お久しぶりです。 今日は今後の私の活動について、お話させていただければと思います。 この度、私は名を「ヨシノカナタ」と改め、プロデュース活動や個人の創作活動をしていくことをご報告させていただきます。 まず、プロデュース活動のお話。 私が主に演出/演者として運営に携わる企画がこちらです。 じもたも! 公式サイトの企画概要にも書きましたが、 「人生もっと楽しまないともったいない気がしてきた」 をテーマにやりたいことをやりたいだけやりまくる企画です。 (詳しくは公式サイトを
秋だ。秋か? 11月は秋だろうか。どちらかというと冬のような気がしないでもないが、今年は5月から10月までが夏だったのだから、11月は秋ということにさせていただこう。そうでないと困る。秋がなくなってしまうではないか。 私は秋が好きだ。過ごしやすさで言えば四季で一番だと思う。それにこれから冬がやって来るのだという喜びもある。(私は過酷な寒さを好んでいるので、一番好きな季節は冬) 私は秋の地球もかなり好きだ。基本的に私は地球の美しさのおかげでなんとか日々を生きている節がある。
最近、意を決して『ハイキュー!!』のアニメを視聴した。どうして意を決する必要があったかというと、「見たら絶対にハマる」という確信があったからだ。それも、「深くハマるだろう」という確信が。それは、なぜか。 『ハイキュー!!』はとても評価が高く、熱心なファンもたくさんいる超人気作品であるし、その誠実な作品作りの評判は今まで当該作品に触れてこなかった私の耳にも聞こえてくるほどであった。それに私はそもそもスポーツを見るのが好きなのだ。我が家では「自分がプレーできたら楽しそうなスポー
最近、気づいたことがある。 もしかしたら私は、雑誌を読むのが苦手かもしれない。もともと雑誌を読む習慣がなく、美容室へ行って何冊かの雑誌を渡されても読み方がわからないのでとりあえずパラパラとめくっただけで机に置いてしまう。美容室ではそのうちハナから雑誌が出てこなくなった。(同じ美容室に10年通っているため、もはやすべて熟知されている) 本屋で興味深いな、と思って買った雑誌もなかなか読むことができず溜まっている。例えば建築の雑誌とか、鉱物の雑誌とか。書かれた内容への関心の有無に
暑すぎる。 私は夏が無理である。苦手とか嫌いとか、そういうレベルを追い抜いて「無理」なのである。努力でなんとかなることじゃない。暑いところでアイスが溶けたり、肉が腐ったりするのと同じように、私は暑いところで人間生活を送ることができない。 毎年この地獄の季節が始まると、私はすべてのお誘いを「夏が終わったらお会いしましょう」と回答するようになる。回答すればまだよいほうで、あまりにも暑さがつらくて、生命を維持しているのが精一杯のため返信できないことも多々ある。友人たちはもう慣れた
私は趣味で戯曲(演劇の台本のこと)を書いている。 それから、趣味で宮沢賢治について考えている。 考えている、というのは「研究している」とまでは言えないなあと思うので、一番しっくりくる表現が「考えている」かなというところでこう書いた。 私はたぶん考えることが好きで、思想が強い自覚もある。前の記事にも書いたけれど、私は結構本を読むが、その多くがいわゆる「純文学」と呼ばれるものだ。思想があって書かれたものを読むのが好きだし、私も何か作るなら思想があってなんぼだろと思って過ごしてい
私は結構よくドラマを見る。本も読むのだが、ドラマも見るのだ。というのも母が大のドラマ好きで、私も幼いころから隣でドラマを見て育ったからだ。英才教育である。 昔は色々なジャンルを見ていたのだが、最近見るのはもっぱら刑事モノ。というか、事件解決モノ? 現在放送中のものも見るのだが、『ケイゾク』『TRICK』などを繰り返し見ている。そう、私は事件解決モノでも繰り返し見ることができるのだ。ミステリも繰り返し読むことができる。それはなぜかというと、役者の芝居や演出などを「いいなあ」と
私は公園で遊ぶのが好きだ。最近そう気づいた。 公園で遊ぶとはどういうことかというと、ブランコに乗ったり、パンダの形の遊具の顔を見て笑ったり、ベンチで駄菓子を食べたり、しゃぼん玉を飛ばしたり、水鉄砲で何もない空間を撃ち抜いたりするということである。 つまり、子どもの頃の遊び方と何ら変わらない。シンプルに、公園で遊ぶことの面白さよ。 小さい頃の私は公園が大好きだった。と聞いている。毎日毎日「公園に行く!」と言っていたらしい。そこで何をしていたのかは全然覚えていないのだが、幼稚
