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2020年4月-5月17日までの話

山之内です。一番のりで書いてしまっているかもしれない。
ここ最近は作業場の机を増やしたり、ごそごそ手を動かして新たな作品制作のきっかけを探しているところです。制作場所は去年よりだいぶ快適になってきた。

働くようになってから制作とは環境に左右されるのだと痛感しています。家事動線という言葉があるけど、制作導線も確実にあるよね。生活の自然な流れで、楽に制作ができる環境。結局これを見つけるのに1年もかかってしまった。これからも改善できるならどんどん変えたい。 

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うまく制作環境が作れなかった去年1年間は何してたかというと、普通に生活してました。まったく制作時間を作れなかった。
起きて移動して働いて帰ってご飯食べて風呂入って明日のために寝るの生活。
これまで「働いて」の時間を制作に充てていたから当然だけど通勤時間も含めると約10時間は仕事のために使ってる。「明日のために寝」てたら19時間使ってる。

【2019年度:一週間平均スケジュール】
(月)起きて移動して働いて帰ってご飯食べて風呂入って明日のために寝る(火)起きて移動して働いて帰ってご飯食べて風呂入っ(水)起きて移動して働いて帰っ(木)起きて移動し(金)起きて(土)疲労回復のため寝る(日)明日に備えて寝る(月)起き

おかげさまで世論といいますか一般的な(しかも貧乏めの)感覚を手に入れた気がする。美大は外に出てみると竜宮城見えてくる。「仕事する」という言葉の意味の違いや(「作品を作る」という意味だった)出会う人、使う言葉や考え方、通貨までが異なる国だったように感じる。いやどっちが異国かわからないけど・・

週5で働いて、生きてきた中で最もお金を稼いでいるにも関わらず「制作してない=何もしていない自分」という罪悪感に苛まれるのは身についた習性みたいなものですかね。制作だけしてた頃より何かしら人の役に立っており、それで金銭が発生しているはずなんだけど不思議。
私は修了後、先生に「制作は生活との戦いである」と教わりましたが(韻踏めそう)見事生活に負けていました。

このモヤっとした感情が1年では最高値に到達しなかった。本来は自分の決心と行動で環境を変えるべきですが、突然強制終了してくれた(と言わせてください)のが悔しくも昨今の外出自粛でした。移動時間が減り、昼休みも完全に自分の時間になり、3時間増えた。明日のために寝ることもなくなったから、労働に捧げる時間が本当に8時間になった。

11時間浮いてやっと制作に時間を充てれる余裕ができた。自分ネグレクトが緩和された。考え事をA4のノートに書くようになった。好きなものと興味が増えた。音楽は歌詞を読むようになった。そのおかげでこれまでと違う観点から作品を鑑賞できるようになった。自分の制作の到達目標が変わった。ざっくりと思い出した変化はこんな感じ。とにかく色々余裕ができた。※注意:生活リズムの問題で仕事は悪くありません。

そこまできて先日のメンバー紹介の簡易ステートメントを書きました。今回新しく入れた単語があるのですが、それはまた別の機会に書きたい。
基本的には制作の近況報告になるかと思いますが、刻々と感じることや考えをノートに書いて、まとまったらnoteに書くようにしようと思います。

長々と失礼しました、ありがとうございます。 山之内

本日のBGM:
今夜も眠れない(病的な意味で)/ゴールデンボンバー


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