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2011.3.11

今日はこの話題に触れておくべきかと思う。

「べき」という表現はなるべく使いたくないと思っているのだが、今日は使うべきだろう。

2011年3月11日。私は実家の福岡市にいた。
私はあの未曾有の大震災を経験していない。

当時は会社員だった。iモードの開発の仕事に携わっていたのだが、アプリのサービスがスマホに移行する際に契約を切られた。

俗にいうリストラである。

この時、私は人生で2回目のリストラを体験して会社に属することをなんとなく諦めようと考えていた。

なんだか何をやってもうまくいかないし、良かれと思ってとった行動も悪意にとられる始末。

まさに魔女狩りとはこのことだなと感じた。

今となっては私に非があり、改善する気がなかったのだろうなと客観的に捉えることができるが、まあ、過ぎたことなので。

退職理由が会社都合だったので、失業保険を受給できる流れだった。ハローワークに手続きに行くと、1週間(だったかな)の待機期間があるという。

自宅にいても特に何もすることはないし、実家に帰って親に「仕事をクビ」になったことを報告するという名目で帰省しようと思った。

この時、もう部屋を引き払って実家に帰ろうかという選択肢もあった。どちらかといえば、そちらの方に心も傾いていた。

2011年3月11日

地元の友人数名からから「お前大丈夫なん?」といった内容のメールが何通も届いた。

1人の友人からメールが届いたときは、何を言っているのだか。というような気持ちだったが、そんなメールが立て続けに、しかも複数の友人から届くとさすがになんなんだ?という気持ちになってくる。

話を戻してしまい恐縮だが、私は地元の友人に帰省することを告げずに帰郷していた。

そりゃあそうだ。

会社クビになって帰ってくるだなんて、カッコ悪くて言えたもんじゃない。

実家で友人、知人には誰とも会わずにダラダラ過ごしていた矢先の出来事だった。

とにかくなにが起こっているのかよく分からないまま、それとなくテレビをつけてみた。

すると、目の前に飛び込んできた映像は炎を上げて燃えたぎる千葉県市原市の京葉臨海コンビナートの一帯だった。

初めはテレビ画面に映し出された映像が現実のことだとは理解できなかった。数秒後、「大変なことになってしまっている」とようやく認識、関東は終わった。とそう思ったのであった。

市原市を拠点に仕事をしている知人に早速安否確認の電話をかけるもつながらない。

関東方面の仲間たちにまったく連絡が取れない状況だった。自分の住まいの周辺はどうなっているのだろう。気が気じゃなかった。

こんな時に九州の地にいる自分が、本当に無力であるしなんだか自分だけ震災から免れて逃げているような気持ちになって苦しかった。

続きは明日書きます。


それでは、今回はここまで。

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