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イニシャルはDなフローリアン、角目が見据える1977のジャパン車王は?

注)

この項目には1977年型新型コロナの記載があります。販売は終了しており拡散することもありません。と言うか正直、思い出すのも稀な車種です。

第1次オイルショックから4年、ガソリン価格は高止まりしたままで経済を圧迫し続けた。そんな中でディーゼルエンジンに使う軽油は当時ガソリンの半値程度で購入でき、燃費も良好。その激しいノイズと振動にさえ目をつぶればいいので商用車や営業車では採用例が多かった。そこでディーゼル乗用車を手掛けた経験を持ついすゞが乗用車に再び小型トラック用ディーゼルを転載したのが、フローリアンディーゼルでした。と言ってもこの古めかしいセダンは登場から10年もたった旧型のまま、フロントグリルだけをいかついメッキで飾り立てたゴージャスすぎるパーツで飾り立て、ヘッドライトを角型四灯に仕立て直した旧態依然のスタイルで世に出ました。

これが地方都市を中心とした小型タクシー市場ではしばらくの間多数派を占めるようになり、独特のカラカラ音を響かせて、コロナやブルーバードに混じってお客を運びました。クラウンも乗用車用に新規のディーゼルを開発しクラウン・ディーゼルを商品化。主にタクシーなど営業車需要がメインでした。コスト重視の業界は勿論、個人ユースでもこの破格の経済性に目をつけたオーナーは四輪駆動を中心に次第にディーゼルに乗り換えるようになって各社ともディーゼル仕様を追加します。

オイルショックを機に開発がスタートしたダイハツのシャレードは幾つもの新規軸を打ち出します。5㎡カーと称して1998年に拡大された軽自動車規格と比べても大差ない幅1500ミリちょっとの5ドア2ボックス.エンジンもこれまで類例が無い4サイクルの3気筒。シリンダー・一本当たり330ccがもっとも高い燃焼効率を得られると説明されました。とてもよく似た企画に日産マーチが挙げられますが登場はずっとあと。ほかにこのクラスに的を絞るのは?

ケンとメリーのスカイライン、その販促キャンペーンも5年が経ちモデルチェンジでは新たなキャッチフレーズで路線を変更。この頃にはセリカと並んで若者に人気の双璧と見なされるようになっていました。そんな5世代目のスカイラインのキャッチフレーズは「ジャパン」・・・・まだ日本国内専売車種だったことも理由でしょうか?

スタイリングは先代の思い切ったファストバックから少し後退し、少しおとなしいセミファストバックに路線変更をしたのが2ドアHT。4ドアセダンではほぼ変わらぬプロポーションとトレードマークのサーフィンライン、丸型4灯テールランプを維持して、スタイリッシュなライトバンにはオペラ・グラスと呼ぶ覗き窓が加えられます。デザインに振ったあまり後方視界を犠牲にした先代への反省からでしょうか?でも、セールスは相変わらず好調。しかし、たった一つ残念だったことはGT-Rの暖簾を引き継げなかった点にあります。

スカイライン史上、久々にツインカム・エンジンを揃えなかったスカイライン・ジャパンには、代わりにターボと燃料噴射で武装した最強版エンジンが与えられることになります。これは黒に塗装され、日産がスポンサードしていたテレビドラマ西部警察のマシンXとして、ブラウン管デビューを果たすことになります。他方で同じ石原プロ制作の「太陽にほえろ」の七曲暑にはいつでも最新トヨタ車が提供されていて、刑事たちの目立たない(筈の)捜査車両として活躍していました。

スカイラインの兄弟車:C230系ローレルは車体サイズこそ大型化したものの、スタイリングからは130系の大胆さが消え、箱型に手堅いシンプルなデザインに路線変更しました。

ライバル、セリカも7年ぶりのモデルチェンジをほぼスカイラインと同時期に迎え話題を呼びました。大きな二次曲面ガラスを多用したルーミーな室内が特徴で、嵌め殺しのリアウインドウの代わりに後席の換気に配慮したベンチレーションシステムを備えていたのも特徴です。足元を飾るのは7本スポークの純正アルミホイール。まだ日本ではタイヤを替えてもホイール迄セットで替えるという風習はありませんでした。また工場オプションとして、スライディング式サンルーフ(手動式)を備えたのもソリッド・ブラックのボディーカラーが選べたのも国産車としてはかなり早い例でした。

