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ふわり、好き。

最近、気づいたことがある。
もしかしたら私は、雑誌を読むのが苦手かもしれない。もともと雑誌を読む習慣がなく、美容室へ行って何冊かの雑誌を渡されても読み方がわからないのでとりあえずパラパラとめくっただけで机に置いてしまう。美容室ではそのうちハナから雑誌が出てこなくなった。(同じ美容室に10年通っているため、もはやすべて熟知されている)


本屋で興味深いな、と思って買った雑誌もなかなか読むことができず溜まっている。例えば建築の雑誌とか、鉱物の雑誌とか。書かれた内容への関心の有無に関わらず、雑誌というものを読むのが苦手なのだと思う。


理由を考えてみる。私は部屋に積まれている未読の雑誌を見て「欲しくて買ったが今は気分じゃないな」と思うことが多々ある。「雑誌を読みたい気分」とは。それが来ないからずっと我が家の雑誌は積まれたままなのだ。私の中で、雑誌を読むというのはなかなかハードルが高い。なんというか、エネルギーが必要なのだ。あと、適切なタイミングがよくわからない。なぜだろう。たぶん、文字以外の要素が多くて読みづらいと感じているからだ。文字組があっちこっちに飛ぶから、集中できない。そもそも「読む」なのか「見る」なのかいまいちわかっていない。


あとたぶん、そもそも私が「好きなものの情報」にあまり興味がないというのもあると思う。どうして雑誌を読むのが苦手なのかと考え始めたときに、このことに気づいた。雑誌は基本的に情報が載っているからではないか? 情報が載っているのに本(活字のみが並んだ読み物)じゃないから集中もできなくて、インプットモードにも入れず、難しいな。と感じる。


「好きなものの情報に興味がない」というのは、自分が「好ましいなあ」と感じたものに対して、あまり多くを知りたくないということだ。例えば腕時計とか重機とか自転車とか、メカっぽいものを私は好ましく見ているのだが、それらに全く詳しくない。ただ「格好いいなぁ」と眺めるだけである。好ましいだけで、得意分野ではないのだと思う。星も、石も好きだが、そんなに詳しくない。知らなくても美しいものは美しいので、それで十分満足している。


私は盆栽も格好よいと思っているのだが、この前、盆栽を真剣に嗜んでいる親戚のおじいちゃんにそのコレクションを見せてもらった。
業者かと思うほどのコレクション数を所有しているにも関わらず、特別うんちくを語ってくることもないおじいちゃんで、私が「これ格好いい」と指さすと「へえ、善し悪しはわかるんだなあ」とだけ言っていた。私のほうも「ふーん」と思った。「好き」とか「好ましい」とか、これくらいでよいのではないかと思う。というか、このくらいでありたい。


興味の対象として、眺めていて好ましい。だからこそ、あまり詳しく知りたくはない、みたいなもの。そういうふわっとした「好き」をみんななんと呼んでいるのだろう。「憧れ」だろうか。


反対に、知識を得ることこそが面白いと感じる分野もある。
たぶん、私にとってはそれが生物だった。テストの点が一番よかったから。最近、ほんの入門から触れ始めた物理も、こっちの仲間に入るかなと思う。そういうものは、覚えれば覚えるほど、理解できればできるほど面白く、情報をどんどん食べたくなる。美しいよりは、面白いと感じているもの。こっちのほうが「得意分野」っぽくなりやすいのかもしれない。私は国語や地学を全然得意だと思わないから。


本当に興味がない情報はそもそもインプットしようとしても難しいのだが、興味がある対象でも知識を蓄えたい分野とそうでない分野があるな、となんとなく最近気づいたのである。私は星が好きだけれど、天体望遠鏡を欲しいとは思わない。なんか、そういう感じ。


こういうふわっとした好きも、好きと主張する以上それなりに詳しくなくてはならないと思っていた。そして、雑誌を見かけると「おっ」と思い買ってみた。でも、詳しくなりたくないのでなかなか読む気になれなかった。そういうことね、と気づいたわけである。


『星の王子さま』のバラのことを思い出す。あのバラがうつくしいのは、彼女がバラだからではない。前にもどこかで書いたけれど、「そのものがそのままであること」を損ないたくない気持ちが強い。「どうしてそうなのか」を知ることは、手品のタネを盗み見てしまうようで、なんだか避けてしまうみたいだ。


私自身のスタンスがそうだからなのもあるかもしれない。どうやってそれに至ったか見せたくないし、説明したくない。自分がそうだからこそ、知らない・聞かないことが私なりの、好ましい対象に対する最大限の敬意の表し方なのかも。


またややこしくなってしまった。ややこしいついでに一応言っておくと、私は、触れていく上で自然に知っていくことまでは拒みはしない。なんなんだよ、煮え切らないな。そんな声が聞こえてきそう。まあそう言わないで。そんなものなのですよ、人なんて。


ただ、知ることをとにかく拒んでいるわけではないということ。ただ、敬意を持って触れていきたいということ。うん。言葉は誤解のもとなので、今回はここまで。


おわり

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