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音楽を愛している

音楽が好きだ。
音楽が好きだったのだ。確かに。
中学生の頃に初めて好きなアーティストというものができて、それ以来ずっと。
音楽が生き甲斐だった。
そのはずだった。

それなのに、近頃何故か音楽を聴けない日がちょくちょくあった。
勿論、音楽を聴くための環境が無いわけでも、時間が無いわけでもない。
精神的な理由だ。
とはいえ理由は自分でもわからなかった。
なんとなく、聴きたくないと思ってしまう瞬間が確かにあって、音楽アプリの見慣れたアイコンをタップできなかった。
そしてそんな自分に憤りを感じていたのも確かだ。







最近の記事の冒頭を読んでもらえば一目瞭然だが、殆どが「書かなきゃいけない」という漠然とした強迫観念によって無理矢理絞り出されたようなものだ。
書けないことが怖かった。
文才なんて自分にはないことをはっきりと自覚しているから、誰よりも多く言葉を紡いでその方法を身体に染み込ませなければならないと常に思っていた。
書きたいのに書けない辛さを味わうことは、人生を捧げて物書きになることを自ら選んだのだから当然の報いだと自分に言い聞かせた。


丁度、「蓮水レイ」という名前を名乗り始めたくらいから、この「書かなければ」という強迫観念に囚われている。
蓮水レイになった日から文章で生きていくと決めたからだ。
その日から「物書きとしての自覚を持て」という声が何時でも付き纏うようになった。
きっと、それから音楽を素直に楽しめなくなっていたのだと思う。
好きなアーティストの新曲を聴けば「感想を書かなければ。」ライブに行けば「ライブレポを書かなければ。」
そんな思いが何時でも頭の片隅にこびり付いていた。
嫌気がさす、と言いたかったが自分で選んだことなのだから仕方ないと思った。
そして、いつの間にか「蓮水レイ」としてしか音楽を聴けなくなっていた。
素直な、まっさらな気持ちで音楽を楽しむことができなくなっていたのだ。
誤解を招きたくないので一応書いておくが、文章を書くのも勿論好きだ。
でも好きなものでも強制されれば嫌になることもある。
我儘なのはわかっているけどそれでも辛い時はある。
スランプなんてものもあるわけで、どうしても書けない日もある。
「書かなければ」が重りになって中々再生ボタンを押す手を伸ばせなくなっていた。
それにすら気づけていなかった。
それほどまでに「書かなければ」に囚われていたのだ。
加えて、僕なんかよりもずっと素敵な文章を書く人に次から次へと出会い、身の程を思い知らされ、とうとう肥大した強迫観念は僕を押し潰してしまった。
オマケに月事が重なり無けなしの自己肯定感は木っ端微塵に粉砕され何もかもが嫌になっていた。
後戻りできないように他の道はとうの昔に絶っている。
今更辞められるわけもない。
結局は書くしかない。
わかっている。

疲れたなぁ。
言葉にすらならなくて溜息ばかり零れた。

ふと、音楽が聴きたいと思った。
有り触れた、至って普通の思いだった。
そのはずなのにいつの間にかそんな単純なことさえ思えなくなっていたことに漸く気がついた。
人に伝えるための文章を書かなければならない。
自己満足で留まってはダメだ。
そんなふうに雁字搦めの思考で自分自身を縛り、自由に音楽を楽しむことすらできなくなっていたようだ。

もう疲れた。
もういいよ。
言葉にしなくていいって言ってよ。
助けて欲しい。

雁字搦めにされてボロボロの心を救ってあげたい。
ああ、こんな時はいつも音楽に力を借りていたではないか。

徐に音楽アプリを起動した。
今この心を救ってくれるであろう曲を脳内で検索する。
僕は音楽が好きなのだ。
だからすぐに見つかった。
アーティスト名を検索欄に打ち込むと数曲、曲が表示されその中からお目当ての曲を見つけると急いで再生ボタンを押した。
一瞬たりとも躊躇わなかった。

《幼いままで 大人になって/胸も張れず 意味を探す日々/何をするにも心は足りないと言う/もっと素晴らしいはずだと言う》

LAMP IN TERREN「BABY STEP」

去年の11月、自分の住んでいる県でのイベントだから、というそれだけの、つまり興味本位で行ったライブですっかり虜になったバンドの、1番好きな曲。
その日の、vocal松本大さんのMCが、曲より先に脳内でヒットした。

もう、少し時間が経ってしまって記憶も少しずつ薄れてきてしまっているが、はっきりと覚えているのが、彼が放った「ただの人」という言葉だった。

「俺もみんなと同じ、ただの人。こんなやつがただ音楽という道を選んだだけ。」

というようなことを語っていた。
そのMCですっかり彼らの虜になってしまった。
才能がなくても息ができることを教わったから。

そしてその日、このBABY STEPのCメロ終わりのサビを大さんはアカペラで歌っていた。
叫ぶように、歌っていた。
その雄々しさに圧倒され、かっこいいとか歌詞がいいとかそれ以前に、ただ、美しいと思った。
確かステージは照明が落ちていて、彼にスポットライトが当たっていたような気がする。
記憶は定かではないが、もしそうでなかったとしても記憶を書き換えられるほど、凛とした空気を纏いながら叫ぶように歌っていた彼がまるで百獣の王のようで、その美しさに圧倒されたのだ。