兄弟車のカリーナも当然のごとく同時期に刷新。実はこれを機に一クラス上だった新型コロナとも多くの部品を共有するようになり、長年コロナが採用し続けていたフロント・ダブルウィッシュボーン・サスペンションもストラット式に統一。他にはクラウンやジェミニが使い続けるのみとなりました。

足回りこそ大変革を施した新しいコロナですがデザイン的には大きくイメージを変えることなく、2ドアHTに後方視界を拡げるオペラグラスが追加されたり、久々に5ドアハッチバックが復活したのが目新しいポイントでした。欧州では人気だった5ドアも、まだ日本市場には根付いておらず目立たぬ存在で終わっています。引退後も絶大な人気の長嶋茂雄・巨人軍監督をCMキャラに据え,NVH(ノイズ・ヴァイブレーション・ハーシュネス)対策を施した静粛な乗り心地をアピールするという実用性メリットをアピールしていました。

マークⅡには初めての兄弟車、チェイサーが生まれます。フロントはマークⅡより大型のグリルを掲げ、よりスポーティーで若いマインドを持つ層にアピール。販売店はトヨタオート店でスプリンターの上級移行を受け止める役割も担います。

セリカ/カリーナ/コロナが3兄弟なら日産はバイオレットにオースターやスタンザを加えた3姉妹で対抗します。2代目となるA10系バイオレットは欧米で新510を名乗った位、先々代のブルーバードに倣った直線基調のデザインで、行き過ぎたアメリカン・デザインからの脱却を図りました。3車種は各販売店網向けに色分けされて、サニー店向けにはちょっと豪華な雰囲気を持つスタンザを。チェリー販売系列にはカジュアルで上級志向のオースターをそれぞれ配備し、販売店のラインナップ拡充を助けます。

710バイオレットで4輪独立だったサスペンションを固定軸のリアサスに格下げ。サファリラリーではリアの車軸をまるごと素早く交換する方法で耐久性を担保していました。サファリを始めとするラリー参戦が再び活気づいたのもオイルショックからの脱却を印象付けるものでした。

先祖返りを処したのは大衆車サニーも同様。先先代に倣った直線基調のスマートなデザインに戻ります。クーペも後方視界を重視したウインドウの広い設計.むしろ販売の目玉はRV色を打ち出した5ドアワゴンのサニー・カリフォルニアに移っていました。ライトバンとは別物の低くてスタイリッシュなワゴンボディを別建てに用意し、アメリカで流行りのウッド模様で飾り立てたものです。この年イーグルのホテルカリフォルニアが大流行りして米西海岸が最先端とみなされていた証です。

スバルレオーネは登場から6年も経っているとはいえ、自慢の4wdはスキー場を中心に大好評。追加モデルの4wdセダンに加えてクーペ、ハードトップとバリエーションを拡充した上、車幅も少し拡大して名称もグランダムと銘打った高級版を加えました。このクラスには珍しい4灯式のヘッドライトを備え、郷ひろみ主演の映画でカースタントも披露した実力派です。スバルが国際ラリーで頭角を現すようになるのはこれから十数年ののち。この頃のレオーネは未来に向けた種をまいていました。

ミラージュ追加モデルの4ドアではホイールベースを拡大。そのプロポーションはグッとVWゴルフに近いものとなりました。

ギャラン・ラムダが採用した角型4灯を縦に配置したのがルーチェの新型、レガートでした。4ドアピラード・HTとは銘打っていますが、雨どいを窓の周りに這わせたサッシュレスのドアに過ぎません。トヨタもこの商法に乗じます。

世界に類を見ない厳しい53年排気ガス規制の適用は目前.あまりの厳しさに日本市場を諦める外国車も少なくありませんでした。

一方でアメリカのフルサイズカーは巨費を投じたダウンサイジングを敢行.全長も抑えた小型エンジンのシボレー・サイテーションやキャデラック・セビルなどが販売の第一線にたちます。

王貞治選手がホームラン世界記録を塗り替え、カクテルの名前を採った静岡出身の2人組がデビューし、一世を風靡するまでに、そう時間はかかりまでんでした。

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