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2011.3.11その2

昨日の続きです。

あまり覚えてないんだけど、必死で色々な人に連絡をとろうと試みて、無事を確認したのは夜になっていたと思う。

当時、同棲していた彼女がいたのだが、連絡がまったく取れずにめちゃくちゃ焦った。

電話がつながったときは、泣いていてそばにいてあげられないことが本当にツラかった。ただ、妹と一緒に過ごしていることを聞いて少し安心した。

数日後、私は新幹線で東京まで帰る予定になっていた。のぞみ号東京ゆきだ。

母は、この状態で関東へ戻ることを大変心配していたが、生活もあるし、なにより住んでいる部屋のことが気になった。もちろん彼女のことも。

しかし、不運というか良くないことは重なるもので、彼女の身内が亡くなってしまい妹と一緒に実家に帰るという。

帰宅したら1人で過ごすことが確定している部屋に戻らなくてはならない。

しかも、この時点では安全が確保されている(と思われる)九州の地を出て、余震などもある危険な場所にわざわざ移動すなくてはならないなんて…。

東へと向かう列車は駅をひとつずつ進むごとに、乗客は減っていく。こんな状態で東京へ行こうとする人なんて物好きと言っても過言ではないだろう。

東京へ行く車内で、職がないのに九州から帰ってきてもこの先「のぞみ」なんてありゃしない。そう思っていた。

東京に着くと、駅の構内から薄暗い。エスカレーターも止まっていて、電車も間引き運転していた。

地下鉄で帰路に着くのだが、もちろんホームも車内も薄暗い。なんだか寂れた都市に来たみたいな感覚だった。

自宅マンションに着き、まず目に飛び込んできたのはエントランス内の掲示板だった。

うろ覚えだが、「断水していてみなさん大変だと思います。うちの店はなんとか水が出るようになったので、ご希望の方はご来店ください。お水をお分けします」みたいなことが書いてあった。

1階のピザ屋さんが貼り出したものだった。

九州の実家でテレビ越しに観ていたことは現実なんだ。と初めて実感した。この張り紙を見て涙腺が緩みかけていた。

部屋に入り、まず蛇口を捻ってみた。いつもより少ない水量だったが水は使えた。でも、電気がつかない。

1人で暗い部屋で過ごすのか。という思いと同時に彼女もこんな中で何日も過ごしていたんだと考えていたら、なんだか涙が出てきた。

ひとり声をあげて泣いた。

これからどうやって暮らしていったら良いのだろう。と途方に暮れた。

幸いにもガスは使えたので、シャワーを浴びて眠りについた。

続きはまた明日書きます。

それでは、今回はここまで。

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