演出を担当している企画「じもたも!」にて、 新しいコンテンツ「じもた白す。」を始めます。 内容としては「軽い気持ちで他人の言葉が読みたいな」と思ったときに 気楽に開いてもらえるような文字などを掲載します。 どうも今はテレビやYoutube、SNSなどを見る気分じゃない。 けれども、誰かの言葉を摂取したい。 そんなとき、とりあえずラジオを垂れ流すように気軽に読める文章があったらすてきだな、と思ったので集めることにしました。 私と同じような動機でもそうでなくとも、皆さんにも楽
本屋に本が売っていない。 正確に言えば、本屋に私の欲しい本が売っていないのだ。この前などは文庫本を買おうと思って本屋へ立ち寄ったのに、そもそも文庫本のブースがほとんどなく驚愕してしまった。まあ、小さい店舗だし仕方がないか……と思いながら次の本屋、次の本屋、と巡っていくも全然文庫本が売っていないのである。 結局その日は駅を移動しつつ四件の本屋を回ったが、欲しい本を買うことは終ぞできなかった。本屋の本たちを観察してみると、多いのは漫画とファッション雑誌、それから旅行雑誌といった
私は物欲が弱いほうだと思う。 いつからこうなったのか、はっきりとはわからない。でも、サンタクロースに頼みたいものが特別思い浮かばないなど、割と幼いころからそういうきらいがあったように思う。アニメや漫画は好きだけれど、いつからかグッズはほとんど買わなくなった。使いようがないし、かと言って捨てるのも忍びないから、最初から買わないようにしようと決めたのだ。 私は昔から空間などを演出するのが好きで、自分の部屋もテーマを決めて世界観を作りこんでいた。家具や装飾品も世界観に合うものだけ
私は敬語を話すのが好きだ。 まともな社会人経験が乏しいのでビジネス敬語をビシバシ使いこなせるかというとそうではないが、一般的なレベルの敬語を用いて他人と会話するのが好きだし、心地よく思っている。こういう人は少なくないのではなかろうか。 私が敬語で話すことを楽に感じる要因の一つとして「幼少期から大人に囲まれて育ってきた」ということが挙げられるかもしれない。私は一人っ子で家には両親しかおらず、しかもイトコもいないので身内に年の近い者がいなかった。(従って、今後の私には喪主ラッシ
2024年、明けました。 今年もよろしくお願いします。 新年というと一年の目標を発表させられたり、抱負を語らさせられたりすることが多いが、私はあまりこういうことをしないで生きてきたタイプだ。というのも私は常に「明日死ぬかもしれない」と思って生きているからだ。明日、というか次の瞬間死ぬかもしれないのだから「今年の目標」なんて悠長なことを言っていられない。365日もあると思うな、である。 なぜ私がこれほどまでに刹那主義的になったのかには、実はしっかりエピソードがあるのだが、全
今回のヘッダー画像は、CanvaのAI画像生成機能を使って作成したものだ。そういうお題を見かけてたまにはお題に参加してみるかーと思ったのと、AI画像生成に興味があったのと。そんな経緯で書き始めている。 画像生成に入れたキーワードは、「灯台」と「夢」と「夜」。どうしてこのキーワードにしたかというと、今回私が記録しておこうと思っているのが私の「灯台の夢」の話だからだ。 私はあまり夢を見ない。寝ているときに見る夢の話だ。今現在もそうだし、幼いころもあまり夢を見なかった。見るとすれ
記憶を書き留めておこうかと思う。 私は自分が経験した出来事をあまりたくさん記憶していない。けれども、私の体感としては「記憶力がない」わけではないと思っている。 ただ、覚えていることと覚えていないことの差が激しくて、大学生のときに家族でペンションに泊まった記憶はすっぽりと抜け落ちているのに、幼稚園児だった頃の記憶は鮮明に記憶しているということがある。 なので今回は、そんな幼稚園児だった頃の記憶をここに記録しておこうと思う。明日いきなり記憶が消えるかもしれないからだ。私が覚えて
私は栞を使わない。 私はよく本を読むのだが、随分前から栞をまったく使わなくなっている。理由は明確に覚えていない。というか、複合的であると思う。 まず、私が栞を持たなくなった原因は二つほど考えられる。一つ目は、当時使っていたブックカバーに栞の機能がついていたこと。革製のブックカバーで、表紙側折り込みの部分に逆コの字型の切り込みが入っており、その部分をページに挟み込むことができた。とても気に入っていたのだが使いすぎてボロボロになってしまい、泣く泣く引退させた代物である。それ以来、