《立ち止まったまま/歩んで行く誰かの背中を見ていると/怖くて寂しいから/どうしても歪み合ってしまうよ》

ライブの後から、幾度となく聴いてきた曲だ。
もう歌えるし、歌詞も何度も読んだ。
それなのに、やっと、今この瞬間、漸く歌詞の意味を理解できたような気がした。
本当に必要な時に聴くと、歌詞の意味が途端にはっきりと輪郭を持って、その意味が理解できるようになり、ぼやけていた視界のピントが急に合うようなそんな感覚に陥る。
自分の状況や、自分が欲しがっている言葉と歌詞が一致した時に、言葉達は、共感を超えた、何かとてつもなく巨大な力を持つ。
それはいとも簡単に何かを考える余地を奪って、堰を切ったように涙が溢れ出す。
そうだよ、そうなんだ、とただ頷くことしかできなくなる。
「書かなければ」から、ゆっくりと解き放たれていく。
「心を見透かされてるようだ」なんてよく見るお決まりの科白が酷く愛おしく思える。
誰かに伝えるための文章を書くとなったときは「そんなもの自己満足の感想に過ぎない」と大きなバツ印を付けられる科白。
いつもの蓮水レイなら大嫌いな言葉。
でも今はそんなことはもうどうでもいいのだ。

《僕が僕を好きになった瞬間から/世界は 全ては変わっていくのだから/僕が僕として生きることこそが/偉大な一歩目だから》


音に乗せて紡がれていく言葉達に身を任せ、涙を拭うことすらせず、ただ耳を傾け、赤べこの如く首を縦に振った。
久々に、純粋に、「音楽に救われた」と思った。
「まるで自分のことを歌ってるみたいだ」なんてこれまたお決まりの感想を抱いて、涙腺が緩すぎてすっかり説得力を失った涙で枕を濡らして。
そうやって幾度も眠れない夜を音楽に力を借りて越えてきたのだった。
この単純で純粋な「音楽に救われた」という感覚が大好きだったのだ。
すっかり忘れてしまっていた。



ここまで書いて、もう1曲聴きたい曲を思い出した。
同じくLAMP IN TERRENの曲、「いつものこと」

先述したライブで「新曲」として披露された曲で、その後にMVが公開されるとすっかりお気に入りの1曲となった曲だ。

《認めて欲しいだけさ 愛して欲しいだけさ/そんなの言葉にしたってどうしようもないのに/愛されたくて今日も生きながらえてしまった》


再びボロボロと涙が零れてきた。
最近悩んでいた事、そのものだった。
文章が上手いとか下手とか基準も曖昧で、というかそもそも基準なんて存在しなくて、言ってしまえば評価なんて人の好みでしかないだろ、と思うのに、どうしようもなく誰かに認められたかった。褒めて欲しかった。
肥大した承認欲求の抑え方などわからず、誰かの評価が欲しいが為に書いた文章を読み返しては、媚びを売っているような自分に腹が立って、言葉たちを生み出しては殺め、また生み出しては殺め、それを何度も繰り返し、少しの希望を込めて投稿した詩の紛い物は大して誰の目にも止まらず、こんなことに意味なんてないし、そもそも自分のやりたいことすら見失っている自分に、心底落胆する。そんな日々を過ごしていたのだ。
モヤモヤが脳内を巡って、嫌に心拍数が上がって、でも続けられた一文で、次の瞬間一瞬心臓が止まったとすら思った。


《だからね 美しいって心から思って歌うの》

そうか、美しいのか。
簡単に腑に落ちてしまった。
"美しいって心から思って歌えば"こうして誰かを救う曲になるのか。

意味が無いと思っていた日々が途端に大切な宝物に思えてきて抱き締めたくなった。
無かったことにしなくてもいいんだ。
大切だと思っていいんだ。
そう思えた瞬間、漸く僕は呼吸ができた。



音楽を愛している。
僕は音楽を愛しているのだ。
馬鹿みたいに、胸を張って叫びたくなった。
自らが生み出したしがらみから解き放たれて晴れ晴れしていた。
「音楽は魔法だ」とか、「音楽は世界を変える」だとか、そんなイタい科白を大声で見ず知らずの誰かに向けて叫んでやりたい。
そんな気分だった。
だからこうしてまた性懲りも無く文章にしている。
書けと言われれば書けなくなって、書くなと言われれば書けるようになる、そんな典型的な天邪鬼体質も今なら全て甘んじて受け入れられる。
だって音楽を愛している僕は、今音楽に力を貰って最強だからだ。
すっかり重りは消え去って軽くなった身体は次々言葉を生み出し、指は滑らかに液晶を滑る。

「書かなければ」じゃなくて、「書きたい」。

随分と久しぶりの感覚だ。
もう書くのが怖くなくなった。
意味が無い、無駄だと切り捨てできたことを抱き締める術を教わったから。
音楽は偉大だ。
わかりきった、もう幾度となく誰かの口から発せられ、使い古された、誰もが知ってる言葉を大声で叫びたい。

そうだ。


僕は音楽を愛している。

LAMP IN TERRENに愛と感謝を込めて。

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