終わりは突然にやってくる

冒頭で述べておきます。タイトルは大げさです。

はい、毎日noteの更新が途絶えてしまいました。
1ヶ月持たずという体たらく。まあ、良いのです。

そして、また今日改めて「文章を書く」ことをしました。

更新が止まって継続できなかったのは、3月19日にnoteに書いていた「大きな仕事」の結果が出た日でした。

言い訳ですが、突然の予定変更でnoteを書こうと確保していた時間が移動を強いられて確保できなくなった。

移動後に知り得た大きな仕事の結果は「良い結果」という報せであり、そのままお祝いをしようという流れに。

この時、noteを更新しなきゃ。文章を書かなきゃ。という意識はあった。帰りの電車の中でとりあえず駄文でも更新するか。と考えていた。

しかし、「大きな仕事の良い結果」の喜びを分かち合う中、いつしか頭の奥の方へと追いやって意識から消えてしまっていた。

終電で帰路につき、0:03頃を迎えた時にふと「あっ、noteを書いていない」と思い出した。「落としてしまった」とnoteでつぶやきを投稿しようとも思った。

でも、「誰に対して言い訳しているのか」という気持ちになりやめた。

なぜ、また書いているのだろう

どうせ誰にも読まれないだろう。という気持ちから始めたnote。

今では、ありがたいことで1人以上の「いいね」をいただく記事がほとんどであり、「誰にも読まれていない」記事ではないという認識がある。

それでも、まあ別に読者さんというか固定ファンなんていらっしゃるわけもないし。と思っていた。

しかし、更新が止まった時に仲間から「大丈夫?」とメッセージをいただいたのだった。

嬉しかった。けれども、こんな形でメッセージをもらっちゃったな。という気持ちもあった。

もっと続けて「がんばってるね!」というメッセージをもらっていたのだったら、もっと嬉しかっただろうに。そして、改めて「文章を書くことに向き合ってみる」気持ちになっていたのだ。

メッセージをもらってからまもなく3週間が過ぎようしているが、ようやく気持ちに整理がついた。毎日noteを更新している物書き仲間が投稿した、こちらの記事に感化されたのである。

私は毎日、1,000文字以上のエッセイ(と呼べるような立派な文章では決してないが)を書くと決めていた。それは、自分を縛るルールでもあった。

書ける時に書いて、それを毎日発信していくスタイルでもいいじゃない。
そして、別に1,000文字にこだわらなくてもいいじゃない。

だって結局、書くことが楽しくなくなっちゃうもの。

今日からまた投稿を始めます。

いつの日か、また途絶えてしまうかもしれません。そしたら、また「1」をひとつずつ積み上げていけばいい。できることしかできないから。等身大の自分を表現していこう。


それでは、今回はここまで。

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