたけど、これに尽きるのです。
文章で勝負をしたい。と考えているから。コラムだけじゃなくて、レポートや広告などあらゆる形態の文章を書ける人になりたいから。
ただ、最近この考え方に固執し過ぎてしまって、「面白い文章」が書けなくなったような気がしている。
歳をとったのだろうか。いや、ちがう。決め付けているからだ。
ポリシーや信念は大切だけど、時に考え方や行動に制限をかける。
noteで10記事書いてきたけど、すべて硬い。文章も堅いし、雰囲気も堅い。もっと肩の力を抜いて柔らかい文章も書きたい。
まだ心に壁を作っている気がする。Free Your Mind!
それでは、今日はここまで。